Index Top 第7話 臨海合宿

第8章 見るもの、見られるもの


「慎一さん?」
 目を閉じていた飛影が、顔を上げた。半分眠っているような状態だったが、周囲に注意は払っていたらしい。あらかじめ周囲に注意するようにとは言ってある。
 その声に、浩介が反応した。
「ん。慎一?」
 動かしていた右手を止めて、顔を上げる。今まで絵に集中していて、慎一が歩いてきたことに気づかなかったらしい。固まった筋を伸ばすように背伸びをした。
 握っていた色鉛筆を傍らに置かれた箱に戻す。三十二色入りの色鉛筆。
「カルミアも一緒か」
 慎一の傍らに浮かんでいるカルミアに目を向ける。
 一方、リリルは無心でスケッチブックに向かっていた。金色の目に真剣な光を灯し、右手に握った色鉛筆を丁寧に動かしている。慎一たちのことは目に入っていない。
 飛影が一度両翼を広げから、訊いてきた。辺りを見回しながら、
「どうかしたんですか?」
「やることないから散歩してる」
 両手を広げて、慎一は手短に答える。隠すことでもないし、隠す意味もない。飛影もその答えで納得したらしく、それ以上は訊いてこなかった。
 カルミアは一度リリルを見つめてから、浩介に視線を移した。
「コウスケさん、絵描いてるんですか?」
「俺はこう見えてもイラスト描き。普段は二次絵ばかり描いてるけど、たまには基本に則った風景画でも書かないと技術がズレる。基礎は大事だから」
 色鉛筆を動かしながら、得意げに答える浩介。
「そうなんですか」
 感心した面持ちでその話を聞いているカミルア。
 基本より進んだ応用技術を使っていると、徐々に基本を忘れていく。普段はそれでも問題ないのだが、ある一線を越えると致命的な失敗につながることがあるのだ。それを避けるためにも、基礎の復習は欠かせない。
 右手を軽く動かしながら、慎一はそんなことを考えていた。
「どんな絵を描いているんですか? よかったら見せて下さい」
「いいぞ。じっくり鑑賞してくれ」
 一度首を立てに動かし、スケッチブックを前にかざす。
 そこに描かれていたのは海の風景だった。中学生が美術の授業で描くような、基本に則った簡素な風景画。色鉛筆だけで描かれているとはいえ、普通に上手い絵だった。
「きれいな絵ですね」
「当然だって。俺だって慢研部員、これくらいの絵が描けなきゃ笑われるって」
 カルミアの言葉に、浩介は得意げに胸を張っている。
 慎一はリリルに手を向けた。
「そっちは何描いているんだ? やっぱり風景画?」
 さきほどから慎一たちのやり取りも耳に入っていない様子。時々、色鉛筆を取り替えては熱心に絵を描き続けている。かなり集中しているようだった。
 その肩を浩介が叩く。
「おい、リリル」
「ん? 何だよ、邪魔するなよ」
 鉛筆を動かす手を止め、リリルは不機嫌そうな視線を浩介に向けた。集中している時にそれを妨げられるのが嫌いなのだろう。誰でもそうだろうが。
 浩介は慎一たちに指を向けると、その指を辿って目を向けてくるリリル。
「お前らか。何の用だ?」
「どんな絵を描いてるのか、気になってな。ちょっと見せてくれないかな?」
 慎一がそう頼むと、リリルは色鉛筆でこめかみの辺りを掻いた。銀色の眉を寄せながら、首を傾げる。数秒ほど考え込むように金色の瞳を泳がせ、
「お前らにアタシの芸術が分かるかね?」
 一言置いて、スケッチブックを見せてきた。
 リリルの描いた絵を眺め、慎一は腕を組む。
「シュールレアレズムの一種……?」
 そう表現するしかない奇妙な絵だった。浩介が描いていたと同じ、砂浜と海と雲の絵。しかし、遠近法や縮尺、色合いを意図的に崩してある。絵の中央には、空中に浮かぶ魚と鳥、巻き貝の形が描かれ、その中は夜の風景が描かれていた。
「さらっと酷いこと言うな、お前は」
 口を曲げながら、リリルが半眼で睨んでくる。比喩が気に入らないようだった。もっとも、超現実主義という感想は、変な絵という意味に等しい。
 浩介がリリルの頭に手を置きながら、
「こいつの美的感覚って、俺たちとは違うんだよ。芸術的とは思うんだけど、何が言いたいのかさっぱり分からん。本人は素人には分からんとか言ってるけど」
「うっせ」
 犬歯を剥いて、浩介を威嚇するリリル。頭に乗せている手を離せという意思表示だろう。直接払い退ければいいのだが、契約のせいで直接的なことは出来ないらしい。
 浩介が苦笑いをしながら手を引っ込める。
 リリルのスケッチブックを眺めたまま、カルミアが口を開いた。
「でも、この絵、凄くよく描けていると思いますよ。一枚の絵に一日の時間全部を描き込んで、魚と鳥と貝の切り抜きという発想も面白いと思います。切り抜きの位置も凄く考えて選んでありますよね」
「………」
 浩介から視線を外し、リリルがカルミアを見つめる。驚いたような感心したような、そんな感情が浮かぶ金色の瞳。自分の絵に対して、このような感想を言った者はほとんどいなかったのだろう。
「え? わたし何か?」
 自分を指差し、狼狽えるカルミア。
 しかし、リリルは満足げに頷きながら、
「分かるヤツには分るんだよ。な?」
 と、慎一と浩介に目を向けた。


「さて……」
 結奈は静かに呟いた。
 砂浜から離れた公園の隅。辺りに人の姿はなく、ツツジの茂みが壁になって海も見えない。逆に海からこちらを見ることもできない。隠れるには適当な場所だろう。
 水着の上に黄緑色の半袖パーカーを羽織り、折り畳み式の椅子に座っていた。
「今のところ気づかれてはいないわね。分身を囮にしてあたしたちが砂浜にいると思わせるのにはとりあえず成功かしら?」
「大丈夫かな? 分身の術で慎一さんを騙せるとは思えないけど」
 向かい側に座っているのは、凉子である。こちらは水着の上に白い長袖のパーカーを羽織っていた。変化の術は解いてあり、猫耳と尻尾、両頬のヒゲが出ている。
 結奈は自信たっぷりに頷いてから、
「あいつだってそこまで観察力凄いわけじゃないわよ。さすがに近くでじっくり観察されればバレるけど、ただ眺めるだけじゃ本物だと思うわ。……確証はないけど」
 小声で付け足し、人差し指で頬を掻く。
 一時的に慎一の目を欺くために、浜辺には分身を置いていた。ばれないように精密さを高めた特殊な分身なので、まず見破られることはないだろう。
 結奈は左手を下ろした。
「現状、あたしたちに注意を向けている気配は無いわね」
 空中に薄いディスプレイのようなものが浮かび、砂浜の風景を移している。黒鬼蟲の偵察能力と白鬼蟲の色彩能力を連携させた蟲鏡の術。砂浜に忍ばせた黒鬼蟲が察知した映像を、白鬼蟲を用いて映像化している。近距離の見張りなどに使われる術だった。
 浩介と話している慎一と、リリルと話しているカルミア。眠そうにしている飛影の姿が映っている。声までは伝えられない。この偵察は見つかっていないだろう。
「今のところ、向こうの手駒は慎一さんとカルミア、リリルと飛影くんだね」
「リリルは口八丁で引き込めそうだけど――。完全従属の契約があるから浩介に逆らったりはできないし、いざとなったら守れって命令も受けてるみたいだし……」
 ポニーテイルの先っぽを弄りながら、結奈は呻いた。どちらにしろ、浩介着替作戦は自分と凉子でやるしかない。しかし、決定的な戦力不足。
 眼鏡を動かしてから腕組みをする。
「問題は慎一なのよね……。守護十家戦闘担当日暈家宗家の次男。ぶっちゃけあいつさえ何とか出来れば、後はどうにでもなるんだけど。でもあいつ止めるのに凉子じゃ力不足、一発で殴り倒されて終わりだし」
「でも結奈が慎一さん止めても、私一人でリリルと飛影くん相手にするのは難しいよね。リリルって小さいのに魔法の火力だけは凄いし。飛影くんも目立たないけど結構強いでしょ? 刃物の憑喪神だから硬いしね」
 ヒゲを撫でながら、凉子が戦力の分析していた。リリルの火力は無論のこと、飛影の強さも侮れない。全身が鋼鉄と同等の強度を持ち、全身のどの部分でも自在に刃に変えられる。二人で連携すれば、凉子を倒すこともできるかもしれない。
 正攻法で考えるなら、自分たちの企みは成功する可能性が低い。
 しかし、結奈は唇を嘗めて不敵に呟いた。
「ま、こういう時に役立つのが、うちの三羽烏なのよねー」

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