Index Top 兄来る - To dear my Sister -

第5章 敬史郎の憤慨


「さて問題だ……」
 椅子に座ったまま、誰へとなく問いかける。
「あたしは何でこんな状況になってる?」
 銀歌は椅子に固定されていた。繊維などの柔なものではなく、葉月が作った液体金属の紐。強度は鋼鉄以上で、なおかつ非常に柔軟。椅子に後ろ手に拘束されている。何度も脱出を試みたが、結果は無駄だった。
 何度目か分からないため息とともに、銀歌は二人を見つめる。
「これでどうだ?」
 ドンと紙をテーブルに叩き付ける、包帯まみれの銀一。
 胸が潰れたり手足が千切れかけたりと、やや生々しい状態だったが、今は元気である。気絶した姿を見た時は血塗れで死んだかとも思ったものの、敬史郎が簡単な治療をほどこしたらあっさり蘇生。自分で怪我の治療を行い今に至る。
「うーん、こんなものかなぁ?」
 ペンを紙に走らせながら、頷く葉月。
 こちらは何の変化もない。銀一を殴った後台所に戻り、昼食を作っていた。食後の休憩を楽しんでいた銀歌を脈絡なく拘束して今に至る。
「おい、お前ら!」
 銀歌は声を上げた。
 視線を向けてくる二人に向かって、続けて叫ぶ。
「一体何考えてるんだ!」
「いや、風歌に似合う衣装はどんなのかなと思って」
「ボクたちのベストセレクション。期待してくれ」
 真顔で言い返してくる葉月と銀一。
 理由さえ知らされずいきなり拘束され、これから似合う服を作ると告げられたのだ。最初に言い出したのはどっちかは分からない。どちらにしろ迷惑な提案である。
「があああ!」
 圧縮した妖力を、腕の経絡に沿って刃物のように走らせる。縄切りの術。高位の術者なら重い鎖でも斬り裂けるが、今の身体ではそこまでの火力は出ない。十回以上試しているが、戒めが劣化した様子もない。
「おい。葉月、あたしを守るって約束はどうした!」
「えっと……」
 葉月はくるくると人差し指を回してから、思いついたように答える。
「臨機応変」
「違う!」
 歯を食い縛り銀歌は唸った。
「安心しろ。これ見たら風歌も納得するから」
 満面の笑顔で銀一。
 テーブルの上に広げてあった紙を銀歌に見せる。
「あぅ……」
 最初に感じたのは目眩だった。脳が現実を認めることを拒否する。だが、認めたくない現実も認めなければいけない。白鋼の元に来てから、何度もその事実を目の当たりにしてきた。現実を認めるのは慣れているはずだ。慣れているはずだった。
 数秒の時間を掛けて、現実逃避から帰還。紙に書かれた衣装の絵を認識する。
「気絶していいか?」
 そこに描かれたモノは、平たく言って意味不明な衣装だった。
 喩えるなら、際どい水着と、ひらひらのゴスロリ衣装を合体させたような代物。色は緋色と白だった。およそ羞恥心を捨てないと着られないような、露出の多い物体。
「逃げるなあたし……。頑張れ……あたし。こっちに来てから最大の危機っぽいけど、気を確かに持て……。心折れるな……。くじけるな……」
 本気で泣きながら、気合いだけで意識を現実につなぎ止める。気絶したら、それで最期だ。目が覚めた時にあの衣装を着ているのは容易に想像できる。
「いやぁ、感動の涙まで流してくれるとは、義兄として嬉しいよ」
 銀一がほろりと一筋の涙を流した。
「どういう幸せ回路だ! 第一、どうやて作……」
 叫びが途切れる。
 葉月がその衣装を持っていた。
「終わった」
 恐ろしく軽薄な絶望とともに、天井を見上げる。
 液体金属といっても、応用派には極めて広い。その質感は、人の皮膚から木材、鉱物まで、ほぼあらゆる物質を再現出来る。普段のメイド服も自分の身体から作ったもの。即席で衣服を作るのは簡単だろう。重さ以外は本物と変わりない。
「おお、さすが白鋼さんのメイドだ。隙がない」
 パチパチと拍手する銀一。
 葉月はにっこりと笑って、一歩足を踏み出した。
「さ、風歌。遠慮せずに着替えて♪」
 カシャッ。
 背後で聞こえた乾いた音。それは救いの音だった。
 火薬とは違う、澄んだ爆音。空気を引き裂く超音速に、銀歌は椅子ごと吹き飛ばされる。衝撃波に打たれた右耳が痛い。それでも、無視して視線を移した。
 葉月の右肩がなくなっている。床に落ちる右腕、飛び散った金属片、後ろの壁に開いた穴。葉月は呆けた表情のまま硬直していた。
 次の爆音で、左太腿が砕け散る。身体が傾きかけたところで、腹部に大穴が開いた。貫通こそしなかったものの、直径三十センチほどの穴が穿たれる。
「……えっ」
 ドスッ、という重い音とともに、葉月の左肩に突き刺さる黒い円筒。蒼い業火とともに左上半身が吹き飛んだ。一回転して倒れる葉月。この程度では死なない。
 もっとも、台所は半壊していた。
「敬史郎さん?」
 銀一の呟きに、銀歌は強引に振り向く。
 入り口に、対物狙撃銃を構えた敬史郎が立っていた。バレットM82にアンダーバレルグレネードランチャーを装着。狙撃銃としての改造は間違っているだろう。
「敬史郎、か?」
 いつもの無表情。だが、その顔には明らかな怒りが浮かんでいた。
 敬史郎は狙撃銃を置き、両手を動かした。口寄せの術。両手に握られた刃渡り六十センチほどの投擲剣。両腕を交差させ、投擲体勢に入る。
「それは、アンデルセン神父ですか……?」
 問いには答えない。両腕が閃き、白刃が空を斬る。銀一では避ける暇もない。分厚い直刃が右肩と左脇腹を貫き、そのまま背後の壁に縫いつけていた。
 それだけでは終わらない。敬史郎の腕の一振りで、両手から鎖でつながれた十本の投擲剣が現れる。鎖が生き物のように動き、二十本の切っ先を銀一に向ける。
「銀驟雨!」
 法力の破裂によって放たれた剣が、銀一を襲った。避ける余裕も、防御する余裕もない。何本かは外れているが、手足と身体を十数本の刃が貫く。
「敬史郎。いくら何でも――これは、やり過ぎだろ……」
 恐怖を覚えながら、銀歌は告げた。
 身体を吹っ飛ばされた葉月と、壁に磔にされた銀一。二人とも意識はあるようだが、声は出なかった。頑丈さが取り柄とはいえ、無事は済まない。
「風歌が着せ替え人形にされようと、俺の知るところではない」
「………?」
 その言葉に銀歌は違和感を覚える。が、すぐに理解は出来なかった。
「だが」
 敬史郎は床に落ちた衣装を拾い上げると、前へと突き出す。葉月と銀一に見せつけるように。教師が生徒に赤点の答案を突きつけるように。
「これは何だ?」
「ええと……げほ。ボクと葉月さんで作った風歌に似合いそうな衣装、です」
 口から血を吐きながら、銀一は答えた。普通なら喋れない重傷だが、銀一ならば声を出すくらいは出来る。さきほどはもっと酷い状態だったのだ。
 身体を修復しながら、葉月が問いかける。
「何かまずかったですか?」
「まずいな。いや、情けないと言うべきかな? 付き合いは長いが、この程度だとは思わなかった。船頭多くして船山登るとはよく言ったものだ」
 敬史郎は首を左右に振ってみせる。
 そして、言い放った。
「露出が多ければいいなどと……お前らは、どこのド素人だ?」
「………ッ!」
 銀一と葉月に、電撃のような緊張が疾る。
「あー。バカだこいつら」
 銀歌は他人事のように呻いた。

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