Index Top 第2話 白鋼、出掛ける |
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第6章 酒が、飲めない…… |
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銀歌は訊き返した。 「なに?」 「白鋼が病院に監禁されている最中に、連絡があった。お前の魂を収める身体を作るから協力してくれ、とのこと。身体を作ったのは空魔殿だが、細かな設計を行ったのは俺だ。なお、身体は性格や気質に影響を与える」 すらすらと答える敬史郎。 銀歌は丼を横にどかした。食べ物がもったいないという良心は、辛うじて残っていたようである。息を吸い込んでから、呪詛のように呻いた。 「……言い訳を聞こうか? 素面の変質者」 「いいだろう」 悪びれる様子もなく、堂々と頷いてから、 「身長百五十二センチ、体重四十三キロ。容姿は人間でいう十四歳頃。身体は細めで胸は小さめ、手ですっぽり包み隠せるほどがベスト。つまり、発育途中の幼児体形。肌は健康的な肌色。ただし、日焼けは厳禁。髪は赤味を帯びた黄色、つまりキツネ色の直毛、長さは背中の中ほどまで。尻尾は一本、長さは地面にぎりぎり届かないほどで、先端は茶色。毛並みは上質の絹のように。服装は簡素な巫女服。そして、大きな赤い首輪。首の真後ろに赤いリボン。性格は生意気なドジっ子、弱ツンデレ」 語り終わり、敬史郎は白い歯を見せて、ぐっと親指を立てた。それが何を意味するのか分からない。応えるように葉月も静かに微笑み、親指を立てる。きらきらと輝く空気。二人の間に生まれる、謎の連帯感。 銀歌は左手を上に向けた。空を掴むように、指を曲げる。 「千鳥蒼炎……!」 空気が帯電し、手の中に圧縮された稲妻が現れた。そこに深い蒼色の狐火も加わる。高熱の炎と紫電が混ざり合い、複雑な輝きを生み出していた。妖力を圧縮し、極小範囲に破壊力を集中させる。初めて使う術なので、制御が難しい。 「ほう。その身体でよくそれほどの威力を出せるな」 敬史郎は椅子から立ち上がり、数歩下がった。葉月は動かない。 一度に引き出せる限界まで妖力を引き出し、術として具現化させる。その術を制御した状態で、再び限界まで妖力を引き出し、次の術を使う。今の身体で行える、もっとも強力な攻撃だ。それでも、威力は足りない。 銀歌は椅子を蹴る。 瞬身の術を使い、突進とともに左手を突き出した。 敬史郎が右手を上げ―― 重い衝撃が跳ね返ってくる。 左手は、正面から掴み止められていた。銀歌の左手と敬史郎の右手が組み付いている。稲妻と狐火は消えていた。薄い白煙が上がっているが、効いてはいない。法力で術を打ち消されたようだった。 銀歌は後ろに跳んで、敬史郎との間合いを取る。 「やめておけ。お前に勝ち目はない」 くるくると人差し指を回す。 ぽん、という音とともに、酒瓶が現れた。二合入りの小さなものである。口寄せでどこからか取り寄せたらしい。 「これでも飲んで落ち着け」 放り投げてくる。 銀歌は酒瓶を受け取り、蓋を開けた。 怒りと苛立ちを呑み下すように、中身を飲み干す。 「ッ、げほ!」 三口ほど飲んだところで、銀歌は酒を吐き出した。 強烈な刺激が口の中を駆け抜ける。喉が、熱い。今朝アルコールを口に入れた時ほどではないが、焼けるような感覚。この感覚に覚えはあった。子供の頃、二十歳くらいの子供だった頃に誤って酒を飲んでしまった時と同じである。 「はい、お水」 葉月に渡された水を一気に飲み干した。 痛みはいくらか引いたものの、まだ口の中がひりひりしている。 「何なんだよ……これ? 本当に酒か?」 「普通の酒だ。そこらの酒屋でごく普通に売っている何の変哲もない清酒だ。しかし、お前の舌や喉は、アルコールの刺激に弱く作ってある。肝臓も血中のアセトアルデヒドを簡単に分解出来ないように作ってある」 銀歌が呆然と見つめる中、しゃあしゃあと言ってのける敬史郎。 「しばらくすれば酔いが回って動けなくなる。その後は、二日酔いで明日の昼くらいまで苦しむことになるだろう。ま、頑張れ」 「何考えてんだ貴様はああああああ!」 「うぐぅ……」 自分の部屋で布団に突っ伏したまま、銀歌は苦悶の吐息を漏らしていた。頭が割れるように痛い。全身が重い。吐き気がする。猛烈に気分が悪い。 飲みすぎて悪酔いになったことはあったが、これほど酷くはなかった。酔い醒ましの苦い薬を飲み、氷嚢を枕にして、額に熱冷まし用の冷却シートを貼っているが、気休めにしかならない。 朝にアルコールを含んだ時は酔わなかった。純粋なアルコールは意外と酔わないらしい。それに、口に入れてすぐ吐き出したから大丈夫なのだろうと、敬史郎は言っていた。それは、どうでもいい。 銀歌は寝返りを打った。それだけで、頭痛に響く。 「ようするに、これから二度と酒は飲めないってことか……」 泣きたい気持ちで、呻いた。 ◇ 白鋼は右腕を持ち上げた。 小指から握りこみ、拳を作る。指も関節も腱も、本物のように動いていた。見た目も本物と変わらない。感覚も繋がっている。右目の視覚も復活していた。手術をしたという記憶がなければ、義肢や義眼だと気づかないだろう。極めて精巧な作りである。 左腕を引き、両足を前後に開き、白鋼は勢いよく右腕を放った。 全身が緊張し、腕が伸びきる淡い痛みに身震いする。口元に、笑みが浮かんでいた。動けることは素晴らしい。 「さすが沼護。仕事は完璧です」 手術を行った翌日の朝。 白鋼は病院の屋上で、身体の調子を確かめていた。身体の損傷はほぼ完全に修復されている。傷跡は残っていて包帯だらけだが、跳んだり走ったりすることは十分可能だ。 着ているものは、患者用のパジャマ。髪は術で黒く染め、キツネ耳と尻尾は隠してあった。見つかるのはまずい。 「次は……」 白鋼は空を見上げて。 跳んだ。 音もなく、高々と――屋上からさらに百メートル以上もの高さまで跳び上がる。 耳元で風が唸りを上げていた。病院だけでなく、周囲に並ぶビル、道路を走る自動車、市街地から離れた商店街や住宅地区。さらに遠くの畑や水田、林まで見渡せる。初夏の空は青く、数え切れないほどの積雲が浮かんでいた。 ひとしきり浮遊感を楽しんでから、白鋼は屋上に着地した。音も立てずに足で衝撃を吸収し、立ち上がる。 滞空時間はほぼ十秒。 飛翔の術。飛跳の術の上位系である。これとは別に、自由に空を飛ぶ飛天の術というものがあるが、これは妖怪によって可能不可能があった。あいにく、銀歌の身体では使えない。裏技のようなもので飛ぶ方法はあるが、使う気はない。 「以前の身体とは、やはり勝手が違いますか」 白鋼は髪の毛を撫でた。 腰まで伸びた髪。長い髪は迫撃戦に向いていない。作業の邪魔にもなる。だが、わざわざ切ることもない。綺麗な髪であるし、切ったら銀歌がうるさいだろう。 これからは、この身体が自分の身体だ。自分が生きるべき時間は、最低でもあと数千年。大事にしないといけない。 「問題は、目ですね」 白鋼は左目を押さえた。 気づいたのは、手術が終わった直後。左目の視界がぼやけていた。以前もぼやけていたが、怪我のせいだと思っていた。視力を調べてみると、0.3。近眼である。 「眼鏡作りますか」 吐息してから、お腹を押さえた。空腹感。 ポケットから時計を取り出し時間を確認する。朝の六時四十五分。そろそろ朝食の時間だった。ほぼ一ヶ月ぶりの食事である。 健康に感謝して、白鋼は屋上を後にした。 |