Index Top 第6話 銀歌、街に行く |
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第5章 出発 |
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「ううぅ……」 十分ほどだろう。狐耳と尻尾を弄られまくれ、銀歌は長椅子に突っ伏していた。時折ぴくりと狐耳と尻尾が跳ねる。全身を縛る正座した後のような痺れ。 「大丈夫かい? 風歌さん」 尻尾を動かしながら、晴彦が心配そうに声を掛けてくる。 同じ獣族として、この大変さは理解できるのだろう。他人の尻尾や獣耳を勝手に触るのが禁忌であるのは、明確な理由があるのだ。 「あぁ、何とか。でも腰が抜けて動けない」 銀歌は荒い呼吸を繰り返しながら、晴彦を見上げる。 「すまない、調子に乗ってやり過ぎた」 「ごめんね、ふぅちゃん。あんまり気持ちよかったから、つい夢中になっちゃって」 気まずそうに謝ってくる美咲と莉央。 「お前らはぁ」 目元に涙を浮かべ、銀歌は非難するように二人を睨み付ける。狐耳と尻尾に興味持つことは予想していたが、まさか十分以上も弄り倒されるとは思わなかった。 「ところで、これからどうしよう?」 晴彦が誰へとなく問いかける。 銀歌はその場に右腕を付き、上体を起こした。脱力した手足は思うように動かないが、何とか椅子の背もたれに寄りかかる。いつまでも寝てはいられない。 「どこか頼れる心当たりはあるか?」 「この辺りに知り合いはいないから、ちょっと無理だよ」 晴彦が首を左右に振った。ついでに尻尾も左右に動く。 この街は晴彦の縄張りの外。本来の仕事場はふたつ隣の県だった。信用できる知り合いもいない。親しげな口振りであるが、本心では銀歌も信用していないだろう。 「笹ヶ原は頼れないか?」 「うーん、無理だね。こっちも訳ありだから」 笹ヶ原一族。この辺りを担当している退魔師だった。建前上は妖怪同士の問題に人間は口を挟まないとなっているが、実際は口を挟むことも多い。逆もしかり。 しかし、晴彦は退魔師に関わって欲しくないらしい。 美咲が軽く右手を挙げた。 「私たちは何をすればいい?」 「何もするな」 銀歌は即答する。 陸上スポーツをしているため、美咲は非常に体格がいい。身体能力は並の男を上回る。格闘技も囓っているため、戦闘能力もそれなりに高い。しかし、あくまでも術が使えない人間としての話だ。術強化した動きにはついて行けない。 銀歌は唇を舐めてから、目蓋を下ろした。視線に力を込めて、 「お前が素手で鉄パイプねじ切れるなら話は別だが、素人が余計なことするな。足手まといになる。ケガしたくないならあたしと晴彦の指示に大人しく従ってくれ」 「ふぅちゃん、格好いい……」 両手の指を組んで瞳を輝かせる莉央。 「まるで大人みたい」 「あたしは見た目こんなでも中身は大人だから。人間で言う二十代前半くらいだ」 自分の胸に手を当て、銀歌は笑って見せた。人外は実年齢と精神年齢は一致しない。これでも九十四年も生きているのだ。 「え?」 しかし、莉央は怪訝な顔をする。 「それはないだろ」 「うん」 美咲が首を振り、なぜか同意する晴彦。 薄暗い部屋に奇妙な静寂が訪れた。外の喧噪が妙に煩く聞こえる。冷気の術による涼しさが、肌に染み込んでいた。気まずい空気。 「何だよ……」 狼狽えたように尻尾を曲げつつ、銀歌は順番に三人を睨み付ける。 「風歌は見た目通りの精神年齢だと思うけどな。言動も子供っぽいし、これで中身大人とか言ったら嘘だろう。少なくとも十人中九人は信じない」 はっきりとした口調で、美咲が断言した。 魂の消耗で子供っぽくなっているとは白鋼の言葉である。子供の身体のため、普段から子供扱いされるようになった。というか、大人扱いされない。自然と言動が子供になっているのだろう。心当たりがないと言えば嘘になる。 「それはそれとして」 銀歌は話を変えた。 「晴彦は何かを白鋼に渡すつもりなんだな?」 「ええ、まあ」 背広の襟を直しながら、曖昧に頷く晴彦。不規則に動く尻尾の先。 今右手に持っている手提げフォルダ――ではない。中身は普通の私物だろう。わざわざ見えるように携帯することもない。不用意に他人には教えられない。 気にせず銀歌は続ける。 「白鋼の屋敷に持って行くのか?」 「できればそうしたいんだけど……」 口をもごもごと動かしながら、首を振った。 白鋼の屋敷に向かおうとすれば、敵に察知される可能性がある。そのため、不用意に近づくことができない。白鋼の屋敷に行く道は本当に限られている。人界から行くには楠木神社を通るしかないのだ。 「葉月に露払い頼んでみるか?」 狐耳の先を撫でつつ、銀歌は呟いた。 「葉月って……鋼液の葉月さん?」 「多分ソレだ。あいつなら信用できる」 葉月が出掛けていることは少ないし、よほど強い相手でない限り倒せる。とぼけた言動が目立つが、強さは本物。元々戦闘用として作られているのだ。 「というか、今から援軍頼んでも無理だよね」 「まあなぁ」 晴彦の呟きに、銀歌は苦笑混じりに頷いた。 敵に見つかっていなければ、援軍を呼ぶなり協力者を捜すなり出来ただろう。しかし、一度見つかれば、取れる手段が一気に減ってしまう。敵は待ってくれない。 「結局、どうするの?」 訊いてくる莉央。やはり心配している気配はない。 銀歌はポケットからメモ帳を取り出した。 「葉月に援軍頼んでから、安全な場所に身を潜めてる。それくらいしかできないだろ。晴彦が手札持っているなら別だけど……。あとお前ら」 ほけっと聞き入っていた二人に目をやる。 メモ帳にボールペンで手早く地図を書き込み、電話番号を書き込む。 「機会を見計らってお前たちを警察に連れて行く。あたしたちの事は大丈夫だから、出来るだけ早くここに電話しておけ。とりあえず身の安全は確保できるから」 言いながら、美咲に差し出した。 メモを受け取り、訊き返してくる。 「さっき言ってた笹ヶ原か?」 「そうだ。退魔師、笹ヶ原家。いわゆる、人外相手の厄介事を片付ける家だ。ちょっと怪しいけど、捕って食われるわけじゃないし、警察みたいなものだな」 答えてから、銀歌は椅子から立ち上がった。動ける程度に痺れは引いている。 「ありがと、ふうちゃん」 笑顔で礼を言う莉央。 「とは言っても、ゆっくりしすぎたね」 猫耳を動かし、晴彦が鎧通しを抜いた。刀身に妖力が絡みつき、刃渡り六十センチほどの不可視の刃を作り上げる。飛燕の術の応用だろう。 「今更言っても手遅れだろ」 銀歌は右手に指を走らせた。妖力を用いて手の平と前腕に術式を描き込み、同じく左手に術式。そのまま両手で印を結ぶ。やや複雑な術式を両腕に固定した。 いつの間にかに廊下に現れた気配。生き物ではないようである。数は四つ。 「雷炎刃・蒼焔……」 五指を緩く開いた右手を蒼い光が包み込む。高密度に圧縮された狐火と雷の術。細かな音を立てながら空気中に散る紫電。手から生まれる光の刃。 手に握る形でもなく、剣状に固めた形でもない。蒼刃はこれが完成形だった。 「それ、千鳥か?」 「ナルト読んだの?」 背後からの指摘に脱力しかけ――銀歌は囁くように反論した。 「台所のテーブルに漫画本置いた葉月に文句言え」 右手を上に向け、人差し指と中指を伸ばす。二本貫き手。二指を包む雷炎に妖力が注ぎ込まれ、強さと密度をさらに高めていた。目的は極限の斬撃力と貫通力。 晴彦が驚いたように雷炎を見つめている。 「風歌さん……それは」 「斬裂け!」 腕の一閃。指先から数メートル伸びた蒼刃が―― 壁ごと廊下の気配を両断した。 |