Index Top 一尺三寸福ノ神

第7話 予想は的中する


「うー。あー」
 机の上に仰向けに寝転がった鈴音が、苦しげなうめき声を上げている。
 大学の図書館の隅っこ。鈴音を机に寝かせたまま、一樹はレポート用紙にシャーペンを走らせていた。早めに食事を終わらせた昼休み。講義の宿題として出された計算問題を片付けている最中である。宿題はその日のうちに片付けることにしていた。
 手を止めて、鈴音を見やる。顔色が悪く、目の焦点も合っていない。
「大丈夫か?」
「むー。多分、大丈夫なのです……。さっきよりは気分が落ち着いたのです……。でも、まだ気持ち悪いのです。あの先生の言っていることは意味不明なのです。知恵熱が出てしまいそうなのです」
 ごろりと寝返りを打ち、うつ伏せになる鈴音。両手両足を机の上に投げ出し、脱力している。まるで長距離マラソンをした後のように。しばらくはこのままだろう。
 一時限目、二時限目と続けて物理の講義だった。内容は熱力学。難解な講義内容に当てられてしまったらしい。知恵熱の誤用には触れないでおく。
「まだ始まったばかりだから、そんなに難しいことは言ってないと思うけどね。絶対温度と体積と圧力の関係式ボイル・シャルルの法則って基礎的な――」
「木犀型斬〈ブクティエール〉シュート !」
 ペシッ。
 と頬を蹴られて、一樹は口を閉じた。
 うつぶせの体勢から身体を跳ね上げ逆立ち。全身を伸ばして、一樹の顔面へと両足を叩き付ける。今までぐったりしていたとは思えない挙動だった。
「白か……」
 頬を撫でつつ、眼鏡を直す。スカートのような行灯袴でこのような蹴りを放つものではない。その場の勢いに任せて放ったので、本人に自覚はないようだが。
「なぜ、そこでワタシの頭痛の原因を思い返すのですか!」
 机の上に仁王立ちし、腰に左手を当て、右手の指先を一樹に向ける。目端をつり上げ、額に怒りのマークを浮かべていた。鈴音にとって大学生レベルの物理はかなり苦痛のようである。最初は興味津々だったが、内容が分からず三十分でダウン。
 しかし、一樹はレポート用紙を示しながら、
「面白いじゃない、物理って」
「あう〜」
 途端萎れたようにその場に崩れ落ち、机に突っ伏す。お守りが頭の傍らに落ちた。
 鈴音の頭は大体小学生高学年レベルのようである。ただ、勉強は苦手らしい。そこに大学生レベルの熱力学、午前中の三時間。見ての通りの有様だった。
「小森」
 声をかけられ、視線を移す。
 見慣れた男が立っていた。身長百七十センチくらいの中肉中背。目付きはやや鋭いが、そこはかとなく気の弱そうな面持ち。深緑のシャツに白いカーディガン、カーゴパンツと黒いスニーカーという格好。普通の青年を装うことには成功している。
「樫切か。何か用? 図書館に来るなんて珍しいけど」
 漫研仲間の樫切浩介だった。ただ、昼休みは漫研の部室に居ることが多い。図書館に入ってくるのは珍しいことである。
「用事、というか……。この子」
 と、浩介は迷うことなく鈴音を指差した。
 ぐったりしたままの鈴音。指を向けられたことに気づいて視線を上げる。
 目蓋を少し動かしてから、一樹は浩介を見つめた。鈴音が言っていた術師である可能性がある一人。特別驚くようなことではない。
「見えるのか、鈴音が?」
「ああ。身長四十センチくらいで、巫女装束着て首からお守り下げてる生意気そうな女の子。アホ毛があって、もみあげに白い布巻いている。今は机に突っ伏してる。にしても、小さい相棒連れ歩くのって最近流行ってるのか……?」
 浩介は鈴音の特徴を正確に言い当てた。実際に見えているということを証明したのである。鈴音が言っていた術師であることは確実だろう。
 鈴音が浩介を見上げたまま、訝しげに眉を傾けた。
「あなた、化生の類なのですか? 何だか人間とは――」
「お願いだから、俺の大学生生活を壊すようなことは言わないで」
 静かに、だが必死な声音で言葉を遮る浩介。口元がひきつっている。何か事情があるらしい。本人は答えたくないようなので、訊くこともない。
 眼鏡を動かし、一樹は第一に考えていた疑問をぶつけた。
「この子福の神って自称してるけど、何者か分かるか? 樫切は術師なんだろ?」
「いや、全然分からん。俺の家系、そっち系の仕事の下っ端だし、俺は血が薄れて一族から外れちゃってるから、そういう詳しいことは全く分からん」
 ぶんぶんと右手を振る浩介。
 いくつか嘘をついている――。一樹は表情に出さず、そう判断した。もっとも、面倒事を避けるために言っているようなので、追求しても意味はないだろう。
 鈴音がその場に起き上がり、机の上に腰を下ろした。胸元に落ちたお守りを直し、髪の毛を梳いてから、黒い瞳に好奇心を灯して浩介を見つめる。
「でも、あなたは結構強い力を感じるのです。それに力の質も高いのです。何か高貴な方なのですか? 全くそうは見えないのですけど……。不思議な人なのです」
「頼むから、黙ってて。お願い。こっちに複雑な事情があるから」
 両手を顔の前で合わせ、必死に頭を下げる浩介。一樹には分からないが鈴音には分かることがある。それは、浩介にとってかなり触れて欲しくない事のようだった。
 その態度に、一樹は率直に結論を出す。
「樫切じゃ当てにならないってことかな?」
「うん。そういうこと」
 あっさり肯定する浩介。一樹から視線を逸らしつつ、間を取るようにやや長めの黒髪を手で払う。一呼吸置いてから視線を戻し、訊いてきた。確認するように。
「お前のことだから術師の残りも見当付けてるだろ?」
「うん」
 一樹は頷いた。名前は出さない方がいいだろう。
 浩介は何度か首を縦に動かしてから、右手を横に振った。
「それは多分当りだ。そっちには話し付けとくから、詳しいことは向こうから聞いてくれ。俺はこういうの苦手だから。じゃ、俺はここで。放課後、漫研でな〜」
 口早にそう言い終わるなり、踵を返して足早にその場を後にする。
 その後ろ姿を見ながら、鈴音が一言。
「変な人なのです」

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