Index Top 第8話 不可解な私闘 |
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第6章 過去の亡霊 |
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無人の妖狐の都を、銀一が突き進む。 銀歌を右腕でかかえ、白鋼の大剣を背負ったまま、銀一は全速力で走っていた。瞬身の術を用いての疾走。縮地の術による超高速移動ほどではないが、かなり速かった。少なくとも銀歌が瞬身の術で走るよりも速い。 「いざ、突き進めーッ!」 左手で前方を示したまま、銀一が元気に声を上げる。 足が石畳を蹴るたびに、大きな衝撃が銀一の身体を揺らしていた。尻尾や髪の毛が跳ねている。抱えられている銀歌にも、重い衝撃が伝わっていた。 「その剣捨てろ……! 重いし邪魔なだけだろ」 銀歌は銀一の背負っている剣を指差す。衝撃の原因はこの重たい剣だった。石畳を蹴るたびに、この大剣の重量が反動として跳ね返っていた。こんな重い剣を背負ったまま走る理由が分からない。 「でっかい剣は男のロマン、それを捨てるなんてことはできないよ。それに、これは多分持った方がいいし、ボクも使ってみたい!」 そう言い切って、銀一が剣を示す。捨てる気は無いようだった。 早々に諦め、銀歌は後ろに注意を向ける。重いもののぶつかり合うような音が聞こえていた。草眞と葉月たちが戦っているらしい。ただ、それほど離れていないのに、その戦いの気配が急に薄くなっていく。 「草眞があたしらを追って来ないってのが気になるな……」 「多分、ボクたち向けの刺客がいるんだろうね。そのうちこっちに来ると思う」 銀一の推測は素っ気なかった。 想像できないわけでもない。普通に考えれば、誰でもその結論に行き着くだろう。追っ手は一人だけでなく、複数居る。そのうち銀歌たちの前にも現れるだろう。 「大丈夫、銀歌はボクが守るッ!」 「………」 爽やかな笑顔で左拳を握る銀一に、銀歌は右手で頭を押さえた。根拠も無いのに自信満々な態度である。本気で銀歌を守ると考えているようだった。まあ、銀一は常に本気である。ついでに、時折不条理な力を見せたりもするので侮れない。 夜の冷たい空気が頬を撫でていた。背後から聞こえていた葉月たちの戦闘音は既に聞こえなくなっている。銀一の走る音だけが響く静かな夜の闇。空に浮かぶ、帯状の朧雲と羽雲、そして東の空に浮かぶ月。 「誰が来ると思う?」 銀歌は声を抑えて尋ねた。敬史郎と葉月の前に草眞の分身が現れたことを考えると、銀歌たちに仕向けられる者は、銀歌か銀一に対して関係のある者だろう。自分たちに関係があり、突破すべき壁となる者。 銀一は左手で顎を押さえ、少し考えてから、 「銀牙、かな?」 「銀牙……」 出てきた名前に、銀歌は眉根を寄せる。 白鋼の書庫にあった古い本に載っていた名前。大昔に白鋼が倒した魔物らしい。それが自分に関係していることは、直感的に分かった。しかし、いくら調べても銀牙に関する情報は出てこない。文献に残されない類の、いわゆる非公式の魔物なのだろう。 「お前、知ってるみたいだな……」 「うん、ボクたちの前世」 銀一の答えは、やはり軽かった。 脇に抱えられたまま、銀歌は両手で頭を抱える。頭痛を覚えたような気がした。錯覚ではないだろう。自分の中にあった何かが音を立てて崩れていく。 なぜか得意げに、銀一は説明を続けた。走りながら息も乱さず。 「七百年前に存在した妖狐の魔物だよ。当時の白鋼さんに倒され、およそ百年前に力と記憶が別々に復活して、今に至る。それが、ボクと銀歌なんだけどね」 それは、全く予想外というものでもない。納得の行く答えである。自分と銀一が元は同じだったという結論が気にくわないことを除けば。世の中を見回しても、予想から大きく外れた事実が飛び出すことはそう多くない。 ぐるぐると思考を空回りさせてから、 「こういう事って、そんなあっさり言うもんじゃないと思うが……」 「もったいぶっても仕方ないじゃない」 あっけらかんとした銀一の答えに、一瞬納得しかけ―― 銀歌は頭を左右に振る。だが、否定するのも意味がない。銀一のこの態度は今に始まったことではないし、何を言っても矯正することはないだろう。 表情を引き締め、銀歌は親指で自分を示した。尻尾を動かしつつ、 「つまり……その銀牙の力を受け継いだのがあたしで、記憶を受け継いだのがお前ってことか。あたしの先天的な妖力の強さは、そのせいか……」 「うん。そういうこと」 得意げに頷く銀一。子供が計算問題を解けたのを褒めるような口調だった。頭を撫でようと伸ばした左手を払い退けつつ、 「お前がやたら頑丈なのもソレのせいなのか?」 「いや、それは普通に偶然」 そう答える。納得いくか否かと問われれば否だが、さほど関係は無いだろう。 銀歌は続けて尋ねた。片眉を下げつつ、 「記憶を受け継いだってのは?」 「銀歌が知る必要は無いよ。過去の記憶持ってるって言っても、他人の日記読んでるみたいで現実感無いけどね」 窘めるように言ってくる。答える気は無いようだった。答えたくないのだろう。 銀牙を二人に分けたのも、おそらく白鋼だ。銀牙の情報を可能な限り隠蔽したのも白鋼だろう。具体的な証拠は無いが――。そこには何かの意図を感じる。力を持っていた銀歌。だが、銀歌の力は身体ごと白鋼に奪われてしまっている。記憶を持つ銀一はその記憶を話す気は無い。今の銀歌は、前世の記憶も力も持たぬ、ただの子供の半妖狐。 (まるで、あたしから銀牙の痕跡を消そうとしてるみたいじゃないか……) 心中で唸る。実際その通りなのだろう。何の意図があるかは分からないが。 声が割り込んできた。真後ろから。 「話は……終わった、か?」 「うむ」 銀一が頷き―― 「崩れ、ろ……」 辺りに満ちる、想像を絶する量の妖力。 (殺られるッ!) 術の規模に戦慄しながらも、銀歌は息を止める。研ぎ澄まされた意識に、かつて白鋼に一度だけ見せられた理の力を思い浮かべた。世界そのものが不安定化したような何とも不思議な空気。その空気を記憶から現実へと引き出し、言葉を乗せる。 「あたしはここにいるか!」 地面が消えた。 視界が真っ白に染まり、周囲のものが消える。音が消えた真っ白の世界。家の破片らしき角材が紙のように舞っているのが見えた。およそ十秒ほど。 光が収まった後には、何も無い地面だけが残っていた。周囲五百メートルほどが更地になっている。大規模な破壊術だろう。その周囲の建物もことごとく倒壊していた。地面から立ち昇っている白煙。焦げた臭いが漂っている。空気が熱い。 「おあッ」 地面に足を取られて、銀一が前のめりに転倒した。 腕から抜け出した銀歌は、何とか両足で地面に着地する。地面は空気以上に熱い。 二百キロ近い重量物を背負ったまま、銀一が地面に突っ伏していた。ぴんと伸びていた四本の尻尾が、萎れるように倒れている。 「重いぃ……熱いぃ……」 背負った大剣の重量と地面の熱に、苦しげに呻いていた。 銀一は無視して、銀歌は辺りに視線を向けた。言霊で術を透過させたため無事である。怪我はなく、普通に動くことができた。しかし、無傷の代償は大きい。 一人の妖狐が立っていた。 それが銀牙だと、本能的に理解する。 「お前たち……か……。オレの……生まれ変わり……」 長い銀髪をなびかせた背の高い妖狐だ。身長は二メートル近い。男とも女ともつかない顔立ち。大人しくしているなら、かなりの美形だったかもしれない。目蓋を半分下ろし、光の無い真紅の瞳で銀歌たちを見ている。まるで半分死んでいるような目付き。身に付けているのは、古ぼけた着流しのような黒い服だった。 「殺すのか……また……。喉が、渇く……」 銀牙がぼそぼそと続ける。独り言のような濁った声音。右手には刃渡り四尺はある刃毀れした大太刀を下げていた。鞘は無い。その刀身に紫色の稲妻が絡みついている。 銀歌たちを見ているが、思考は別の方向にあるようだった。 「アニキ……」 「何だい、妹よ?」 声に応えるように、銀一が顔を上げる。例のごとく無傷。 何もせずに待っている銀牙を横目に見ながら、銀歌は右手を差し出した。 「今ので、もうあたしは術を使えない……」 奥歯を噛み締め呻く。右手に狐火を作るが、マッチの火のような弱々しい炎しか現れない。言霊の反作用のせいで、術が使えなくなっている。狐火ですら最大でこの程度。それでも、咄嗟に使わなければ死んでいただろう。 元々大した力は出せないが、完全に戦力外になってしまった。 「分かった。後はボクに任せろ」 銀一が両手を突いて起き上がった。実力差は目に見えているのに、緊張もしていない。布を解き、背負っていた大剣を横に下ろす。 「お前が……オレの相手をする……のか……?」 銀牙が銀一に注意を向けた。淀んだ目付きにやる気は無いが、その強さは紛れもなく本物だ。術の火力は、かつての銀歌と同等。あるいはを超えているかもしれない。 しかし、銀一は怖じることもなく頷いた。 「うむ。どうやら、ボクの本気を見せる時が来たようだね。銀歌を止めるために使うかもしれなかった力、銀歌を守るために使えるなら――望むところだ!」 白鋼の大剣を持ち上げ、前に足を進める。銀歌を守るように。銀牙と対峙するように。大きく深呼吸をしてから、背筋を伸ばす。その空気が――変わった。 「何だ……?」 突然の変化に困惑し、銀歌は銀一を凝視する。 何をしたのかは分からなかった。銀一の雰囲気が明らかに変わっている。普段の脳天気で軽薄なものから、毅然とした鋭いものへと。全身から放たれる静かで冷たい気迫。まるで別人に変身でもしたような変化だった。 「おい……?」 「妹を守るのが兄の役目。過去の亡霊はボクが止める――!」 大剣を構えながら、銀一は断言した。 |