Index Top 一尺三寸福ノ神

第8話 約束する二人


 鈴音は準五級位の福の神で、お守りを依代とした特殊な式神の一種らしい。
 もっとも、神としてのランクは低く、力は大したことない。しかし、幸運を運ぶ力は本物であり、強力な守護霊だと思えばおおむね正しい解釈だとか。大事に扱っていると、そのうち成長して力も強くなるらしい。
「分かるような、分からないような……」
 眼鏡を動かし、視線を辺りに向ける。
 まばらに人が見える駅のホーム。一樹はホーム端のベンチに座ったまま、言われたことを思い返していた。いくつか腑に落ちない点はあったが、気にするほどでもない。鈴音の正体が分かった事と昼間の預け先が出来た事、このふたつで十分な収穫である。
 詳しいことは後日話すので、今日は早めに帰れと言われた。六時前まで絵を描いていくつもりだったが、言われた通り早めに帰宅している。
 一樹は視線を左に向けた。
「嗚呼、神様。ワタシは今とっても幸せなのです。このまま翼を生やしてお空の彼方まで飛んでいきそうな気持ちなのです……。生きててよかったのです」
 プラスチックのケースを抱き締めたまま、鈴音が誰へと無く感謝の言葉を呟いている。目が虚ろで、頬もほんのり赤い。頭の回りに花でも飛んでいそうな、恍惚の表情だった。どこの神様に感謝しているのかは考えないことにしておく。
「鈴音へのプレゼント、ねぇ……」
 抱き締めているのは、枢愕者トリリオンのトランプだった。キャラクターグッズである。帰り際におみやげにと渡されたものだった。普通のカードにキャラクターを印刷したもので、価格は千五百円。良心的かぼったくりかは人それぞれだろう。
「タダより高いものはない、なんて言うし。木野崎がタダで人に何かあげるっていうのも考えづらい。明日は雪でも降るかな?」
 一樹は空を見上げた。夕焼け空にはまばらに羽雲が浮かんでいる。明日の天気は晴れ。週間予報では明後日に雨が降るらしい。まだ十月半ばの関東地方。平野部では間違っても雪が降ることはない。
 冗談はさておいて、一樹は再び鈴音に顔を向ける。左手を差し出し、
「ちょっと、そのトランプ見せてくれないかな?」
「む!」
 表情を引き締め、鈴音がトランプケースを強く抱き締めた。さらに庇うように一樹に背中を向ける。どこか殺気めいた気迫とともに、言ってきた。
「盗ろうとしても無駄なのです」
「盗ったりしないって」
 力なく笑いながら、一樹は首を振った。
 しかし、鈴音は折れない。
「それでも駄目なのです。落とされたり、汚されたりしたら嫌なのです。これは、ワタシの宝物なのです。絶対に他人には触らせないのです!」
「なら、鈴音が欲しがってたトリリオンのDVDボックス買ってあげる――そのチャンスをあげよう。これでどうだい?」
 餌を付けた釣り針を垂らす心境でそんなことを口にしてみる。釣れるかどうかは分からないが、とりあえず垂らしてみた。そんなノリだったのだが。
 鈴音は即座にトランプケースを差し出してきた。
「どうぞ、なのです」
「物凄い早変わり……」
 呆れる以上に半ば本気で感心しつつ、一樹は手を伸ばす。しかし、ふと鈴音が勘違いをしているという予感を覚えて、付け足した。
「言っておくけど、あくまで『買ってあげるチャンス』だから。必ず買うってわけじゃない。あくまでもチャンスだから」
「……何なのです? そのチャンスとは」
「今夜、簡単なカードゲームで僕に勝てたら買ってあげる」
 黒い瞳に疑問を映す鈴音に、一樹は告げた。
 その言葉に、鈴音が首を傾げる。長い黒髪が揺れた。
「……カードゲーム? まあ、いいのです。ワタシは福の神なのです」
 言いながら、トランプケースを差し出してくる。カードゲームに勝てる自信があるのだろう。もっとも、運任せの勝負だったら鈴音に分がある。だが、それを知って勝負を言ったのだから、一樹にも確実な勝算があるということでもあった。
 それは顔に出さず、一樹はトランプケースを受け取った。
 蓋を開けて五十四枚のトランプを取り出し、両手で扇状に広げてみる。作中に登場するキャラクターの描かれたカード。紙製ではなく、プラスチック製なのでかなり頑丈だ。ついでに、値段が高いのも材質のせいである。
「物凄く手慣れてるのです……。一樹サマがなんかカッコよく見えるのです」
 椅子に両手を突き、鈴音は身を乗り出すようにカードを見つめていた。
 トランプをきれいに扇状に広げる。簡単そうに見えてかなり難しい技術だった。好奇心で覚えようとして挫折するのがありふれたパターンだが、一樹は好奇心で練習してそのまま技術として習得した。
 とりあえず、カードから六枚見当を付けて引き抜く。主人公コーリ、コウシキ博士、鬼神タンジェント、要塞グーゴル、グラハム枢、名も無き邪神。
 それをじっくり眺めてから、鈴音に見せた。予感は的中。
「鈴音。このトランプの黒い点みたいの何か分かるか?」
 六枚のトランプに共通するのは、細かな黒い色が入っていること。縞模様やチェック模様、黒い文字など。そこに、小さな黒い点が紛れ込んでいる。
 鈴音は指でその黒い点を摘み取った。黒い小さな砂のようなもの。
「……これは、多分蟲妖なのです。ワタシの知っているものではないですけど、珍しい虫なのです。ちっちゃいし、多分害は無いと思うのです」
 そう話しながら、鈴音はトランプに付いた蟲を摘んで横に捨てていた。腕を動かすたびに、白衣の袖が揺れる。見たところ無害らしい。
「でも、何でこんな蟲が付いているのです……?」
「どこかで紛れ込んだんじゃないか? これも新品ってわけじゃないからね」
 不思議がる鈴音に適当な言葉を返してから、一樹はトランプを元の位置戻しケースに収めた。この蟲の理由は見当が付くものの、口には出さない。
「うーん」
 差し出されたトランプを受け取りながら、鈴音が訝る。
 しかし、考えても答えは出ないと判断したのだろう。トランプを改めて抱き締めてから、黒い眉毛を斜めにして、一樹を見上げる。
「とにかく、約束は守って貰うのです。ワタシが勝ったらトリリオンのDXDボックス、きっちり買ってもらうのです」
「分かってるって。ただ――」
 一樹は口元に薄い笑みを浮かべた。静かな、だが妙な鋭さを持った微笑。眼鏡のレンズが夕日に照らされ、怪しく輝く。
「くせ者揃いの漫研でも、ぼくにカードゲームを本気で挑めるのは、部長くらいだよ」
「………」
 鈴音が無言のまま喉を動かすのが見えた。

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