Index Top 第8話 不可解な私闘 |
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第7章 銀一の本気 |
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妖狐の都の中央通り。 術によって一帯が薙ぎ払われ、地面が剥き出しになっていた。通りの左右に並んでいた建物は跡形もない。遠くには都の南門が見えた。そこから外に出られるのだろうが、銀牙が行く手を阻んでいた。淀んだ眼差しで銀一を見据え、大太刀を持ち上げる。 対する銀一は、白鋼の大剣を持ち上げたまま、銀牙を睨み返していた。 「お前は大人しく眠っていろ……。亡霊が目覚める必要は無いはずだ」 その表情は見えないが、銀一が別人になっている。いつもと同じ後ろ姿なのだが、それは銀歌の知らないものだった。口調も鋭利で力強いものに変わっている。いつものシスコン馬鹿のものではない。 置き去りを喰らった気分で、銀歌は口を開く。 「何をした、お前?」 「真面目モード」 「は?」 帰ってきた言葉に、さらに気の抜けた声を上げた。 「真面目モード? 何だそれ……」 真面目な口調で告げられた適当な名称に、疑問符が溢れてくる。思考が現状に追い付かない。銀一にとっての切り札らしいが、納得はいかない。 銀一は両手で構えた大剣を大上段に振りかぶり。 「跳べぇッ」 そのまま投げつけた。覇力の術によって、力任せに。 巨大な重量物が回転しながら、銀牙へと迫る。真正直に受ける者はまずいないだろう。避けた方が効率がいい。その定石を無視し、銀牙は跳んできた大剣を左手で受け止めてみせた。二百キロ近い鉄板を軽々と。桁違いな身体能力強化。 「目眩ましにも……ならない、ぞ……?」 擦れ声で呻いてから、銀牙は大剣を無造作に投げ捨てる。 そこへ銀一が突っ込んだ。右手を引き絞り、何かの術式を作りながら。縮地の術による加速からの突進。速い突進だが――見切れないほど速くもない。 無造作に振下ろされた大太刀が、銀一の身体を斬り裂く。 「アニキ!」 狐耳と尻尾を立て、銀歌は叫んだ。 左肩からみぞおち辺りまで、刃毀れした肉厚の刃が斬り込んでいる。普通の狐だったら両断されていただろう。持ち前の頑丈さと金剛の術の防御で両断は避けたようだが、明らかに致命傷だった。鎖骨や肋骨、左肺が容赦なく斬られている。刀に絡んでいた稲妻が、銀一の身体を貫き、周囲に激しい紫電を放っていた。 「そう来ると思ったよ!」 銀一の右手が銀牙の胸に伸びる。傷を意に介していない。 だが、銀一では銀牙の防御を貫くことはできない。制御力は極めて高いが、法力の出力自体はそれほどでもないのだ。そう銀歌は判断したのだが…… 伸ばした人差し指と中指が、銀牙の胸を突く。 「ぐ!」 銀牙が肩を跳ねさせた。手足が強張り、銀色の髪が揺れる。見開かれた真紅の眼。頬に脂汗が浮かんでいる。何をしたかは分からないが、銀一の攻撃が効いていた。不規則に痙攣を始める身体。 黒い着物の上から左手で胸を押さえ、銀牙が後ろに蹌踉めく。 銀一を斬っていた刀が引き抜かれた。 「何を……! した……! これは……毒かッ!」 苦しげに顔を歪め、左手で胸を押さえたまま銀一を睨む。口と鼻から流れ落ちる赤い血。銀牙は咳とともに血を吐き出していた。身体の痙攣は収まらず、咳も吐血も止まらない。掴んでいられず、大太刀が地面に落ちる。消化器か呼吸器か、もしくは両方に大きな損傷があるのだろう。冗談のような量の吐血が、黒い着物を汚していた。 対して、後ろに跳退いた銀一の傷は、既に塞がってる。 「ちょっと待て……。嘘だろ、おい?」 一瞬にして広がった形勢に、銀歌は目を点にしていた。 持ち前の頑丈さと超回復力を生かした半ば防御無視の突撃。そこから、法力を限界まで細く絞り、注射針のように突き刺し、毒を注入している。そう簡単にできることではないが、銀一はそれをやってのけた。しかも、注射したのは相当な猛毒らしい。 「ぐあ――がアぁ……! 散れェ!」 血を吐き出しながら、銀牙が右手を横薙ぎに振った。溢れ出る妖力が洪水のように広がり、空間を埋め尽くす。全方向へ放たれた妖力と、展開される単純な雷の術式。妖力と術式が繋がり、大規模な雷撃を作り出す。 ――直前に、銀一が右手人差し指を前に向けていた。 「誘雷針」 紫色の閃光が弾ける。 ほんの刹那の時間。周囲に満ちた雷撃が、銀一の手元に集束。光の槍となって、銀牙の胸を貫いた。周囲に微弱な雷を広げて、発生した雷を集め、指向性を持たせて放った。銀牙の胸に、風穴が空いている。心臓が消し飛んでいた。 雷術を雷術で相手に返す――原理的には可能だが、実行はまず不可能だ。 銀一が動きの止まった銀牙に接近、その額に拳を打ち込む。何かの術式が見えたが、それを読むことはできなかった。攻撃系ではないようである。 「さすが……だ……!」 口元から血を流しながら、銀牙が後ろに回り込む銀一を眼で追っていた。だが、身体があらぬ動きをする。右手が曲がり、足が明後日の方に踏み出す。その顔に映る焦り。身体が意思通りに動いていない。さきほどの一撃で、神経伝達を乱されたようだった。 銀一の手に一本のメスが握られている。 銀色の刃がまともに動けない銀牙の首筋に突き立てられた。硬い破裂音。 「かッ!」 銀牙が白目を剥く。大きく口を開き、擦れた息を吐き出した。何かしらの方法で脳を破損させたようである。猛毒の注射、相手の術を利用し心臓を破壊、神経伝達の攪乱、脳への直接攻撃。圧倒的とも言える実力差を、道具と奇策で覆している。 「あたしを止めるって言ってたのも、あながち嘘じゃないんだな……」 銀一を見ながら、銀歌は眉を下げた。尻尾を下ろし、奥歯を噛み締める。 妖狐の都を出奔し、不良少女から犯罪者へと墜ちた自分。銀一は本気で止める気だったらしい。今の銀一の手札を見る限り、昔の銀歌を倒すのは十分に可能だろう。 銀一は銀牙から一度距離を取り。 「ふへっ!」 いきなり気の抜けた息を吐く。糸が切れたかように、へなへなとその場に崩れ落ちた。今まで纏っていた威風堂々とした気迫が掻き消えている。 「おい、アニキ!」 銀歌は慌ててそちらへと走った。 壊れた人形のように動いている銀牙の横を駆け抜け、倒れた銀一に駆け寄る。仰向けに倒れた銀一の肩を掴み、引き起こした。放心状態の銀一。 「しっかりしろ!」 「うぅー、時間切れだぁ……」 弱々しい声で、銀一が応える。意識は辛うじて残っているが、動ける状態ではない。全身が脱力していて、自力では立つこともできないようだった。真面目モードとやらの反動なのだろう。 「チクショウが!」 銀一の右腕を肩に担ぎ、銀歌はその場から走る。術が使えないため、歩くのと大差ない速度。それでも銀牙から離れなければいけない。この状態では戦うのは論外だ。 「飛……べ……!」 「銀、歌ッ!」 身体が浮いた。音が消える。 視界が何度もひっくり返り、あちこちに衝撃が走った。不思議と痛みはない。意識の冷静な部分が、銀一が身を挺して庇ったのだと教えてくれた。 数瞬か、数分か。長いのか短いのか分からない時間を経て。 重力が戻る。 「ぐぅ」 背中から地面に落ちる銀歌。音と感覚も戻ってきた。何度か転がってから、うつ伏せのの体勢で止まる。あちこちが酷く痛んだ。痛いだけで、致命的な怪我は無い。巫女装束による防御が無かったら、かなり悲惨なことになっていただろう。 「おい、アニキ……?」 その場に立ち上がり、銀歌は周囲に目を向けた。 銀一が仰向けに倒れている。全身焦げて、白い煙を立ち上らせていた。着物は半分焼け散っている。全身に酷い火傷を負い、あちこちから激しく出血。手足もおかしな方向に曲がっていた。骨折は一ヶ所や二ヶ所ではないだろう。 「これで……終わりだ……!」 銀髪と尻尾をなびかせ、銀牙が飛んでくる。胸に空いた穴はそのままだが、動ける程度に回復していた。妖怪ではない魔物。その身体は、妖怪以上に頑丈である。頭を壊されても動くことさえあるのだ。 ぼろぼろに刃毀れした大太刀を振り上げ、銀歌目掛けて振下ろす。 「させるかァッ!」 銀一が跳ね起き、銀歌の前に立ちはだかった。振下ろされた刃を両手で白刃取りする。動かない身体を無理矢理動かし、ありったけの法力を込めて、刃を止めていた。 「銀歌は、ボクが命に代えても守る……! それが兄の義務だ!」 そう断言する銀一。全身が震えているが、太刀を放すことはない。一体どこから湧き出しているのか分からない力で、刃を掴み止めたまま、銀牙を睨み据える。 「それに、偽物とはいえ――お前に銀歌を殺させたりはしないッ!」 「オレは……お前たちを……殺さないといけない……」 銀牙が大太刀を引く。一度後退してから、全身に妖力を込め、銀一めがけて大太刀を振下ろした。両断どころか、粉砕してしまう威力の斬撃。 もう後が無い。 必死に銀歌を守ろうとする銀一、何も出来ない銀歌。絶体絶命の状況で、銀歌は思い切り叫んでいた。銀一の言葉を信じて、自分の叫びに言霊を乗せて。ただ純粋に。 「頑張れ、お兄ちゃんッ!」 その一言に。 ドゴォン! 銀牙が真後ろに吹っ飛んだ。数十メートルも飛んでから地面に落ち、何度か転がってから、体勢を立て直し両足で立つ。その顔に浮かんだ驚愕。 すっぽ抜けた大太刀が、回転しながら近くの地面に刺さった。 「ふふふ、ふふ、ははははは……」 振り抜いた右拳をゆっくりと引き戻す銀一。 「はーッははははァッ! 待っていた、待っていたよ、その言葉をッ! 頑張るさ、頑張るよ、頑張っちゃうぞォ、お兄ちゃんはァ! 可愛い妹に頼まれて、格好いい姿のひとつも見せられないってんじゃあ、兄の名が泣くってもんだ!」 豪快に咆えながら、引き戻した拳を真上に掲げている。その身体から炎のような法力が燃え上がっていた。パチパチと音を立てる小さな稲妻のようなもの。その法力は、銀一の作れる量を遙かに上回っている。 おかしなスイッチが入っていた。 「あ、アレぇ……?」 予想以上――というか想定外の結果に、銀歌は狼狽える。狼狽えることしかできない。地面にへたり込んだ身体はもう動かず、言霊も使えないのだ。 両腕を広げ、銀一は狂ったような哄笑を上げていた。 「行くぜ、行ってやるぜェ! 燃えろ、咆えろ、ボクの魂ィ! まだまだ……まだ、まァだ、こンなもんじゃァないぞォ! これがボクの……ボクたちの兄妹愛だァァ!」 溢れる法力はさらに強まり、夜の空を震わせている。銀牙の妖力をも上回るほどの、不条理な法力量。いつの間にか身体の傷も完治していた。焼け焦げた衣服が、再生するように元に戻っていく。修復の術の応用なのだろうが。 「銀歌が願うなら、銀歌が望むなら、銀歌が信じてくれるなら! ボクはいくらでも頑張れる! 強くなれる、立ち上がる、前に進んでやる! さあ覚悟はいいか、亡霊――」 銀一は勢いよく銀牙を指差した。 |