Index Top 一尺三寸福ノ神

第9話 Old Maid


 ババ抜き。英名 Old maid、意味は行後れ。
 五十三枚のカードをプレイヤーに配り、一枚づつ手札を取りながら同じ数字となった手札を捨てて行き、最後にジョーカーを持っている人間が負けとなる。非常に単純で、それでいて奥の深いカードゲームだ。
 一樹と鈴音は二人は部屋の中央に置かれた卓袱台で対峙していた。小さい鈴音は、卓袱台の上に小さな座布団を敷いて、そこに正座している。
「うむむむむ……」
 眉間に皺を寄せて目を見開いて手札を見つめる鈴音。黒髪が何本か跳ねるように横に飛び出している。その手には二枚のカード。どちらかがジョーカーで、どちらかがスペードの6。一樹の手元にはハートの6が一枚。
 二人でやると確実にこの状況に陥る。そして、ここからが本当の勝負なのだが。
 一樹はおもむろに右手を伸ばし、右のカードを引き抜いた。スペードの6。ペアになった二枚のカードを捨ててから、両手を広げて見せる。
「ぼくの勝ち」
「なーぜーなーのーでーすー!」
 鈴音は飛び跳ねるように立ち上がり、自分の手の中に残ったジョーカーを卓袱台に叩き付けた。気持ちは分からなくもない。両手で頭を掻きむしり、ブリッヂでもしそうな勢いで仰け反っている。黒髪が大きく乱れ、お守りが跳ねた。
 身体を起し、額に青筋を浮かべてジョーカーを指差す。
「おかしいのです、変なのです、不自然なのです! 納得いかないのです!」
 両目から涙を流しながら、震える声でそう叫んだ。掻きむしったせいで、黒髪がぼさぼさに跳ねている。しかし、気にせず魂の慟哭を続けた。
「なぜワタシが十一連敗もするのですか! 絶対にありえないのです、福の神であるワタシがババ抜きで一勝も出来ないなんて、明らかに変なのです! 理解不能なのです! きっと一樹サマはイカサマを使っているのです!」
 カードに向けていた指を、今度は一樹に向ける。
 ババ抜き五本勝負で三勝したらDVDボックスを買うという約束でゲームを始め、一切の手加減なく五連勝。ストレート負けに怒り、鈴音の要求で普通のババ抜きを続け、さらに駄目押しの五連勝。そして今、十一連勝目を叩き付けたところだった。
「イカサマじゃないよ」
 眼鏡を外して、何度か目をこすってから、一樹は答えた。集中力と視力の使いすぎで、目が痛い。そろそろ最初の限界のようである。
「もうゲームは終わり」
 右手を振って、一樹はそう告げた。
 しかし、鈴音は引かない。散らばったカードを両手でかき集めていた。ばらばらのカードを軽く卓袱台にぶつけて向きを整えてから、一樹の前に突き出してくる。
「もう一回勝負なのです! ワタシが勝つまで続けるのです」
「いや、もう無理……。ぼくが疲れてるから、おしまい。次は多分、勝率八十パーセントくらいだし、これ以上続けても何も出ないから。DVDボックスも諦めなさい」
 一樹はぱたぱたと手を振った。
 九時過ぎから始めて、そろそろ十一時になる。ババ抜きで二時間近い集中力の持続は正直かなり辛い。これ以上続けると、朝に響くだろう。明日もまた大学はあるのだ。勝負は勝ち負け関わらず、引き時が肝心である。
「でも、ワタシは納得いかないのです!」
「分かった、種明かしするよ」
 引く気のない鈴音に、一樹はそう切り出した。
 鈴音の表情からふっと怒りが消える。代わりに浮かんできた感情は好奇心だった。トランプを傍らに置いて、乱れた黒髪や白衣を手早く整えてから、座布団の上にきちっと正座する。感情の切り替えは早い。
「どうして、一樹サマはあんなに強いのです? 理由が知りたいのです」
 黒い瞳をきらきらと輝かせながら、鈴音が訊いてきた。やはり気になるのだろう。
 一樹は出来るだけ分かりやすく言葉を選びつつ、
「一対一でやるババ抜きは、実は運の要素はそんなに強くないんだよ。表情と仕草の読み合いと駆け引き。いかにポーカーフェイスが作れるかが重要だ」
「分からないのです……」
 鈴音は眉をハの字に傾ける。
 一樹は鈴音の傍らのトランプを手に取り、十回ほど切ってから、鈴音の前に二枚のカードを投げる。表向きになったスペードのAとジョーカー。
「鈴音がジョーカーを持っている時、ぼくは一度もジョーカーを引いていない」
「……あ」
 鈴音が小さく声を漏らす。今までの対戦を思い出し、理解したのだろう。
 鈴音が手札にジョーカーを持っている時、一樹はその枚数にかかわらず一度もジョーカーを引いていない。鈴音の表情や仕草から、どれがジョーカーなのか分かっているからだ。そこに運の介入する余地はない。
 一樹は鈴音の前にあるカードを手元に寄せ、二枚のカードを加えてシャッフル。それを広げて差し出す。等間隔に広げられた四枚のカード。
「鈴音は考えてることがすぐ顔に出る。鈴音の手札にジョーカーがあればそれだけでぼくは勝てる。だから、ぼくは鈴音にジョーカーを渡すことだけを考えればいい」
 鈴音が引いたのは右から二枚目。
 引いたジョーカーをじっと眺めてがら、鈴音は呆気に取られた言葉を口にする。
「何で、なのです?」
「鈴音は右から二番目のカードを引く癖がある。だから、そこにジョーカーを仕込んでおけば、ほぼ確実に引いてくれる。これが大まかな仕掛け」
 鈴音の手からカードを取り、残りのカードに混ぜてケースにしまう。もっとも、これ以外にも色々と観察や仕掛けはしているのだが、そこまで言う気はない。
 もみあげの髪飾りを弄りながら、鈴音が不服そうに口を尖らせている。
「何だか、ズルいなのです……」
「そういうものだよ。言っただろ? ぼくはカードゲームが強いって」
 カードケースを机の引き出しにしまい、一樹はベッドへと向かった。
 ぱたぱたと床を走り抜け、鈴音はベッドの上に飛び乗る。今日も一緒に寝ると言っていた。布団に入る前に、腑に落ちないといった表情で見上げてくる。
「ところで、一樹サマ。さっき、ワタシの前にジョーカーを出せたのは何故なのです? 切ったカードから適当に二枚取って、そこにジョーカーが含まれてる確率は低いのです」
 さりげなく行った仕掛けだが、さすがに気づいたしい。鈴音の前に放った二枚のカードは、偶然ではなく意図的に出したものだ。
 一樹は眼鏡を動かし、笑顔で白状する。
「うーん。トランプ手品のひとつに任意のカードを相手に配るってものがある。それの応用かな。ババ抜きの一回目は鈴音にジョーカーを渡して、お互いに手札が多くなるようにした。鈴音の癖を見るためにね」
「やっぱり、イカサマなのです!」
 鈴音の足が一樹の顎に突き刺さった。

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