Index Top 第6話 銀歌街に行く

第1章 自動車教習所


「喉乾いたな」
 財布から取り出した百円二十円を自動販売機に入れ、お茶のボタンを押す。ピッピッという電子音の後、がたんと音を立てて取り出し口にペットボトルが落ちてきた。
 ペットボトルを掴み、近くの椅子に腰掛ける。
 後ろに並んでいた若い男の三人組が自動販売機に硬貨を入れていた。
「氷の術で冷やさなくていいってのは便利だ」
 口に出さずに独りごち、銀歌は蓋を開けた。中身のお茶を胃に流し込む。ほのかな渋みを帯びた冷たい液体が喉を潤した。
 古ぼけた広間にいる人間はおよそ三十人ほど。大半が若い男女だが、おじさんやおばさんもいる。みな気ままに休憩時間を潰していた。
「あたしがこんな所にいるってのも、場違いだよなぁ」
 狐耳と尻尾を引っ込め、術で髪を焦げ茶色に染める。服装は半袖の白いジャケットと緩めのジーンズ。今時の若者の格好と言ったところだろう。服装を選んだのは葉月なので、微妙にズレているような気もするが、おおむね人間の女の子だった。
 首輪は迷彩の術で見えなくしてある。
 キーンコーカーン……
 とチャイムが鳴った。
「時間か」
 銀歌は空のペットボトルをゴミ箱に入れる。
「車乗教習の方は教習カードを持って表に出て下さい」
 四十ほどの背広を着た教官が声を上げた。
 わらわらと人が集まり、並べられた教習手帳を手に取っていく。誰より早く取ることを目的としている人もいれば、ゆっくり後から行く人もいた。
「せっかちだねぇ。あたしが人間じゃないからそう感じるのかもしれないけど」
 早足で外へ向かう若者を見ながら、銀歌はこっそりと独りごちる。残ったカードの中から自分のカードを手に取った。水彩模様の風景の印刷された教習手帳。
 銀歌の後にいるのは、みんな年配者である。
「何か凹むな……」
 自分が老けているように思えて、肩を落とした。
 市内の自動車教習所。調度いい機会ということで白鋼に放り込まれたところだった。夏休みを利用して教習に来ている若者が大半である。
「楠木風歌、と」
 手帳に書かれた名前。
 書類を作ったのは葉月で、敬史郎の親戚ということにしてあった。年齢は十九歳の大学生。身長百五十センチで外見年齢十四歳。さすがに無理あると反論したが、言い切れば問題ないと言われてしまった。
 手帳を開くと、28番の数字が捺印されている。
 銀歌はドアを開けて外に出た。
「うぐ」
 むわりと粘り気を帯びて身体に絡みついてくる熱気。熱いと言うよりは、重い空気。気温は三十度を超えている。空は快晴、焼け付くアスファルトの匂い。
「やっぱり地球温暖化だよな。二酸化炭素排出問題だ」
 愚痴りながら小走りに車の停めてある場所へと向かった。
 白い普通自動車。側面に教習所の名前と数字が記されている。
 辺りでは熱そうに待っている講習生たち。八つ当たりというか親切心というか、意味もなく冷気の術で辺りを凍らせたい衝動に襲われる。今の身体では大した術は使えないだろうが、教習所を涼しくすることくらいはできるだろう。
 現実逃避の妄想をしていると、教官がやって来た。
「お待たせしました」
 五十ほどのおじさん。これといって特筆するような特徴がない。絵に描いたように普通の人間である。右手に持ったバインダー。
「ええと、楠木風歌さんですね」
「そうです」
 銀歌は頷く。
 敬語を使うのは慣れていないが、街中で見た目年上の人間にため口で話すなと言われていた。無駄に目立つ理由もない。日常的に敬語を使っている白鋼や葉月の真似をすればいいのだろう。
「えっと、十九歳……十九歳?」
 不思議がる教官に、銀歌はジト目で答えた。髪を弄りながら、
「昔っから背が低いんで気にしないで下さい。童顔なのも気にしないで下さい。時々電車に子供料金で乗ったりしてますけど、気にしないで下さい」
「あー、そう」
 教官は適当に言葉を濁した。
 外見十四歳くらいと言っても、敬史郎の設計のせいか実際はさらに年下に見える。それを十九歳と言い張るのは、さすがに無理があるように思えた。今のように誤魔化しているが、あまり反応はよくない。
(変化の術使えれば大人に化けることもできるってのに)
 首輪にかけられた封動の呪いが、変化の術を阻んでいる。葉月に文句を言ったら、外し方を知らないと言われてしまった。どうやら嵌めた白鋼でないと外せないらしい。白鋼は数日前から出掛けている。
 教官が運転席を示した。
「じゃあ、車乗って下さい。教習始めます」
「はい」
 銀歌は頷いてから、ドアを開けて運転席に乗り込んだ。車内の空気が身体を包む。熱気と冷気が入り交じった奇妙な空気。あまり気持ちのいいものではない。
「この空気は苦手だ……」
 ぼやいているうちに教官が乗り込んでくる。
「はい、エンジン掛けて下さい」
「うぃ」
 手短に頷いて、銀歌はハンドルを握り、ブレーキを踏んだ。
 座席を自分の背丈に合わせてから、バックミラーを調整。どちらも車に乗る際に調整しないと不便である。サイドミラー確認してから、ブレーキを踏み込んで鍵を回す。
 鈍い振動からエンジンが掛かる。
 銀歌は即座に室内エアコンに手を伸ばして、冷房を全開にした。元気な音とともに風気口から冷たい空気が吐き出される。車内のぬるい空気が消えた。
「今日は何を?」
 教習内容を訊くと、教官はバインダーを見やる。
「えっと、今日はS字カーブですね。その前に外周を三週回ります」
「了解しました」
 銀歌は頷いてから、ギアをドライブに入れてブレーキから足を放した。クリープ現象で車が動き始める。一拍おいてから、アクセル。
 ゆっくりと時速十キロほどまで加速した。
 駐車場から外周への入り口。アクセルから足を放してブレーキを踏む。止まる自動車。左ウインカーを出してから、左右確認。外周を走っている車は三台。
 そのうちの一台が通り過ぎてから、銀歌はアクセルを踏み込んだ。
 自動車が外周へと移動してから、さらにアクセルを踏み込み、時速二十キロまで加速する。一般道を走っている車は時速六十キロ以上で走っているが、教習所では三十キロも出せないようになっていた。
「退屈だけどなぁ。飛ばしたいなぁ」
 ハンドルを動かしながら、口に出さずに呟く。
 カーブに差し掛かり、アクセルから足を放してブレーキを踏んだ。減速したところでカーブを曲がってから、再びアクセルを踏む。
「少しアクセル踏むのが遅れましたね。次は気をつけて下さい」
「はい」
 半ば聞き流しながら銀歌は頷いた。
 次のカーブに差し掛かり、ブレーキを踏む。前のカーブよりも一拍早く減速してから、ハンドルを切った。

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