Index Top 第6話 銀歌、街に行く

第4章 ついて来た二人


 路地を少し進んだ所に、晴彦が待っていた。
 人間年齢四十ほどの男。細身の多い猫族には珍しく、体格は頑強なもの。すっきりと切られた黒髪と、きれいに着こなされた夏用の高級スーツ、左手には黒い手提げ書類フォルダ。やり手の営業マンという風貌だが、猫耳と尻尾が明らかに浮いている。
「晴彦か」
 銀歌はごく自然に声を掛けた。久しぶりに会った友人に挨拶するような口調。まだ術は解いていないので、キツネミミも尻尾も出ていないし、髪の色もそのまま。
「君……銀歌さんか?」
 猫のような光彩の目を見開き、晴彦はじっと見つめていた。まるで死人にでも再会したような驚きの眼差し。その表現は間違ってはいない。
「確か銀歌さんは封印刑にかけられたって聞いてるけど。銀歌さんの身体は白鋼さんに奪われてるし。それに、昔の銀歌さんに顔立ち似てるし、あの白鋼さんなら何かおかしなことやってそうだし」
「いや、別人だ。あたしの名前は風歌」
 ぶつぶつと呟く晴彦に、銀歌はきっぱりと告げる。
「風歌って……? フウカ?」
 しかし、それは逆に晴彦を混乱させるだけだった。意図的に混乱するように言ったのだが。銀歌と風歌、よく似た名前。なぜこう名乗るよう白鋼が言ったのか、今はぼんやりと理解している。
「後で説明してやるから、適当に流してくれ」
 銀歌はぱたぱたと手を振った。
「あたしは風歌、あの白鋼の所で助手見習いをしている仔狐だ。あんたのことは聞いてるよ。情報屋の晴彦。何だか急いでいるようだけど、どうしたんだ?」
「白鋼さんの?」
 反応したのは、別の所だった。くねっと尻尾が曲がる。少しの沈黙に、街の喧噪が聞こえてきた。人の足音と話し声、車などの音。
 一度頷いてから、強い口調で言ってくる。
「ちょうどよかった。私は白鋼さんに用がある。渡したいものがあるんだ。白鋼さんに今すぐ連絡取ってくれ。頼む」
「それは無理だな。すまん」
 銀歌は謝った。白鋼は五日前から出掛けていて、今どこにいるかも分からない。そもそも銀歌は白鋼と連絡を取る手段を持っていない。
 猫耳の縁を指で掻いてから、晴彦は小声で呟いる。
「そうか……。なら敬史郎さんでもいいんだけど」
「あいつも昨日から出掛けてる」
「うぅ」
 銀歌の言葉に、落ち込む。どうやらただ事ではないらしい。夕暮れ前の熱気と別の、重い空気を覚える。
「何か急用みたいだけど、相談は無理でも愚痴くらい聞くぞ?」
「その喋り方……君、本当に銀歌さんじゃないんだよね?」
 強い口調でそう言ってから。
 ふと視線を移した。
 路地の奥から、黒い犬が二匹姿を現す。犬と言っても普通の犬ではない。墨を犬の形に固めたような式妖。強さも知能も犬程度だろうが、式には大抵情報を使役者に伝える能力を付加してある。
「マズいな。見つかったか……」
 晴彦が懐から一本の短刀を取り出す。刃渡り二十センチほどの分厚い刃。鎧通しと呼ばれる、極めて頑丈な刃物だった。護身用のものだろう。
 犬が飛び出すと同時、足音も無く走る。
 一瞬の交錯で白刃が閃き、式妖二匹は崩れ去った。後には破れた符が二枚残る。
「すまない、巻き込んでしまって」
「気にするな。暇潰しにはなる」
 銀歌は手を振った。
 ふと、背後に気配を感じる。
 右手に妖力を込めながら、銀歌は振り返り。
 ガッ。
 突き出された足が式妖を蹴り飛ばした。
「あ……」
 だたし、銀歌ではない。
 使い込まれたスニーカーとベージュ色のカジュアルパンツ。
「大変なことになってるみたいだけど、大丈夫か?」
 美咲だった。背後から銀歌に飛びかかった式妖を、思い切り蹴り飛ばしたのだ。空手らしき型の蹴り上げ。陸上競技だけでなく、格闘技の経験もあるらしい。
 晴彦の目の前に落ちる式妖。起き上がるよりも早く、鎧通しが突き立てられる。
「今の犬じゃないよね。何なの?」
 莉央までいる。莉央がハンバーガー屋の袋を抱えていた。
 どうやら突然出て行った銀歌の後を追ってきたらしい。追ってくるとは思わなかったが、冷静に考えれば絶対に追ってくるだろう。実際に追ってきている。
「お前ら……何で首突っ込むんだよ」
 頭痛を覚えて銀歌は頭を押さえた。
「どうしよう、風歌さん」
 鎧通しを懐にしまい、戸惑う晴彦。人外同士のいざこざに人間を巻き込むと厄介なことになる。退魔師や術師のような人間ならともかく、この二人は一般人。しかも状況的にこのまま無事に帰れるとも思えない。
 不安げに尻尾を揺らす晴彦を見ながら、莉央が口を開いた。
「おじさんの猫耳って、何というか気持ち悪いよね。これで身体細ければいいけど、がっしりしてる分、余計に不自然。というよりも不気味だね」
「悪趣味なコスプレだ」
「私は妖猫だぁ!」
 腕組みをして頷く美咲と、二人を指差し抗議する晴彦。
(さすが最も猫耳の似合わない猫族……)
 銀歌は無言のまま全面同意していた。


「なるほど、妖怪大戦というわけね」
 ハンバーガー片手に楽しそうに表情を輝かせる莉央。
 路地から少し離れた場所にあるビルの空き部屋。鍵を外して侵入させてもらった。古い長椅子が置かれていたので、晴彦以外の三人はそれに座っている。夕方とはいえまだ熱気は残っているので、冷気の術で部屋を冷やしていた。
「それは違うけど」
 一人壁に寄りかかった晴彦が、軽く否定の意を表明する。
 右手の照焼きバーガーの残りを口に入れてから、口周りのソースを舐め取った。朝から何も食べていないらしいので、美咲のチーズバーガーとナゲット、銀歌の照焼きバーガーとポテトを渡してある。既に照焼きバーガー以外は全部腹に収まっていた。
 美咲と莉央には自分の分を食べさせてある。
 妖怪はともかく人間が食事を抜くのは感心しない。ましてこのような状況では、食べられる時に食べておくべきだろう。
「風歌とネコおじさんは妖怪で、私たちはうっかり巻き込まれてしまったという状況か。今日中に無事帰れる保証はどこにもない」 
 冷静に状況を理解している美咲。莉央の隣で腕組みをしている。
 ズズとオレンジジュースを空にしてから、銀歌は二人を見やった。
「怖がらないんだな、お前ら」
 普通の人間なら人外を怖がるのだが、二人は怖がる様子もない。未知の状況に興奮していることを差し引いても、人外を恐れてはいないと感じられる。
「ああ。高校時代の先輩が、『妖怪も神もほとんど人間と変わらないから、殴って蹴って絞めてぼこぼこにすれば大丈夫よ』と言っていた」
「凄い先輩だな……」
 戦きとともに、銀歌は呻いた。術師か何かなのだろう。言っていることは間違っていないが、それを一般人に教えてしまう神経が理解できない。
「そういえば、ふぅちゃんって何の妖怪なの? ねこ?」
「いや」
 首を振ってから、術を解く。焦げ茶色の髪が赤味がかった黄色に変わり、キツネミミと尻尾が現れた。やはりこの姿の方が落ち着く。首輪は隠してあるが。
「見ての通りの狐……ぅオあ!」
 銀歌が言い切る前に、二人に飛び掛かられていた。あまりのことに反応する暇もなく、椅子にうつ伏せに組み伏せられる。
「うっわ、ふぅちゃん可愛い、凄い可愛いよ! このままおお持ち帰りしていい? このキツネミミも本物だよ、作り物じゃない。でも人間の耳はちゃんと付いてるね」
「ふむ、この尻尾も手触り最高だな。毛並みはもふもふで、ちゃんと芯から毛が生えてるし、尾骨も入ってる。やはり本物は違う。私にもこんな尻尾あったらなぁ」
「のああああ!」
 キツネミミと尻尾を無遠慮に触りまくられ、銀歌は悲鳴を上げた。
 獣耳と尻尾は獣族にとって敏感な器官。勝手に触れば殴られても文句は言えない部分である。だが、二人はそんなことも知らず、好奇心の赴くまま弄り倒している。
 振り払おうにも足腰に力が入らずろくに動けない。
「晴彦助けてくれ!」
「えっとお二人方……」
 銀歌の声に、晴彦が声を掛けた。
 キッと殺気混じりの視線が飛んでいく。
「ごゆっくりお楽しみ下さい」
 あっさりと引き下がる晴彦。
「薄情者おおぉぉぉ!」
 銀歌は涙を流しながら叫んだ。

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