Index Top 第8話 不可解な私闘

第2章 白鋼の命令


 銀色の髪の毛や尻尾が激しく揺れている。
 白鋼は合わせていた両手を、前へと突き出した。
「空術」
 限界許容量を無視して引き出された莫大な妖力。狐耳と尻尾を立て、全身から凄まじい威圧感を放っていた。展開されているのは、意味不明な術式である。複雑すぎて断片すらその意味を把握できない。そんな超高位術。
「異空断界――」
 一辺五メートルほどの黒い正六面体が、獣人を閉じ込めた。落ちていた瓦礫、壊れかけの防壁も巻き込み、出現した立方体の結界。見たままの捕獲術だが、術式の難解さからするに本当に脱出不能な仕組みなのだろう。
「第百二十五式。今は現在、現在は未来……。全てはここに在らず終熄へと届く……」
 呪文を唱えながら、白鋼は目にも留まらぬ速度で大量の印を結ぶ。呪文と印の同時使用から作り出されるのは、またしても意味不明な術式だった。再び両手を打ち合わせる。パンという乾いた音。さらに桁違いな量の妖力が集束していた。
「空術・素子壊転――」
 ボッ……。
 気の抜けた音を響かせ、黒い結界が消える。
 そこには何も残っていなかった。地面が正方形に切り取られている。落ちていた石や瓦礫も、妖力の防壁もきれいな切断面を見せていた。地面の凹みに積もっている灰色の塵。結界内部のものを徹底的に破壊してしまったようだった。
 夏の夜の風が、積もった塵を少しだけ舞上げる。
「おー、さすがですねー。白鋼さん」
 パチパチと拍手しながら、銀一が笑っていた。事態を理解しているのかいないのか。多分理解した上で、この暢気な態度だろう。昔からそういう男である。
「何を……したんだ?」
 両手と尻尾を下ろし、銀歌は尋ねた。
 妖狐の都の涼しい空気とは別に、鳥肌が立つほど寒気がする。続けざまに繰り出された超高難易度の術。現実離れしすぎていて、思考が追い付かない。
「倒しました……」
 静かな呟きから、白銀がその場に膝をつく。白衣の袖と銀髪の先端が跳ねた。肩を上下させながら、脂汗を流している。恐ろしく疲弊しているのが見て取れた。
 防壁が空中に溶けるように消えていく。
「妖力は全部使い切りましたけどね……」
 事の重大さとは対照的に、白鋼の言葉はひたすら軽かった。使った術は合計四つ。それで、妖力総量を使い切っている。無茶苦茶だった。
 破片となっていた葉月が人型に集まって立ち上がっている。
「大丈夫ですか、御館様」
「ひとまず倒したみたいだな」
 足音もほとんど立てず、敬史郎が走ってきた。布のベルトでライフルを右肩に担いでる。腰や上着に何かの荷物を提げていた。小道具や小型武器だろう。
 全員の近くで脚を止めてから、四角く削られた地面を目で示す。
「何なんだ? さっきのは。見た限り、精霊のようだが」
「古代精霊の欠片みたいなものです」
 答えながら、白鋼は袖口から注射器を取り出した。五十ミリリットルの大型注射器で、指を固定する金具などが取り付けられている。中身は無色透明の液体で、キャップを外すと太い針が出てきた。
「あ。注射ならボクがやりましょうか? 注射は得意なんですよ」
「いえ、遠慮します。これ、特殊なんで」
 銀一の提案を断り、白鋼は注射針を自分の胸に突き刺す。迷わず。
「うっ……」
 銀歌は両腕で自分の身体を抱きしめた。嫌な鳥肌が立つ。
 注射針が白衣の上から根本まで打ち込まれていた。心臓への直接注射だろう。ピストンを押し込みシリンダ内の薬を心臓へと注入してから、注射針を引き抜く。抜くと同時に傷口が消えたようで、白衣に血は滲んでいない。
 キャップを付けた注射器を袖にしまい、白鋼は起き上がっていた。
「速い、頑丈、高再生力だけですけど……あれで守護十家当主並の戦闘力持ってますからね。前は神代に吹っ飛ばして貰いましたけど。この面子じゃそんな破壊力作れるのは僕だけですから。あれも、実験的な術で実戦では使えないんですけどねぇ」
 と、空を見上げている。
 空には白いちぎれ雲と月が浮かんでいた。澄んだ空気と月明かりに、都の様子がはっきりと見て取れる。いつの間にか、都を包む霞が消えていた。ここが妖狐の都でないと銀歌が気付いたのはその霞の有無である。
「なるほど。そういうことか……」
 敬史郎が呻いている。白鋼の言っている事に心当たりがあるのだろう。
「お前は、そんなバケモノをあっさりと……」
 地面の四角い穴を見ながら、銀歌は奥歯を軋らせる。守護十家当主に匹敵する強さ。それを倒せる者は、少ないもののそれなりに存在する。しかし、実際にその強さを見せられると驚くしかない。そして、白鋼に対して嫉妬している自分を、銀歌は自覚する。
「辛勝ですよ。葉月が時間作ってくれなければ、押し負けてました」
 それが本当かどうかは分からなかった。葉月の攻撃でできた隙から大術で畳み掛けている。しかし、葉月がいなくとも何か別の手を打っていたかもしれない。
 数秒考えてから、敬史郎が白鋼を見る。
「相手の目的は何だ?」
「本日午前零時から僕たちを攻撃する。それだけです」
 その答えに、銀歌は思わず叫び返していた。
「それだけって、それだけか? 何考えてんだよ?」
「古代精霊の考えを読むというのが無茶ですよ。生物のような思考は持っていませんからね。石や土や水に思考が無いのと一緒です。こちらの常識が通じません」
 と首を振る。
「それより……大丈夫ですか、御館様? 煙――出てますけど」
 葉月が驚いたように白鋼を見ている。
 いつの間にか、身体から薄い煙のようなものが立ち上っていた。その様子は有り体に言って滑稽である。妖力などが実体化して煙状になったもの。過剰回復などで起こる現象と銀歌の記憶にはあった。注射した薬の影響だろう。
「おおっ。これは凄い」
 銀一がその姿を見て、興味を示す。ぴんと立てた尻尾をぱたぱたと振りつつ、右手を顎に当てて白鋼を見つめていた。真紅の目を好奇心に見開きながら、
「白鋼さん。今何注射したんですか? もう妖力がほとんど回復してるようですけど。日本にある薬でそこまで強いのは、心当たり無いですよ」
「自作ですよ。まだ名前はありません。ほぼ違法薬品ですけど」
 右腕を振って、白鋼は笑った。
 立ち上っていた煙が収まる。涼しげにしているが、この短時間で妖力のほぼ全回復。副作用は尋常でないはずだ。もっとも、副作用を承知で使うのも白鋼である。
「そのうち死ぬぞ、お前……」
 狐耳と尻尾を下ろしながら、銀歌はジト眼で告げた。薬の投与で死ぬほど可愛げがあるはずもないが。常識が通じない相手を見るのは、精神的に疲れる。
 銀歌に微笑みを返してから、白鋼が両手を広げた。
「それでは」
 口寄せの術によってその手に現れる武器。
 左手に現れたのは、大口径の狙撃銃だった。敬史郎の狙撃銃よりも銃身が短く、不格好である。本来弾倉が装填される部分からは、断帯が伸びて袖の中に繋がっている。袖の内側には、口寄せ術の術印が仕込まれているらしい。かつて銀歌を撃ったライフル。
「こいつか……」
 白鋼の右手に現れた大剣を、銀歌は睨み付けた。
 敬史郎が言っていた鍛冶神大鋼鉄命の鍛えた業物。まさに鉄板だった。
 刃渡り百六十センチ、身幅三十センチ、肉厚五センチ。寸法はそんなところだろう。そんな無骨な鋼の板に、片刃が付いている。柄は四十センチほどで、白い布が粗く巻かれていた。単純計算でも重量は百キロ以上。
 実戦に耐える代物ではないが、白鋼にとっては問題にもならないようだった。事実、棒でも動かすように軽々と持ち上げ、峰を肩に乗せてみせる。
「第二回戦開始です。君たちは逃げてください。街の東か南から出られるはずです」
「え……逃げるんですか?」
 そう訊き返したのは葉月だった。両手を強く握り締めている。何かを殴るように。これから戦う気満々だったのだろう。だが、そこに告げられた逃げろとの言葉。
 敬史郎が肩に背負っていたライフルを下ろし、安全装置を外す。
「使う気か?」
「ええ」
 理の力。銀歌はそう判断した。
「だから僕から離れてください。外に向けて使うのを人に見られたくはないので。特に敬史郎くん、君にはね。君に僕の力を盗ませるわけにはいきません」
 大剣を下ろして微笑む白鋼に、敬史郎はため息とともにかぶりを振る。
「予想はしていたが、勘付かれていたか……」
「敬史郎さん?」
「あー。やっぱり」
 戸惑う葉月と、腕組みして頷いている銀一。
「お前なぁ」
 肩を落とし、銀歌は半眼で敬史郎を見た。吹き抜ける風に狐色の髪が揺れる。
 どうやら敬史郎は理の力を盗もうとしているようだ。それは当然かもしれない。すぐ近くに"イカサマ"と表現する不条理な力があるのだ。手を出さない方がおかしい。
 ライフルのストックで眼鏡を持ち上げ、白鋼は小さくため息をついた。
「敬史郎くん。君の向上心は立派です。でも、踏み込んではいけない領域もあります。君には理を制御する資質がありません。だから渡すわけにはいかない」
「言うと思った。今回は引かせてもらう。だが、諦めるつもりもない」
 真紅の瞳を見据えてそう言い切り、敬史郎は背を向けた。縛った黒髪が跳ねる。そのまま走り出した。白鋼に言われた通り、逃げる事にしたのだろう。
「敬史郎さん」
 それを追いかける葉月。脆くなった地面に、深い足跡が残っているのが見えた。
 白鋼が銀歌へと目を向ける。
「君もですよ、銀歌くん。銀一くんと一緒に逃げてください」
「あ、ああ……」
 やたらと元気よく銀一が右手を振り上げる。
「さあ、ともに行こう、妹よ! 銀歌の安全はボクが保証するッ! か弱い妹を守るのは、兄として当然の務めだ……あれ?」
 そこに立ち止まった敬史郎と葉月がいた。二人とも戦闘態勢を取っている。その少し先にはさきほどと同じ闇色の獣人が二体佇んでいた。
 攻撃してくる気配はないが、存在感だけで足を止めさせるには十分すぎた。
「ま、簡単に逃がしてくれるとは思ってませんでしてたけど」
「全員で総攻撃でもするか……?」
 半分自棄な笑みとともに、銀歌は誰へとなく問いかける。たった一体でさえ、白鋼が全妖力を消費しての辛勝。それが二体ともなれば、全員で攻撃しても勝ち目はない。
「理の力、使うのか?」
 銀歌は白鋼に視線を投げかける。
 理の力を攻撃に使ってはいけない――そう言ってはいたが、嘘だろう。だが、攻撃に使いたくない理由はあるはずだ。盗まれたりするからではなく、もっと深い理由が。
「使いませんよ。でも、僕が片付けます」
 白鋼が地面を蹴った。銀髪と尻尾が夜の闇に白い残像を残す。縮地の術によって、銀歌の横を駆け抜け、敬史郎と葉月の間を突っ切り、最前線へと躍り出ていた。
「禁術・停時幻空界」
 小さな囁きは、なぜかはっきりと耳に届く。

Back Top Next