Index Top 一尺三寸福ノ神

第16話 鈴音のリベンジ 前編


 一樹が一人で大学に出かけてから、三時間ほどが経つだろう。窓の外ではしとしとと秋の雨が降っている。雨を理由に鈴音は家で待っていると言ったのだ。
 無論、それはフェイクである。
「ふっふっふ、今日こそ前回の雪辱を果たすのです」
 鈴音は小さな拳を握りしめ、誰へと無く呟いた。
 午前十一時過ぎ。場所は一樹の部屋。一樹には先日図書館で借りてきた本を読んで暇を潰すと言ってあるが、本を読む気はなかった。
「こないだ変な公式とか図形の画像で頭痛が痛くなるまで苦しめられた時から、反撃の機会を伺っていたのです。それこそ、今なのです」
 ベッドに仁王立ちした鈴音の前には、USB接続式外付けハードディスクドライブが置かれている。ベッドの下に隠してあったもので、『バックアップ用』と書かれたシールが貼られていた。一樹が出かけてから部屋をガサ入れしていたのである。
「エッチな本とかも期待していたのですけど、見つからなかったのです。この部屋じゃない所に隠しているのかもしれないのです」
 腕組みをして首を傾げる。
 三時間部屋を探しまくった結果、出てきたのはこのHDDひとつだけ。他にも色々出てくると思ったのだが、何も出てこなかった。ある意味予想はしていたが。
 口元に自然と不敵な笑みが浮かんでくる。
「しかし、バックアップ用のハードディスクなら、パソコン内の古いデータが入っているはずなのです。ワタシが一樹サマの所に来る前のデータが入っているのです。そして、エッチな画像を持っていない男の人は絶対にいないのです」
 HDDを両手で抱え上げ、鈴音はベッドから飛び降りた。行灯袴の裾がふわりと広がる。足音もなく床に着地。人間で言うと自分の身長の高さから飛び降りたようなものだが、慣れているため恐怖はない。
 置いてあった草履を履いてから、鈴音は部屋を駆け抜けた。
「とうッ!」
 床を蹴り、跳び上がる。机の横にあるスチールラックを右足で蹴り、三角蹴りの要領で机の上に着地した。長い黒髪が背中に落ちる。普段ならそのまま机に駆け上がれるのだが、HDDを抱えているので、そうもいかない。
「我ながら、猫並の機動力なのです」
 自分の身軽さに感心する。ついでに顎に手を当ててポーズを取ってみる。誰も見ていないが、それは気分の問題だった。誰かに見られていたら逆に困るが。
 自画自賛もそこそこに、鈴音はHDDから伸びるUSB端子をパソコンの端子に繋げた。これはUSB電源タイプのようなので、電源コードは不要である。
「では、パソコン起動なのです!」
 電源ボタンを押すと、OSが立ち上がる。OS起動が終わるまでは四十秒ほど。その時間を持て余すように鈴音は自分の胸元を撫でた。
 いつも下げているお守りはない。
 部屋の入り口近くの壁に掛けられたお守り用神棚。そこには自分の依代であるお守りが飾ってあった。鈴音が部屋にいる時はここに飾っておくことになっている。
「福の神パワーよ、ワタシに幸運を運んでくるのです」
 自分でもよく分からないお祈りをしていると、パソコンが立ち上がり、デスクトップ画面が表示された。白黒絵のシンプルな背景と小綺麗に整理されたアイコン。
「それでは、さっそく一樹サマの秘密を覗かせてもらうのです――」
 鈴音はマウスを両手で動かし、マイコンピューターを開く。
 そして、Dドライブの外部HDDをダブルクリック。
『データを読み込んでいます』
 という文字が表示され、ウインドウの中の青いバーが左から右に移動していく。HDD内部の情報を読み取っているようだった。
 そうして二秒ほど。
『パスワードを入力してください』
「やっぱり来たのです」
 画面に現れたパスワード入力フォームを眺めながら、鈴音は静かに独りごちた。パスワードを掛けてあることは予想していた。しかし、予想していた壁は容易く突破できる。
 鈴音はキーボードを叩いた。
『12345678』
「エンターなのです」
 パン、とエンターキーを押すと、
『パスワード承認』
 そんな文字が出てから、HDDの読み込みが再開される。一樹はパスワード入力の際はいつもこの数字を入れていた。英字と数字混じりの際は最後にAを入れている。
 他人が触るものではないので、その辺りは適当らしい。もし一樹が手抜きでないパスワードを組んでいたら自分の計画はここで終わっていただろう。
「随分と綱渡りな計画なのです……。でも結果オーライなのです」
 腕組みしながら、今更ながらそんなことを考える。
 しかし、現実はそう甘くないらしい。
『接続キー入力』
「へ?」
『500の立方根を 9桁まで 30秒以内に入力せよ』
 という文字とともに現れる入力フォーム。その横では一秒づつ減っていく数字。
 頭を真っ白にしたまま、鈴音はその画面を眺めていた。500の立方根、つまり三回掛け算したら500になる数字のことである。分かるわけがない。
 結局何もできぬまま、三十秒が過ぎた。
『接続キー入力失敗 再入力しますか? はい いいえ』
 空っぽの思考のまま何となく『はい』をクリックしてみる。
『sin57.5°の数値を 9桁まで 30秒以内に入力せよ』
「こんなのできるかー! なのでーす!」
 鈴音は叫んでいた。

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