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第3話 鈴音の御利益 |
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左腕で鈴音を胸に抱えたまま、朝の街を歩いていく。ウインドブレーカーにチノパンとう格好で、足は靴下とサンダル穿き。さすがにちょっと寒い。 「朝の空気は心地よいのです。やっぱり、朝の散歩は素晴らしいのです」 左腕に捕まったまま、上機嫌に足を動かしている鈴音。 あれから、人形の振りをさせて台所のテーブルに待機させてみたが、家族の誰も鈴音に気づかなかった。今も、すれ違った人が視線を向けてくると言うことはなかった。本当に一樹以外の人間には見えないようである。 「本当に、見えないんだな……」 「本当なのです。ワタシは人間じゃないのです。福の神なのです。普通の人間には見えないのです。一樹サマがワタシを抱えているのも、誰も気に留めないのです」 得意げに指を動かし、鈴音が身体を捻って見上げてくる。透き通った黒い瞳が向けられていた。何だかよく分からない自信を宿した澄んだ眼差し。 それから、ふと思いついたように左右をみやった。左手を目の上にかざして、視線を動かす。黒い髪がさらさらと揺れていた。 「ところで、一樹サマはこれからどこに行くつもりなのです?」 「君が『散歩は身体にいいのです』って言うから、散歩してるだけだけど。どこに行くかは考えてないなぁ。三十分くらいぶらぶらしてから、帰る気だ」 朝食の後、リビングでぼんやりとテレビを見ていたら鈴音に散歩に連れ出された。いつも寝ている時間なので、起きていてもやることがなかったので、鈴音を連れて散歩に出掛けることになった。この時間の散歩は久しぶりである。 「一樹サマは計画性がないのです」 「散歩に計画性は必要ないって」 ぽんぽんと鈴音の頭を叩きながら、一樹は答えた。 「あ」 鈴音が声を出す。 訝るように眼鏡を動かしその視線を追うと、その先にあったのは自動販売機だった。本屋の入り口近くに置いてある、自動販売機。まだ朝なので本屋は閉まったままである。 自動販売機を指差しながら、鈴音が快活な声で急かす。 「ワタシの福の神の力を見せるのです」 「自信満々だな」 鈴音の言いたいことを察し、一樹は苦笑しながら自動販売機へと足を進めた。 赤い外観の自動販売機。携帯電話対応で、ルーレット式の当り機能がついている。並んでいる飲み物の種類は普通だ。鈴音がじっと見ているのは当り機能。それを当てて、自分の福の神としての力を証明する気だろう。 「頼りにしてるぞ?」 「任せるのです。ワタシは福の神なのです!」 自信満々に言う鈴音を横に下ろし、一樹は財布から百二十円を取り出し、硬貨投入口に入れた。並んでいる飲み物の半分ほどにランプが付き、購入可能を示す。 オレンジジュースのボタンを押すと、機械音が響き、取出し口にオレンジジュースが落ちてくる。と、同時にルーレットが回り始めた。 オレンジジュースを取出しながら、一樹は鈴音を見やる。 「さて、どうなるかな?」 「ワタシの力を信じるのです!」 そう断言しているが、頬に冷や汗が浮かんでいることには気づかないでおく。 ピピピと小さな電子音とともに液晶画面で回転するルーレット。普段は気にも留めないルーレットを、じっと見つめること約三秒。 パパーン。 電子音のファンファーレとともに、当りに止まった。液晶画面からルーレットが消え『三十秒以内にボタンを押して下さい』という文字が現れる。 「おお! 本当に当たったよ」 「えへん、なのです。これが福の神の御利益なのです」 両手を腰に当てて、得意満面の笑みとともに胸を張る鈴音。こっそり安堵の息を吐いていることには気づかないでおく。意外と小心者なのかもしれない。 「ありがとな」 礼を言いながら、一樹はアイスココアのボタンを押し、出てきたココアを取り出す。 嬉しそうな笑顔を見せる鈴音。 「どういたしましてなのです。ワタシは福の神なのです。主である一樹サマに小さな幸運を運ぶのは、ワタシのお仕事なの――」 パパーン。 という音に、はっと自動販売機を見やる。ルーレットが再び当りを示していた。 三十秒以内にボタンを押して下さい、という文字。さらにに減って行く数字。 これは予想外だったのだろう。ぱたぱたと両腕を振って、鈴音が叫ぶ。 「か、一樹サマ! 三十秒以内なのです、早くボタンを押すのです!」 「う、うん」 頷きつつも、三本目の事は考えてなかった。持っていたオレンジジュースとアイスココアを鈴音に押しつけてから、自販機の商品をぐるりと見回す。 ほとんど当てずっぽうでボタンを押した。 『濃厚豚骨拉麺スープ缶』 押してから、商品名が目に入る。だが、手遅れだった。 ガタン、と音を立てて落ちてくる豚骨拉麺スープ缶。取り出してみると、豚骨ラーメンの絵が描かれた熱い缶だった。多分、お汁粉やコンソメスープなどの親戚だろう。ただ、飲むのに躊躇する代物ではある。 さすがに三度目の当りはなかったが、それはさておき。 「どうしよう、これ?」 かなり本気で戸惑いながら、缶を鈴音に見せる。 両手でジュースを抱えたまま、ぽかんとスープ缶を見つめる鈴音。頬を一筋の汗が流れ落ちた。五秒ほど呆けた表情を見せてから、一度頷いて、きっぱりと言い切る。 「禍福はあざなえる縄のごとし、なのです!」 一樹は鈴音の額に軽いデコピンを打ち込んだ。 |