Index Top 第7話 妖狐の都へ |
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第15章 動き出す時間 |
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窓辺に座った白鋼が、眠そうに半分目蓋を落とし、夜景を眺めている。 霞に覆われた夜の都。日付の変わる頃にもなれば、灯りはほとんど見えない。漆黒の空には無数の星が浮かび、流れる雲に月が隠れている。 「死者は出さないということは、つまりお役所用語的意味で怪我人は出すということなんですけど、また文句を言われてしまった……。明日からの会議では何を要求されるやら、と。九分九厘想像付くんですけどねぇ」 ガラスコップに入った麦茶を見つめながら、白鋼は愚痴っていた。 「刃之助くんには悪いですけど、入院一人で済んだのは我ながら頑張りました。うん。ここ最近碌に寝てないですけど……今日も徹夜予定」 「愚痴はいいから……」 座布団の上に座って、銀歌は半眼で呻く。日付が変わるまではあと、三十分くらいだろう。何か重要なことがあるだろうというのに、放っておけば朝まで愚痴を続けそうな雰囲気だった。愚痴魔とよく言われているが、事実だと思う。 葉月と敬史郎は刃之助の一件で警衛隊本部にいるらしい。 「ああ、そうですね。首輪外す方法見つかりました?」 麦茶を一口飲んで、白鋼がそう訊いてくる。 「まあな」 そう答え、銀歌は首に嵌められた首輪を外した。ごく普通に金属のバックル部分を緩め、留具を穴から外し、ベルト部分を引き抜く。 外された首輪を白鋼の前へと放って見せた。 「どうだ?」 床に放られた首輪を見つめ、白鋼は満足げに笑ってみせる。 「さすが僕が見込んだ逸材ですね。首輪を外せた理由を聞きましょう」 「どうってことはないさ」 久しぶりに拘束するものがなくなった首を撫でつつ、銀歌は答えた。肩が軽くなった気がする。と同時に、何だか寂しい気持ちもあった。 「もう何度も似合ってるとか言われてるし、いっそこのままずっと付けたままでもいいやって思ったら気楽になっただけだ。押して駄目なら引いてみろってね?」 「ふむ」 納得したように頷く白鋼。それが期待していた答えだろう。期待以上のことをして驚かせてやりたかったが、まだそこまでの実力はない。 銀歌は唇を舐め、緩く腕を組んだ。 目付きを険しくして、白鋼を睨む。狐耳と尻尾をぴんと伸ばしながら、 「さて、あたしからの質問だ。お前は一体何を企んでいるんだ? 今回の一件やあたしのことじゃない。もっとでっかいことだ。お前は、何を目的として生きているんだ? あたしが見た限り、明確な目的……いや、使命感が見えるんだが」 「世界を救うことが目的、と言ったら驚きます?」 涼しげに口した答えは、簡単にして意味不明だった。 尻尾を左右に動かし、銀歌は親指で眉間を押さえる。 「また意味不明なことを……」 世界を救う――言葉にすれば単純だが、それが一体何を意味するかは分からない。意味の幅が広すぎた。将来起る滅亡から世界を救うという意味にも聞こえるし、単純に世界をより良くしていくという意味にも聞こえる。事実上、答えになっていない。 だが、追求してもはぐらかすだけだろう。 銀歌は次の質問を口にする。 「じゃ、今回は何が起ってるんだ? いい加減話して欲しいものだが」 妖狐の都に来る前から、何か大きな事が起っているのは分かっていた。自分もその渦中にいるという意識もあった。しかし、白鋼や敬史郎は事情を話そうしないため、銀歌も未だに状況が把握できていなかった。 白鋼は麦茶を飲んでから、頭をかく。困ったように。 「実は今、古代精霊に命狙われてましてね」 「古代精霊?」 オウム返しに訊き返す。知らない言葉ではない。滅多に耳にするものではないが。 左手で眼鏡を持ち上げ、白鋼は真紅の瞳をきらりと輝かせた。 「人間の作り出す意志エネルギーが、数十万年単位で蓄積されたものですよ。作られる過程は精霊などに似ていますが、それらよりも遙かに長時間で構成されたため、膨大な力を持ちます。標準的な古代精霊一体につき、世界中の精霊の合計くらいですかね? もっとも、生物的な意志は持たず、精霊鉱物などと呼ぶ者もいます」 つらつらと説明してくる。教科書に載っているような内容だ。銀歌も昔教えられたことがある。地球上に存在する、極めて巨大な精霊。それが古代精霊だ。ただし、数は三十程度。意志や思考は持たず、自ら動くようなことはない。通常は。 銀歌の訊きたかったことはそうではない。 「それに命狙われる理由は?」 「個人的な理由で」 返答は予想通りのものだった。 曖昧に微笑む白鋼を、銀歌はジト目で睨む。 話の規模が大きすぎて、もはや驚く気にもなれない。本来なら、世界各国総出で取り組むような大問題だろう。それを個人的なものと言い切っている。さきほど口にしたの『世界を救うこと』という台詞も、本当に世界滅亡の回避という意味かもしれない。 何にしろ、銀歌の想像の外である。 「……で、どうするんだ?」 「朝までに片付けますよ、と」 白鋼は近くに落ちていた首輪を手に取った。腕を一振り。 カチリ。 首元から聞こえてきた音に、銀歌は慌てて両手を首に当てる。案の定、首輪が再び嵌められていた。しかも、外そうと思っても外れない。 「今のは1+1=2が解けた程度の難易度です。次は九九の暗唱程度ができるようになったら外れるようにしました。そうですね……ざっと五十年後くらいですか?」 「ふざけるなああああ!」 叫びとともに印を結んで右手を蒼焔で包み、白鋼へと手刀を打ち込む。 だが、白鋼は難なく右手で止めて見せた。手の平に作った小さな妖力の盾で受け止めているらしい。バチバチと制御を外れた稲妻が周りへと紫電を走らせている。 白鋼は左手に持ち替えたコップの麦茶を飲み干し、楽しげに笑ってみせた。 「さっき自分で言ったこと忘れました?」 「ソレとコレとは別だああッ!」 パンッ。 風船が破裂するような音が響き、銀歌は真後ろへと吹き飛ばされる。盾を破裂させたのだろう。ついでに術式破壊。右手を包む蒼焔が消えていた。 畳の上を一回転してから起き上がり、銀歌は歯を食いしばった。 「遊んでるのか、お前は! いつのものことながら……」 「遊び心って大事だと思います――と」 尻尾を動かし、白鋼が窓の外を見やる。 つられて銀歌も窓の外に目を向けた。 何かが一直線に飛んでくる。それが何かは分からないが、凄まじい勢いで銀歌たちのいる部屋へと向かってきていた。さながら砲弾を思わせるような黒い影。 「ちょっと予定より早かったですかね?」 ひたすらに軽い白鋼の言葉。 そして、銀歌たちのいる部屋が爆砕した。 「おじゃましまーす……と?」 霞丸は扉を開けて、瞬きをした。 白鋼と銀歌が泊まっている松の間。何度か呼び鈴を鳴らても無反応だったので勝手に入ってしまったが、誰もいない。扉の鍵は開いていた。 さきほどの一件について礼を言いに来たのだが、部屋には誰もいない。本音は松葉の説教から逃げるためなのだが。 「あ、れェ?」 白い髪をかきつつ、霞丸は無人の部屋を見渡す。さきほどまで人がいたという匂いは残っているが、今は文字通り気配すらない。隠れているということもないだろう。 「夜中の散歩ですかィ?」 無人の部屋を眺めつつ、霞丸は首を傾げた。 「箱庭の異界……。特定範囲の平行異世界を作り出す、儀式系の超大型術だ。妖狐の都全部を置き換えるとは思わなかったが、白鋼ならやるだろう。必要最低限を残して、妖狐の都そのものを平行仮想世界に保管したらしいな。いつもながら無茶をする」 バレットM82対物狙撃銃を持ち上げつつ、敬史郎は静かに呟いた。現在起っていることを、自分自身に言い聞かせるように。 狙撃銃の安全装置は外してあり、いつでも撃てる状態である。 葉月と一緒に紅葉屋へ向かっていた最中、いきなり身体から重力感が消え、辺りにちらほら見えていた警衛隊員の姿が消えた。周りに見える街並みは変わらない。 厳密には自分たちを残して、妖狐の住人全部が消えたのだ。仮想世界に構成された、本物と寸分違わぬ妖狐の都へと。移動させられた者たちは、自分が世界転移したことにすら気づいていないだろう。気づくのは、ごく一部。 「その必要最低限がわたしたちなんですね? 何が始まるんです……?」 両拳を握りつつ、葉月が周囲を見回す。今のところ危険なものは見られない。だが、それで安心できるような状況でないのは、空気が告げていた。 「白鋼の私闘だ」 敬史郎は淡々と答えた。 「始まったなー」 無人の庭に足を進め、銀一は空を見上げた。無数の星と雲の浮かぶ夜空。だが、もう普段の妖狐の都ではなくなっていた。異様な空気が辺りを包んでいる。これを何と表現するべきか上手い言葉はない。それを強引に表現するならば……畏怖。 目を移すと、宿の三階の一角が大規模に粉砕されて、炎と煙が上がっていた。銀歌のいる部屋だが、とりあえず白鋼がいるので心配は無い。 ぐぅ、と腹が鳴る。 「そういえば、今日はまだ何も食べてないなぁ……」 銀一はぼんやりと呟いた。 |