Index Top 第8話 不可解な私闘 |
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第1章 深夜零時の襲撃者 |
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身体に凄まじい加速度がかかる。 銀歌はとっさに目を閉じ、すぐに開いた。 「え?」 一角が吹き飛んだ宿のが目に入ってくる。燃えてはいないものの、銀歌がいた部屋を中心に抉られたように建物の三割ほどが崩れていた。 そして、宿の庭や周りの林。そこから都の一角までが見える。 数拍置いてから、銀歌は自分が地上数百メートルの高さに居ることを理解する。視線を向けると白鋼の姿があった。右手で銀歌を小脇に抱え、左手を真上に掲げている。 「おい……。白鋼、それ……」 その手を包む、紫色の光。狐火と雷を固めた雷炎だった。 白鋼が使えるのはおかしくはない。狐火と雷を組み合わせるのは、教科書にも載っているような基本応用である。銀歌はそれをさらに精緻で鋭利にしただけだ。白鋼が銀歌の記憶を全て利用できるのはさておいて。 「無茶な――!」 銀歌が驚いたのは、妖力の量だった。 限界許容量を越える妖力を、多重装築によって無謀な量まで集めている。蒼焔術は鋭利さと貫通力を主軸とした一点集中型の術だ。ここまで規模を大きくする意味が無い。斧の大きさの剃刀が使えないように。 「これでも足りないんですよ」 困ったように首を振ってから、白鋼は左手を真下に向けた。狙いは宿。 蒼い光が閃き―― 地面に大穴が穿たれる。まるで落雷のように視界に一瞬だけ映った光の柱。瞬きにも及ばない時間で、全ての妖力を撃ち出していた。後れて響く雷鳴のような轟き。 宿の半分が消し飛んでいる。爆風によって全壊した宿と、なぎ倒された木々。庭園や東屋なども残らず崩壊していた。大型爆弾でも使ったような有様である。 そこで銀歌は地面が急激に近づいてくるのに気付いた。 「おい、落ちてるぞ!」 「跳んだんだから、落ちるのは当然でしょう?」 慌てた銀歌に、至って冷静な答えを返す白鋼。銀歌を右手で腋に抱えたまま、時速百キロ以上の速度で、落下していく。そして、地面へと落ちた。 トッ。 「あぅ?」 が、予想していた衝撃は無い。数百メートルの高さから落下したというのに、軽く跳んで着地した程度の軽い衝撃。飛翔の術からの跳躍だったようだが、ここまで着地の衝撃を減らせるものではない。それが白鋼の制御力なのだろう。 右手から解放され、銀歌は地面に降りた。少し蹌踉めいてから、体勢を立て直す。背筋を伸ばして尻尾を振ってから、乱れた髪の毛を指で撫でた。 「あー」 白鋼が銀色の眉を持ち上げ、ぽんと手を打っている。尻尾を一振り。 「なるほど、そうですね。ここは明石よりも東ですから、深夜零時は時計より早くなりますよね。いや、うっかりしてました。まさか律儀に現地時間で計算するとは」 呆れるほど軽い口調で呟き、何度か頷いていた。 おそらく相手が予告した襲撃時間のことだろう。白鋼が日本標準時刻で考えてたのに対し、相手は妖狐の都の経度から計算した時刻で襲撃したらしい。 「ったく……」 銀歌は額を抑えた。言うべき言葉が頭にいくつも浮かんでくる。どうでもいいものから重要なものまで。しかし、口に出すべき意見がまとまらない。 ひとまず一番最初に浮かんだものを口にする。 「無差別破壊ってのは、お前らしくないな」 白鋼が着地したのは宿の正門辺りだった。木の門は根本しか残っていない。周囲には倒れた木々や、壊れた宿の残骸などが無惨に散らばっている。被害半径は宿を中心に五百メートルほどだ。飛び散った破片はさらに遠くにまで被害を作っている。ぱらぱらと振ってくる木片や土、小石。 不思議とここには誰もいないと分かった。白鋼が何かした無人の世界。 「お前が得意なのは一点集中の術だろ?」 銀歌は白鋼に目を向ける。白鋼は大威力かつ高精度での攻撃を主体としていた。このような力任せの破壊は、どちらかというと以前の銀歌の戦法である。 「やっぱあたしの身体奪ったから、攻撃方法もあたしに似たのか?」 両腕を組み、銀歌は目蓋を下ろした。多少皮肉を交えて。 長身の銀狐。銀歌の以前の身体を奪い取ったものである。人格や雰囲気が白鋼のため、以前の銀歌の面影は残っていない。だが、他人の身体である以上、何かしらの影響を受けるはずである。普通に考えれば。 白鋼は狐耳の先を指で摘みつつ、緊張感無く答える。 「銀歌くんの考える通り、妖力の性質に合わせたのもありますけど……。相手が相手ですから、制御とか考えていられません。大火力で押し切るしか倒す方法が無いので。今ので妖力総量の一割半使ってます」 「一割半って……一体どんな相手だよ」 狐耳と尻尾を垂らし、銀歌は肩を落とした。一回の術に使う量ではない。 白鋼が言っているのは、宿へと飛んできた黒い影のことだろう。白鋼の言葉からどのような相手かは推測できる。だが、現実離れしすぎてて、その推測を認められない。 ガタ……。 響いた音に、銀歌は素早く音の方向へと向き直った。妖力を全身に通し、臨戦態勢を取る。自分に出来ることは無いが、何もしないつもりはなかった。 「あの、白鋼さん……。ボクがいたこと知ってて攻撃しました?」 現れたのは銀一である。今まで瓦礫に埋まっていたようで、全身に埃と泥がくっついていた。矢羽根模様の上衣や紺袴も所々破れている。爆発に巻き込まれて吹き飛ばされたらしい。普通ならば大怪我だが、銀一の場合は当然のごとく無傷。 「すみません。巻き込んでも平気と思ったので」 苦笑いとともに白鋼が答える。 銀一は服についた埃や泥を払いながら、不服そうに白鋼を見た。 「むぅ……。まるで銀歌みたいなこと言いますね。いえ、その身体は銀歌のものなんですから、銀歌の言葉なんですけど。せっかくなので白鋼さん、『頑張れ、お兄ちゃん』と言ってくれると、ボクは凄く頑張れる気がしま――がふッ」 白鋼が蹴り上げた拳大の石を顔に喰らって、銀一は倒れる。 銀一から注意を離し、白鋼は一度目を閉じて右手人差し指を持ち上げた。数度くるくると指を回してから、閉じていた目を開く。 「動きは無し……と。参りましたね」 ため息をついた。探知系の術で周囲を探ったようである。 無傷で起き上がった銀一が、銀歌の傍らに移動していた。狐耳と尻尾を立てながら大袈裟に両腕を組み、胸を張って言い切る。 「なら、妹はボクが命に懸けて守る……!」 「お前は何もするな! 事態がややこしくなる!」 銀一に釘を刺してから、銀歌は白鋼を睨んだ。本来はこうして気楽に話していられるものではない。緊急事態のはずなのに、白鋼の間の取り方がおかしい。 「何なんだよ、これは。敵はどっかに隠れたのか?」 「さあ、どうでしょう。いかんせん思考パターンが生物ではないので、行動が読めないんですよ。いつどこから仕掛けてくるか見当も……! 堅術・断天壁――」 印も結ばぬまま、白鋼が術を放っていた。術式すら察知できない速度で術を構成し、呪文一言だけで展開している。理解を超えた非常識な術構成速度。 莫大な妖力が収束し、巨大な壁を作り出した。城壁のように分厚く巨大な無色透明な防壁。術式は分からないが、見た限り高々度な防御術だろう。 金属を削るような異音とともに、壁に亀裂が走る。 「こいつ、か……!」 銀歌は眼を見開いた。身体を這い上がる悪寒。狐耳から髪の毛、尻尾まで総毛立つ。 不気味な怪物がいた。 風景の色を切り抜いたような闇色の獣人。髪を振り乱した狼男のような輪郭で、身長は三メートルほど。長い両腕と長い爪を持つ。顔はなく眼も口もない。そもそも身体の凹凸が全く見えない。空間そのものに開いた穴のように。 獣人が突き出した爪が、防壁を削っていた。壁に亀裂が走り、破片が散る。 「この防壁をこの速度で削りますか――!」 真紅の眼を見開き、白鋼は歯を食い縛っていた。右手をかざし障壁を修復している。妖力放出の余波で、銀髪と尻尾が激しく翻っていた。しかし、障壁は修復と同時に砕ける。亀裂が生まれ、その亀裂が消え、新たな亀裂が生まれる高速の修復と破壊。 「白鋼さん、何かお手伝いしましょうか?」 腕組みをしたまま尻尾を動かし、銀一があっさりと尋ねる。荷物を持つのを手伝うような、そんな気安さ。この切迫した状況で、いつもと変わらぬ口調だった。 振り向きもせず、白鋼は一言答える。 「銀歌くんを守って下さい……!」 「はい。頑張ります!」 敬礼とともに、銀一が元気よく返事をした。 「おい!」 勝手に決められ銀歌は思わず抗議の叫びを上げる。が、誰も聞いていない。銀一は上機嫌で銀歌の前に出てるものの、銀一がどうにかできる相手ではなかった。 獣人の後ろに見える通りから。 砲弾のような勢いで葉月が飛んでくる。敬史郎の法術らしく、姿は見えるのに音も気配も無かった。後ろに伸ばしていた右腕を、獣人の後頭部めがけて撃ち出す。 ………! 命中した衝撃はあったが、音は聞こえなかった。 拳が獣人の頭へと叩き込まれ、葉月が後ろへと跳ね返る。不意打ちから後頭部への渾身の一撃。だが、葉月の顔に映ったのは驚きだった。 「何、今の手応え……?」 戸惑いがらも、すぐさま胸の前で両腕を交差させ、金剛の術を発動する。鋼鉄以上に堅い身体に金剛の術。その防御力は極めて高いものとなる。 獣人が振り返った。 次の瞬間、葉月が粉々になっている。鋭利な刃物で斬ったように、無数の破片へと刻まれていた。体質上それで死ぬことはないが、数秒は無力化されるだろう。 「何だよ? これ……」 言い知れぬ恐怖に、銀歌は口元を押さえる。 葉月を意に介さぬ防御力も攻撃力も狂っているが、真に恐ろしいのはその速度だった。見えない、という生易しい表現ではなく――分からない。速過ぎて知覚が追い付かないのである。獣人が何をしたのか、その結果でしか理解できない。 白鋼が胸の前で両手を打ち合わせた。何かの術が完成している。 「時間稼ぎ、感謝します――」 渦巻く妖力に、銀髪が大きく広がった。 |