Index Top 一尺三寸福ノ神 後日談

前編 狼神のクリスマスプレゼント


「朝なのです。起きるのです、一樹サマ!」
「起きるのだ小森一樹。冬休みだからってだらだらしてると、身体に悪いのだ」
 朦朧とした頭に、声は突然飛び込んできた。
 聞き慣れた女の子の声。
「うん?」
 一樹はぼんやりと目を開ける。冬の朝特有の寒さと明るい日差し。思考を空回りさせつつ、右手を伸ばす。ベッドの横に置かれていたケースを掴み、蓋を開けた。中身の眼鏡を掛けると、視界の霞が取れる。
「おはようなのです」
 身長四十センチほどの小さな女の子。見た目の年齢は十四、五歳くらい。腰まで伸びた長い黒髪、気の強そうな顔立ちと黒い瞳。服装は白衣に緋袴、そして足袋に草履、いわゆる巫女装束だった。そして、お守りをひとつ赤い紐で首から下げている。
 鈴音だった。
「おはようなのだ、小森一樹」
 そして、その隣にもう一人の女の子。見た目十代後半くらいで、鈴音より少し背が高く、スタイルもよい。赤い布で縛ったポニーテイルの銀髪、真紅の瞳に写る強気な意志。口元には不敵な薄い笑みを浮かべている。赤い着物は、袖と胴部分が分かれ、隙間から白い襦袢が見えた。黒い行灯袴と足袋と草履。首には鈴音と同じお守り。
 琴音である。
「……ん?」
 机の上に立っている二人を眺めながら、一樹は思考を回した。
 鈴音と琴音。ひとつの身体を二人で共有している福神と厄神。どちらかが、表に出ることで人格から容姿まで切り替わるが、ふたつの身体に分かれることはできない。
「夢か……早く起きないと」
 そう結論付けて、一樹は眼鏡を置き、枕に頭を下ろした。
 とん。
 と胸の上に重さが加わる。
 二度寝を諦め、一樹は胸の上に目を向けた。
「って、なぜそこで眠るのですか! ワタシたちを無視してはいけないのです」
「オレたちが二人になったのは現実なのだ。現実から目を背けては駄目なのだ」
 鈴音と琴音が、それぞれ言ってくる。
 どうやら夢ではないようだった。
 一度大きく欠伸をしてから、一樹は上半身を起こした。右手をベッドに付いて、身体を持ち上げる。両足をベッドから下ろし、ベッドに腰掛ける体勢に移った。一度置いた眼鏡を再びかける。
 鈴音と琴音は、布団の上に立っていた。
「何で増えてるの?」
 とりあえず、尋ねる。
 答えたのは琴音だった。緩く腕を組んだまま、赤い瞳を少し持ち上げる。
「昨日の夜……正確には今日の早朝なのだ。あのアホ狼が部屋に来てオレたちに何かしていったのだ。多分、分身の術の応用だと思うのだ。一日だけ二人になれるようなのだ」
 アホ狼とは、作り手である狼神大前仙治のことだろう。
「部屋にって……」
 一樹は頭を押さえて、窓を見た。ごく普通の一般家庭のガラス戸。道具も無しに開けられるものではないが、術を使えば開けられるかもしれない。
 鈴音が続ける。
「クリスマスプレゼントだと言っていたのです」
「クリスマスプレゼント……」
 そういえば、今日は十二月二十五日。クリスマスだった。
 日本の神がキリスト教の降誕祭を祝う理由もないが、元を辿れば冬至祭。そのような歴史背景は抜きに、祭りは騒げと言う、ある意味日本人らしい適当さなのだろう。
 鈴音は両手を持ち上げ、嬉しそうに説明する、
「律儀にサンタクロースの扮装までしていたのです。真っ赤な服と帽子にヒゲまで付けていたのです。でも、ばっちり不法侵入なのです!」
 サンタクロースのコスプレをして深夜、部屋に忍び込んでくる仙治の姿を想像し、一樹はため息をついた。なぜそこまで凝るのかが分からない。
「あいつが捕まろうと何しようと、オレは興味無いのだ」
 両腕を広げて、琴音がため息をつく。
「ま、ねぇ」
 もう捕まっているのかもしれない。そんな確信めいた予感が浮かぶが、それを確かめる術はなかった。あっても、実行する気はないが。
 よく分からないことはさておいて。
 一樹は並んだ鈴音と琴音の頭に手を置いた。
「しかし、こうして並んでみると、琴音の方が背が高いんだね」
「むぅ」
「うむ」
 顔をしかめる鈴音と、胸を張る琴音。
 鈴音は身長三十九センチと半分、琴音は四十二センチ。二センチ半の差であるが、四分の一サイズの二人にとって、それは意外と大きな差だった。実際に並んでみると、その差ははっきりと分かる。
「ふふん。オレの方が身体も大人なのだ」
 左手を腰に当て、右手を後ろ頭に添え、胸を反らしてみせた。鈴音にはほとんど見られないが、琴音は年相応に胸の膨らみが見られる。他の部分は、巫女服に隠れてよくわからないが、琴音の言い方では年相応なものなのだろう。
 優越感を含んだ赤い瞳を、鈴音に向ける。
 鈴音が両手を握りしめた。髪の毛が何本か、明後日の方向に飛び出している。
「ずるいのです!」
 鈴音は両手を伸ばして、琴音の襟を掴んだ。
 目元に涙を浮かべながら、叫ぶ。
「ワタシだって四十センチ以上の身長が欲しいのです。しかも、幼児体型というのも気に入らないのです! 不公平なのです。琴音はその身体をワタシに貸すのです!」
「何を無茶な事を言っているのだ!」
 鈴音の手を払いのけ、琴音が後ろに跳んだ。あくまでベッドの上なので、遠くへはいけないが、それでも間合いを取ることはできた。
 一樹はベッドに座ったまま、二人の言い合いをぼんやりと眺める。
 乱れた襟元を直し、首を左右に振る琴音。白いポニーテイルが揺れた。
 鈴音は勢いよく琴音を指差した。
「無茶ではないのです。以前、琴音の身体だけ借りたことあるのです」
「ん……? その時はキメラになってなかった?」
 思いついて、一樹は口を挟む。
 以前、鈴音と琴音の身体がまだら模様に入り交じって、キメラになったことがあった。その時は、リセットスイッチであるアホ毛を引っ張り、元に戻している。身体の主導権争いをしていたと言っていたが、何が起こったのかは想像が付くようで付かない。
 鈴音が一歩前に出る。右手を握り締め、眉を内側に傾けた。
「それは琴音が抵抗したからなのです! 琴音が抵抗しなければ大丈夫なのです」
「身勝手なこと言うななのだ! 誰がお前なんかに身体を貸すかなのだ! 何されるかわかったもんじゃないのだ!」
 同じく一歩前に出ながら、右足をベッドに叩き付ける琴音。体重も軽く、下は柔らかい布団なので迫力はないが、気迫は伝わっただろう。
「ちょっとくらいいいのです!」
「よくないのだ!」
 がっしと両手を組み合わせる二人。
 それも一瞬、一度距離を取ってから、ケンカを始める。
 鈴音の突きを琴音が腕で防ぎ、琴音の蹴りを鈴音が退いて避けた。踏み込んだ鈴音の右手を琴音が取って背負い投げ。鈴音は空中で体勢を立て直して着地する。
 映画のカンフーアクションのような、きれいな動きだった。行灯袴の裾と袖を振りながら踊っているようにも見える。
 数回演舞のような組み手を行ってから、
「まだまだなのです! この鈴音の本気、見せてやるのです。覚悟するのです!」
「ふっ。お前の本気など、たかが知れているのだ。返り討ちにしてやるのだ!」
 二人が一度距離を取り、両腕を振った。
 それぞれ、袖の中に手を引っ込め、その手を取り出す。
 取り出した手には、祓串が握られていた。鈴音は白木の棒に白い紙を付けた祓串。琴音は黒塗りの棒に赤い紙を付けた祓串。
 両者、二本の祓串を二刀流のように構えてみせる。
 一樹は静かに呟いた。
「和算について半日くらい語ってみようか?」
「ごめんなさいなのです……」
「ごめんなさいなのだ……」
 即座に祓串をしまい、二人は姿勢を正して深々と頭を下げた。
 顔を上げた二人には、うっすらと恐怖の色が浮かんでいる。どちらも思考が吹っ飛ぶまで小難しい話を聞かせたことがあるので、それがトラウマになっているようだった。
 一樹はベッドから起き上がり、窓の前まで移動した。
 朝日に向かって背伸びをしてから、振り返る。
「にしても、どうしようか? 二人になっても、これといってやることないし」
「それはオレも同意見なのだ」
 腕組みしながら、琴音が頷く。
 鈴音がぽんと手を打った。
「そういえば、一樹サマ。今日は図書館に行くと言っていたのです」


「寒い……」
 コートにマフラーの防寒装備で外を歩きながら、一樹は吐息した。
「やっぱり、お散歩は最高なのです」
 一樹の左手に抱えられたまま、鈴音が嬉しそうに足を動かしている。
「うむ、最高なのだ」
 一樹の両肩に足を乗せ、頭に捕まっている琴音。
 ともに、定位置だった。二人とも、生地の薄い巫女装束のような服を着ているが、防寒の術のおかげで、寒さは平気らしい。
 図書館に向かう道路を歩きながら、一樹は口を開いた。
「いつも思うけど、散歩って歩いてるのは僕だけだよね?」
「男が細かい事を気にしてはいけないのだ」
 頭の後ろから声が投げかけられる。
「細かいことかな?」
 そう訊き返すが、返事はない。
 空は快晴。文字通り雲ひとつない青空だった。気温は十度くらいだろう。しかし、風があるため、体感気温は少し下がる。空気も乾燥しているようだ。厚着をしても、その上から寒さが染み込んでくる。
 左腕に抱えられた鈴音が見上げてきた。
「それに、一樹サマに抱えられていると、なんだか凄く落ち着くのです。気持ちがとっても温かいのです」
「ありがとう」
 乾いた笑いを浮かべ、一樹は鈴音の頭を右手で撫でた。艶やかで滑らかな黒髪。嬉しそうに、鈴音が目を閉じる。
「むぅ」
 後ろから聞こえてくる不服そうな声。
「琴音もむくれるなって」
 一樹は頭の後ろに手を回し、琴音の頭を軽く撫でた。ポニーテイルに縛った白い髪の毛と、赤いリボンの手触り。髪質は鈴音よりも少し硬いように思える。
 一樹の手を払いのけてから、琴音が空を見上げた。
「それにしても、雪なんて全然降りそうに無いのだ。ホワイトクリスマスというのも、一度見てみたいと思うのだ」
「無茶言うなって」
 一樹は再び空を見上げた。
 典型的な西高東低、冬型の気圧配置。日本海側では雪が降り、太平洋側では晴れが続く。太平洋側に雪が降るには、太平洋側を通る低気圧と、上空の寒気の南下が重ならなければならない。
「無いものを期待してもしょうがないです」
 妙に悟ったような口調で、鈴音がそう言った。

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10/12/17