Index Top 兄来る - To dear my Sister -

第4章 テストと徹甲弾


 カリカリ……
 鉛筆の走る音が部屋に響く。
 東屋を改造した教室。教室といっても、敬史郎の使う机と銀歌の机、あと移動式の黒板が置いてある簡素なものである。床は板張りで、大きさは学校の教室くらい。
「ごっこ遊びみたいだよな」
 小声で呟きながら、鉛筆を動かす。
 中学三年生レベルの数学と理科の問題が五十問。五つの答えから正しいものを選ぶようになっている。採点を楽にするためだろう。
「それはそれとして」
 銀歌は一度鉛筆を置いた。
 後ろから聞こえてくる微かな電子音。
「何やってんだ、お前は?」
 銀一に向かって尋ねる。
 三脚にビデオカメラを乗せ、銀歌を撮影していた。どこから持ってきたのか、照明まで用意してある。映画の撮影風景にも見えた。
「記念撮影」
 メガホンで銀歌を示し、答える。冗談のようにも思えるが、本気だろう。銀一はいつでも本気だ。常人の感覚で正気ではないが。
「怒った顔も素敵だね」
「吹っ飛ばすぞ」
 銀歌は爆砕符を二枚取り出した。
「俺の家を壊すな」
 釘を刺してくる敬史郎。
 机に向かったまま、書類に何かを書き込んでいる。異様な速度で。瞬身の術を用いた速記と速読の組み合わせと言うべきだろうか。書類の内容を一瞬で把握し、対応する文章を書き込んでいく。
「葉月は、いないか……」
 葉月は昼飯の用意を頼まれている。瑞樹と霧枝は出かけていて、敬史郎も忙しいため、昼食の用意をする暇がないらしい。
「ふん……」
 鼻息ひとつついて、銀歌はテスト用紙に向かった。
 銀一の視線を無視して、問題を解いていく。
「あたしってこんなに頭よかったっけ?」
 問題を解きながら、ふと考えた。
 昔から勉強は嫌いだった。英才教育という育ち型。その中で勉強はいつも逃げ出していたし、テストもほとんど赤点だった。強くなることは考えていたが、頭が良くなることは考えていなかった。悪知恵は育ったが。
「はい。終わり、と」
 銀歌は鉛筆を置いた。
 回答の終わった答案用紙が二枚。
「終わったか。見せてくれ」
 敬史郎がペンを止める。疲れたらしく、背筋を伸ばして深呼吸をしていた。人の三倍早く仕事をすれば、時間を有効に使えるというのが敬史郎の持論らしい。
 銀歌は答案を掴み、敬史郎に放った。
 長方形の紙が二枚、空中を滑るように飛んでいく。軽く風の術を用いたのだ。時々このようなものを見て驚く人間がいるらしい。
「ふむ」
 答案を一瞥してから、敬史郎は答案に赤ペンを走らせていく。
 答えは既に記憶しているようだった。二十秒ほどで採点が終わる。
「百点だ」
「おめでとう!」
 パン、パパン!
 銀一が派手にクラッカーを鳴らす。さらに袋に入れた紙吹雪を景気よくまき散らしている。ひらひらと舞い散る無数の小さな色紙。
 敬史郎が言う。
「銀一。部屋の掃除はお前がやるんだぞ」
「了解です」
 挙手とともに快活に返事をする銀一。
 バッと勢いよく室内箒と三角巾を取り出した。口寄せの術による取り出し。三角巾を頭に巻くと、自分が散らかした紙吹雪を箒で掃き集めていく。
「掃除って素晴らしい」
「なあ。敬史郎って教えるのが上手いのか?」
 相変わらずの馬鹿兄から目を離し、銀歌は尋ねた。
 答案を放り返しながら、敬史郎は答える。
「そうでもない。今までまともに使ってこなかっただけで、純粋にお前の頭がいいだけだ。真面目にやれば中学生レベルの問題を解くのは造作もない。お前は仮にも銀一の妹だ。逝かれた天才と呼ばれた銀一の、な」
「うぐ」
 銀一の妹、という言葉に銀歌は胸を押さえた。認めたくない事実を突きつけられた胸の痛み。紛れもない現実なのだが、自分は銀一とは違うと思いたい。
 嫌々振り向く。銀一が笑顔でピースサインをしてみせた。
「逝かれた天才か……」
 頭を押さえ、心中で呟く。銀一の二つ名。
 バカと天才は紙一重という言葉を体現した男。言動とは裏腹に、頭の良さは異様だった。複雑怪奇な方程式をすらすらと解いていた記憶がある。妖力の強さで勝っていたが、頭の良さでは圧倒的に負けていたことに、当時の自分は少し傷ついていた。妖狐の都を出奔した理由のひとつも、それだったような気もする。どうでもいいことだが。
 ぼそりと敬史郎が付け足した。
「あとは、白鋼の言うあの力だろう。あれは『見える』からな」
「ん。どういう意味だ?」
 含んだ言葉に訊き返す。
 だが、敬史郎は答えなかった。書類をまとめて椅子から立ち上がる。
「十五分休憩だ。書類を置いてくる」
 そう言い残して、敬史郎は部屋を出て行った。
 戸が閉まり、銀歌は部屋に取り残される。
 あとは、銀一が床を掃く音のみ。
「え?」
 気づいた時はもう遅い。
 そっと銀一が後ろから銀歌を抱きしめた。両肩から胸の前に両腕を通す。腕に力を入れることもない。恋人同士が行うような格好だが、恋人ではない。
「つっかまえたっ」
 かぷ、とキツネミミの先を噛まれる。
 背中から脳天まで悪寒が駆け上がった。
「!」
 銀歌は銀一の腕を払いのけ、跳び上がった。椅子と机を突き倒し、部屋の隅まで逃げる。素早く印を結び、破魔刀を口寄せした。
 腰が抜けていが、銀歌は気合いで刀を構える。擦れ声を喉から捻り出した。
「近ヅイたラ、殺ス!」
「むう。人をまるで変質者みたいに……」
「完全無欠で問答無用、言い訳も疑問の余地すらなく変質者だろーが!」
 自覚のない銀一に、言い返す。
「だがしかァし! ボクの愛を邪魔する者はここには――」
 ガコォン!
 下腹まで届く金属音。鉄骨同士を叩き付けたような、よく響く音。
 銀一が部屋の壁にめり込んでいた。踏ん張った両足に床板がはぎ取られ、二本の轍が残っている。葉月の拳が、入り口の戸を砕き、銀一を吹っ飛ばしたのだ。朝食後に放った拳のと同じ技。東屋の外から放ったようだが、効いた様子は見られない。
「ふふふ、ボクを甘く見ないで欲しい。同じ技は二度通じないよ。生身ならともかく、鉄硬の術を使えば葉月さんの攻撃も受け止められる!」
 両腕を広げ、悪役のように吼える銀一。銀一の身体強度を術でさらに高めれば、桁違いの頑強さを得ることが出来る。生半可な攻撃は通じない。
 だが、葉月は疾っていた。折れた戸を踏み越え、銀一に肉薄する。真後ろに伸びる、螺子のように捻れた左腕。左足の踏み込みとともに、吼えた。
「アァァァマァァァァァ、ピアシング!」
「なッ!」
 轟音。銀一がかき消えた。
 空気を引き裂く衝撃波に、部屋が跳ねる。粉々に砕ける壁と、跳び取る木片。バネの縮みと高速の回転に、高位系の迫撃術を加えた、拳による徹甲弾。その破壊力は戦車の砲撃を容易に上回る。というか、人に向けて撃つ技ではない。
 軽く数百メートルは飛んでいるだろう。多分。
 振り抜いた左腕を引き戻し、葉月は吐息した。
「またつまらぬものを殴ってしまった」
「あー。でも生きてんだろうなー」
 銀歌はげんなりと呻く。

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