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第7章 復活の銀一


 シャンプーを泡立てて、丁寧に髪の毛を洗っていく。
 以前はきれいな銀色だったが、今は赤みがかった黄色い髪の毛。普通の狐色。自分が自分でなくなってしまったことには慣れた。しかし、納得はしていない。
「白鋼から身体を奪い返すのは、無理だ」
 悔しいが、それは認める。少なくとも向こう百年は無理だ。
 だが、手も足も出ないわけでもない。白鋼が自分を捕まえた理由はそこだ。漫画のような言い方だが、自分は白鋼に食いつけるような潜在能力を持っている。
「それが何かはあたしにも分からないんだけど」
 シャワーで髪の泡を落としてから、銀歌はタオルを取ろうと手を上げて。
 顔の横に、タオルが差し出される。
 特に驚きもせず、銀歌はタオルを受け取り、髪を拭いた。
「どうやって脱出した」
 振り向くと、銀一が仁王立ちしている。腰にタオル一枚巻いた姿で。
 さきほど気絶している所を、封魔の鎖でぐるぐる巻きにしておいたのだ。重犯罪者を拘束するための鎖。たとえ敬史郎や葉月でも脱出できないような代物である。
 諦観にも似た気分で、銀歌は正面の鏡を見つめた。
「驚くことではない。葉月さんを買収しただけだ」
「買収……?」
 得意げに尻尾を立てる銀一に、鏡越しに訊いてみる。
「絶版世界の珍品料理百科全集で釣ったら見事に釣れたよ。気を取られている隙に気絶させて、こうしてやって来た。久しぶりに緊張したなぁ」
「葉月を気絶させたって……それこそどうやって? お前がどうにか出来る相手じゃないだろ。あくまであいつの自称だが、草眞と互角に戦えるように作ってあるってのに」
「ボクは医者だからね。それ以上は企業秘密。というわけで一緒にお風呂入ろう」
 後ろから銀歌の両肩に手を置く。昔も完全に監視された状態から抜け出したことも何度かあった。銀歌には及びもつかないような秘訣があるらしい。
 銀一の手を払ってから、銀歌は視線を動かした。近くにあったバスタオルを掴む。
「却下」
 言い捨て、床を蹴った。
 窓を突き破り、外へと飛び出す。バスタオルを身体に巻き付け、印を結んだ。ぱらぱらと散らばるガラス片。灯り代わりの狐火が周囲を青白く照らす。
「雷獣の太刀――」
 銀歌の右手から蒼い光が伸びた。現時点での切り札である、蒼光の剣。刃渡りは九十センチほど。圧縮した狐火と雷を剣状に変えた武器。銀一にどこまで通じるかは分からないが、無抵抗に屈する気はない。
 窓から飛び出し、銀一が腕組みをする。
「ほほう。この期におよんでまだ抵抗を続けるというのか? 我が妹は……」
「どこの悪役だ、ボケ」 
 銀歌は剣を突き出し、呻く。
 タオル一枚の姿で格好をつけるも何もない。
「だかしかぁし!」
 銀一は腰のタオルを掴み、引き千切るように投げ捨てた。
「!」
 そこに佇むのは――
 黒いスラックスを穿き、糊の利いた白衣を纏い、聴診器を首にかけ、額に額帯鏡をつけてた完全武装の銀一。絵に描いたような医者の姿だった……なぜか。
「どぉいう原理だ! 説明しろ!」
「むう。全裸の方がよかったか?」
「その格好で一切文句はない。死ね!」
 理解は放棄して、銀歌は地面を蹴った。間合いを詰め、跳ね上げるような一撃。
 キンッ――
 銀一のメスが蒼刃を弾く。医療用メスで弾けるものではないが、とにかく弾いた。
 半歩退いてから、前進に転じる銀歌。脇腹を狙った突きを、銀一はひらりと横に移動して躱す。舞うような体捌き。体術の基礎はできていた。
 左足を突き出し、銀歌は腰から身体を捻る。
 横薙ぎの太刀を、銀一は再びメスで受け止めた。が、刃が透化する。実体率を変えることで、多少の防御なら透化できる。
「何ッ!」
 蒼刃が銀一を両断した。藁人形を斬るような手応えとともに、上下に絶たれた藁人形が地面に落ちる。顔には「ハズレ」と書いた紙が貼られていた。
「どこだ!」
 つんと首筋を突かれ、銀歌は動きを止める。
 いや、止められた。首から下が動かない。雷刃が消える。ほんの一瞬。何をされたのか分からない。全身が痺れている。立っているのが精一杯だった。
 銀歌の正面に移動する銀一。医者の格好のまま。
 銀歌は喉を震わせた。
「何……しやがっ……た?」
「頸椎の神経伝達を狂わせた。ええと、何だな……。医者を甘く見ないでくれ。これでも、前の銀歌を止めることは考えてたんだ。さ、お風呂に戻ろう」
 本気とも冗談ともつかないことを言いながら、近寄ってくる。逃げることはおろか、動くこともできない。気を抜けば倒れるだろう。
「……ここま、でか?」
「何やってるんですか、君たちは?」
 聞き慣れた声。
 視線を動かすと、白鋼が立っていた。心底呆れた表情で。
「白鋼さん……あなたという人は、なぜこのタイミングで現れるのですか! まさか狙っていたんですか? これからぼくのジャスティスタイムなのですよ!」
「意味が分かりません。とりあえず、助手見習いの危機は救う義務があります」
 言いながら、とことこと歩いてくる。
 その前に銀一は飛び出した。やはり脈絡なく。
「では、ぼくのことを『お兄ちゃん』と呼んでください!」
「嫌です」
 にべもない白鋼。
「では、せめて愛の抱擁ッ……!」
 ガコン。
 飛びかかったところに交差法で顔面にハンマーがめりこみ、銀一は転がった。普通なら顔面が陥没するほどの打撃なのだろうが、効いた様子もない。
 禍々しい気をまといながら、銀一は笑う。
「ふふふふ、諦めませんよ。ボクの魂は七百年の大昔から銀歌とともにある。たとえ斬られ燃やされ沈められようと、ボクの心は折れない負けない倒れない。ボクの前に立ちはだかるというのなら、たとえあなたでも退ける! 『お兄ちゃん』の心は決して滅ぼすことはできない――! 不滅にして不死身、最強、無双、無敵! 妹萌えこそこの世の真実にて絶対法則。さあ、かかってきなさい!」
「分かりました」
 白鋼はハンマーを持ち上げた。工務店で売ってるような普通のハンマー。
 その輪郭が崩れ、瞬きひとつ分の時間で巨大なハンマーへと再構成される。側面には赤字で「1t」と記されていた。
「え……?」
 銀一の表情が引きつるが、白鋼は止まらない。
 ハンマーが再び崩れて再構成される。「10t」と記されたさらに大きなハンマーへと。
 続けて、三度崩れたハンマーが、「100t」のハンマーへと。
 駄目押しとばかりに、金字で「1000t」の文字が記された巨大な鉄塊へと。
「……前言撤回していいですか?」
「男の子は痛くても泣いてはいけません」
 慰めにもならないことを言ってから、白鋼は飛んだ。高々と。
 躊躇なく逃げ出す銀一。しかし、逃げられるものでもない。
 巨大な物体が空気を引き裂く音。巻き起こる風。
 そして、白鋼の叫びが轟く。
「アルティメット――ハンマァアアアアアア!」
 ―――!
 爆音は聞こえなかった。

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