Index Top 兄来る - To dear my Sister -

第8章 まじめモード!


 白鋼は玄関を開けた。深夜二時。草木も眠る丑三つ時。
 生暖かい風を頬に感じながら、門を眺める。
 門の手前に銀一が立っている。
「お待ちしてました、白鋼さん――いえ、空刹さん?」
 昔の名前を呼ばれて白鋼は苦笑した。
 いつもとは違う真面目な銀一の声。かすかに傾いた眉毛、刃物のように鋭利な深紅の双眸、引き締まった口。全身から放たれる、静かで冷たい気迫。
「こんな深夜に呼び出して、何の用でしょうか?」
「あなたほどの人が予想していないはずがない。確認というのならば、いいでしょう。手短に言います。あなたは銀歌を預けるに値する人物ですか?」
 その問いは予想していたものだった。
 白鋼が答えずにいると、銀一は続ける。
「変わり者の科学者を装い、裏世界の頂点に立つ怪物。でも、それも嘘ですね。あなたは政治にあまり興味がない。あなたは――世界から独立した存在だ」
「よく調べましたね」
 白鋼は素直に感心した。言葉は濁してあるが、理の力についてある程度の推測を立てている。もっとも、使えるかと問われれば否だろう。
 銀一は続ける。
「あなたがボクたちを狙っているのは知っていましたから。あなたに奪われる前に、銀歌を殺すことも考えていましたが……あなたの方が手は早かった。残念です」
「妹を殺すことを躊躇しないのですか?」
「はい。銀歌は死んでも死にませんから」
 その答えは矛盾しているように聞こえた。しかし、銀一と銀歌においてはその言葉も矛盾はしていない。銀歌は死んでもその魂は死なない。
 銀一はちらりと月を見上げた。
「今風歌と名乗らせている銀歌が、あの銀歌であることに気づいている人は少なくないです。その点はどうするつもりです?」
「放っておきますよ。彼らに僕の嘘を暴く力はない」
「でしょうね」
 反論もなく認める銀一。
「最初の質問に戻ります。あなたはボクの半身を預けるにふさわしい人物ですか? なぜボクではなく銀歌なのですか? ボクたちは同じなのに」
「君は覚えていますが、彼女は覚えていない。記憶を受け継いだあなたは過去を持つために、不完全です。過去を持っているがゆえ、成長の余白が少ない」
 そこまで言ってから一息ついて、
「力を受け継いだ銀歌くんは、何も知りません。力を失えば過去を全て失います。元々向上心が強いので、白紙となれば成長の余地は非常に大きい。遺志を継ぐのに、過去を失うとは実に皮肉なものです。それに、あなたはもう独りではないので」
「砂理彩ですか。確かにボクはもう独りではない」
 苦笑してから、銀一は頭をかいた。
「分かりました。あなたに銀歌を預けます。約束は守って下さいね」
「ええ」
 白鋼は頷く。
 その返事を聞いてから。
 銀一は糸が切れたように崩れた。


「御館様、こんな夜遅くに何してたんですか?」
 台所で一服していると、葉月が入ってきた。
 お茶を飲み干し、白鋼は答える。
「世間話です」
「……そうですか」
 世間話ではないのは明白だが、追求はしてこない。余計なことには首を突っ込まないように、あらかじめ教えてあった。
 視線を移す。
「銀一さん、どうしたんです?」
 椅子に座ったまま、燃え尽きている銀一。焦点の合っていない瞳を天井に向けたまま、ぽかんと口を開けていた。反応はない。意識はあるようだが、思考が止まっている。
 ふっと吐息し、白鋼は呟いた。
「まじめモードだそうです」
「まじめ……モード?」
 訝る葉月。
 白鋼は狐耳を撫でながら、言葉を選ぶ。
「僕としても正直理解に苦しむのですが……。銀一くんが言うには精神集中によって脳内物質を操作し、普段の快活な雰囲気を完全に消し去る技法――だそうです。数分くらいしか持続せず、副作用で一日くらい抜け殻になってしまうようですけど」
「はぁ」
「とりあえず、夜分ですが砂理彩くんに連絡お願いします」


 銀歌は台所の戸を開け。
 椅子に座ってテーブルに突っ伏している銀一を見つけた。
「お前、帰ったんじゃなかったのか?」
 思わず呻く。
 昨日の夜、傷を治療して帰ったと思っていた。銀歌も帰るのを確認している。しかし、今こうして台所に残っていた。とはいえ、何があったか知らないが、放心状態。半分閉じられた目、意識があるのかも怪しい。
「大人の事情です。子供が口を挟むことではありません」
「あたしはそのバカと同い年なんだが」
 澄まし顔で笑う白鋼に、銀歌は言い返した。
 と、その時。
 玄関の開く音がした。
 振り向くと、一人の女が屋敷に入ってくる。
 淡い草色の着物をまとった黒狐。人間年齢二十代前半の狐神だった。肩の辺りで切りそろえた黒髪と、どこか眠そうな焦げ茶色の瞳。きれいな尻尾は先が白い。隙のない身のこなしと、瞳に映る強い意志に、銀歌は見覚えがある。
 色々変わったように見えて、どこも変わっていない。
「砂理彩……」
 その名を無意識に呟いた。銀一の元侍女にして妻。
 砂里彩は靴を脱いでから、室内履きに履き替える。銀歌を見つけ、一礼した。
「おはようございます」
「ああ……おはよう」
 気の抜けた挨拶を返す。
 再び礼をしてから、砂里彩は歩いてきた。
 銀歌の横を通り過ぎ、台所へと入る。
「おはようございます。白鋼さん」
 白鋼を見つけて、一礼する。銀歌に向けたものとは違う、格式張った礼。表向きの白鋼もそれなりに地位は高いので、このような挨拶なのだろう。
 椅子から立ち上がり、白鋼は頷いた。
「砂理彩くん、お待ちしていました。夜遅く連絡して済みませんでした。来るのはお昼頃でもよかったと思うのですが」
「いえ、何事も早いほうがいいと思いまして。それに、主人のことですからまたみなさんに迷惑かけていないかと心配でしたので」
 淡い笑顔を返す砂理彩。
 すっと銀一に向き直り、優しく声をかけた。
「銀一さん、迎えに来ましたよ。一緒に帰りましょう」
「………」
 呆けたまま、返事はない。
 砂理彩は銀一の頬を引っ張った。うにぃと意外なほど伸びる頬。反応はない。
「しばらくは元に戻らないと思いますよ。まじめモードで燃え尽きてますので」
 手を反して。白鋼に目をやる砂理彩。
 しばらく見つめ合ってから、頷く。納得したらしい。
「そうですか。何があったかは詮索しませんが――。これでは、夕方くらいににならないと意識は戻りませんね。仕方ありません」
 砂里彩は銀一の元に歩いていくと、ひょいと身体を持ち上げた。ぐったりしたまま米俵のように担ぎ上げられる銀一。昔だったら叩き起こしていただろう。結婚して丸くなったようにも思える。
「それでは。失礼致しました」
 再び一礼する砂理彩。
 銀歌の横を通り過ぎ、玄関に向かう。室内履きから外履きに履き替え、そのまま扉を開けて一礼。ぱたりと閉まる扉。
 銀歌は何も言えずにそれを見送った。

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