Index Top 第2話 白鋼、出掛ける |
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第7章 帰ってきた白鋼 |
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銀歌は持っていた本を書棚に戻した。 裏の屋敷の東側。古いものから新しいものまで、あらゆる本が詰め込んである書庫の地下室。そこに収められた本の多くは、門外不出であるはずの秘伝書だった。妖狐族に妖狸族、妖猫族、妖狗族、妖狼族などの秘伝書だけでなく、神族の秘伝書に、守護十家の秘伝書の一部まで揃っている。ありえない。 「次は、これだな」 狐神族の秘伝書の写本を持ち出しながら、銀歌は唸る。 狐神族。平たく言えば、神の資格を持ち、法術を使える妖狐だ。狐神族と妖狐族は、ほとんど血の行き来がないので、別物と言えば別物かもしれない。銀歌は優等生然とした狐神族は苦手だった。 秘伝書はありがたく読むが。 「ホントに顔広いよなー。あいつ」 十冊の写本を抱え、階段を上がり、書庫を出る。 葉月の話だと、白鋼は有償であちこちに非公式の協力を行っているらしい。代わりに、有形無形の色々なものを受け取っているとか。この秘伝書の類もそれなのだろう。何をやったら秘伝書の写本を貰えるかは、謎だ。 「ま。これをあたしに読ませるのも計算のうちなんだろうな」 本来なら門外不出の秘伝書。 書かれている内容は、本物だ。銀歌自身は圧倒的な力不足を覆すための方法を探しているが、白鋼にとっては銀歌が知識を増やすことが目的なのだろう。見事に乗せられているが、今はこの方法しかない。不服であるが認める。 玄関広間で、右に曲がろうとしたところで。 「朝から勉強とは、熱心ですねぇ」 「まあな」 答えてから。 立ち止まり、銀歌は声の主を見やった。 背の高い妖狐族の女。背は百八十センチ近い。腰まで伸ばした絹のような銀色の髪に、銀色の耳、きれいな銀色の尻尾が一本。どこか眠っているようで、鋭利さと知性が覗く赤い双眸。縁のない眼鏡をかけている。身体は細いが、決して痩せているわけではない。無駄なく引き締まっているといった感じだ。清潔な白い着物に、紺色の袴という質素な服装。室内用のサンダルを履いて、右手に木の杖を持っている。 本を落としそうになり、銀歌は我に返った。 「……白鋼か?」 白鋼だった。銀歌の元の身体を使っているが、白鋼だった。 「そうですが? どうかしましたか?」 不思議そうに訊き返してくる。 右目もあるし、包帯も巻いていない。少なくとも、見える範囲には。右手は健康そのもののである。それ以外は、この間見た時と変わらないはずだ。はずである。 しかし、どう見ても別人。それに―― 「あたしって、こんなに美人だったか?」 「美人ですよ。君に自覚がなかっただけで」 白鋼がからかうように言った。 心の中で言ったつもりだったが、声に出ていたらしい。恥ずかしさに頬が赤くなる。逃げ出したい衝動に駈られるが、銀歌は平気なふりをして耐えた。逃げ出したら敗北である。理由は分からないがそう思った。 ごまかすように、呻く。 「……いつ帰って来たんだ?」 「つい一分前です」 涼しい顔で答えて、白鋼は台所に移動した。背伸びをしてから、椅子に座る。尻尾はちゃんと背もたれの下に通していた。成長したらしい。 立ち去るのも癪だったので、銀歌は台所に入った。今の白鋼に興味があるのも、事実である。言いたいこともあった。 銀歌は台所に入り、本を椅子の上に置く。 「葉月はどこに行ったのですか?」 「買い物だとよ」 白鋼の正面に座り、答えた。 「そうですか」 白鋼は椅子から立ち上がり、棚から茶筒を取り出した。流しに移動して、ヤカンに水を入れる。右手で取っ手を持ったまま、ヤカンを睨んだ。とたんに中身が沸騰する。中に狐火を作り出したのだろう。 「妖術で湯を沸かすな」 銀歌が言うが、白鋼は聞き流した。 沸騰したヤカンをコンロに置いて、茶葉を急須に入れる。湯呑を三つ用意してから、急須にお湯を入れた。十秒ほど待ってから、湯呑に茶を注ぐ。それをお盆に乗せて、テーブルに戻ってきた。 自分のところにひとつ、銀歌の前にひとつ置いて、椅子に座る。 「残りの湯呑は誰のだ?」 「敬史郎くんのものです」 お茶をすすりながら、白鋼は答えた。 「あの尻尾愛好家か?」 「呼んだか?」 台所の入り口に佇む敬史郎。 びくりと尻尾を縮めて、銀歌は敬史郎を見やった。警戒するように尻尾に力を入れる。ここ五日間、最初の一度しか触られていない。だが、敬史郎が虎視眈々と尻尾を狙っているのは分かっていた。 「……どこから湧いた、変態」 「さっき白鋼がうちの境内を通ったのを見たので、仕事を休んで退院祝いに駆けつけた次第である。おめでとう」 「ありがとうございます」 白鋼は礼を言って微笑む。その姿は、美人の一言。銀歌の身体でありながら、全くの別人だった。魂が違うだけで、ここまで変わるとは思えない。 「なお、尻尾を触らせる気はありませんので。あらかじめご了承ください」 釘を刺すことは忘れない。 しかし、敬史郎は眉ひとつ動かさない。まるで聞こえていなかったかのようだ。敬史郎が自然な感情で表情を変えているところを、銀歌は見たことがない。 「茶菓子はないか?」 「茶箪笥に入っていると思います」 「分かった」 敬史郎は茶箪笥から茶菓子を取り出した。 それを持ったまま、白鋼の横に座る。 白鋼が尻尾を動かした。敬史郎の手が尻尾を掴むように伸びている。 見えていたはずなのに、気づかなかった。気配や音を消す、穏行の術だろう。もっとも、ここまで気配を消せるかは不明である。 「ケチだな。お前」 「なぜそれほど尻尾にこだわるのですか?」 「聞きたいのか?」 「いえ。まったく」 真顔で拒否してから、白鋼はお茶を飲んだ。 一息ついてから、せんべいを掴み、袋を開けて、中身を齧る。 「やっぱり、味の濃い食事はいいですねぇ」 その横で、静かに、だがとんでもない勢いで茶菓子をかじる敬史郎。相変わらず、行動が子供じみている。思ったことを、思ったままに行動に移しているのだろう。それでいて、妙に頭も回ったりする。よく分からない奴だ。 「銀歌くん。僕に質問があるのでは?」 「ああ」 銀歌は湯呑を置いて、白鋼を睨んだ。 「お前、あたしに何させるつもりだ?」 「……助手ですよ。葉月から聞いているでしょう?」 不思議そうに言い返してくる。助手にするとは、葉月に言われていた。白鋼の言動からも、それが分かる。しかし、何かおかしい。 「それ以外にも、何かさせるつもりだろ?」 銀歌は続けた。 白鋼が尻尾を動かす。敬史郎がまた手を伸ばしていた。最中をかじりながら、ごくごく自然な動作で。銀歌だったら掴まれていただろう。 何事もなかったかのように、訊いてきた。 「何でそんなことを考えるのです?」 「なんとなくだ。なんとなく」 言ってから、銀歌は視線に力を込める。 助手にする気だというのは分かっていた。しかし、何か他のこともさせるような気もする。証拠は何もない。漠然とそんな気がしていた。 白鋼は感心したように眉を動かす。 「やはり銀歌くん、君は頭がいいですね……この場合は勘がいいというべきですか。僕は君に助手以外の仕事を任せるつもりです」 |