Index Top 第7話 臨海合宿

第7章 砂浜散歩


 自由時間。
 慎一は砂浜に座ったまま、ポリポリとスイカの皮を囓る。
 あれからぐだぐだな流れになってしまい、結局スイカは普通に包丁で切ることととなった。物騒な決闘が流れてかなり安心していたのが二人、残念そうな顔をしていたのが二人いたが、それは慎一の管轄ではない。
「海ってきれいですね」
 傍らに浮かんでいるカルミアが緑色の瞳を輝かせながら、海に見入っていた。潮風に紫色の髪と三角帽子の赤い羽根飾りが揺れている。
 定期的に砂浜に打ち寄せる波。波打ち際で波頭が崩れて白い泡となり、沖へと引き返していく。水平線まで伸びる青い水。遙か遠くに、貨物船の影が見えた。白い雄大積雲が、海風に乗って青い空を流れていく。時折、雲に太陽の光が遮られていた。
「僕も久しぶりに見るよ。海は」
 最後のひとかけらを呑み込み、慎一は目の上に手をかざした。
 慎一の育った場所は山の近く。学校の行事など以外で海の近くに行くことは数えるほどしかなかった。こうして、普通に海を眺めるのは久しぶりである。
「ん?」
 海に向けていた意識を砂浜に戻す。
 後ろから近づいてくる足音がふたつ。軽いのと重いの。
「よう、慎一」
「ヤァ、慎一クン」
 振り向くと、予想通り智也とアルフレッドの姿があった。
 智也は肩に担いでいた小さなクーラーボックスを慎一の傍らに下ろす。おそらくスポーツ飲料の類が入れてあるのだろう。眼鏡をクーラーボックスの上に置いてから、
「こんな所で一人詩的に海を眺めるのも寂しいとは思わないか? もっとも、お前にこの慢研の雰囲気はちょっとキツいと思うけど」
「せっかくだから、一緒に遠泳シマセンか?」
 親指を立て、無駄に白い歯を輝かせるアルフレッド。きらきらとしたオーラが全身を包んでいる。しかし、それは爽快さとは程遠いもの。有り体に言って暑苦しい。
 殴り倒したくなる衝動を抑えつつ、慎一は尋ねた。アルフレッドではなく、智也に。
「遠泳ですか?」
「軽く三十分くらい泳ぐ予定だ。慎一も一緒にやらないか? 三十分泳ぐくらいはどうってことないだろ。無理にとは言わないけど」
 と、海を指差す。
 水泳のマラソンのようなもの。気の向くままに三十分海を泳ぐのだろう。普通の人間では難しいだろうが、この二人ならばそれほど難しいことではないだろう。慎一自身にとっても三十分泳ぐことは難しいことではない。
 しかし、慎一は素直に断った。
「遠慮しておきます」
「そうか、気が向いたら来てくれ。あと、もし泳ぐ気ならあの辺りは気をつけた方がいい。離岸流があるから。巻き込まれたら、さすがの慎一でも危ない」
 指を移動させた先には、『離岸流危険』と書かれた立て札があった。その辺りの海水はよどんでいて、ゴミなどが溜まっている。浜辺に打ち寄せた波が沖へと戻る流れだ。その流れは速く、逆らって泳ぐのは水泳のオリンピック選手でも難しいという。
 慎一はそこをしばらく眺めてから、返事をした。
「分かりました」
「じゃあ、行ってくるゼィ Baby! I'll be BACK!」
 智也とアルフレッド、揃って海へと入っていく。適当な深さまで進んでから、クロールで沖へと泳いでいった。泳ぐ速度は思いの外速い。
 それを見送ってから、慎一はその場に立ち上がる。
「さて、カルミア。少し歩きたいんだけど、いいかい?」
「はい」
 そう頷いてから、カルミアは慎一の肩の辺りまで移動した。
 歩き出した慎一の隣に並んで付いてくる。右手に銀色の杖を持ったまま、空中を滑るように飛んでいた。浮力と推進の力を使い分ける妖精の飛行魔法。青と白の服が潮風に揺れている。
「旅館に行ったら、服洗った方がいいかもしれない」
「そうですね」
 カルミアは自分の服に触れた。
「少し潮風でベトついていますし、砂埃も絡んでいますし。でも、これくらいなら泡の魔法で何とかなりますから、大丈夫ですよ」
 服の表面を撫でながら、そう答える。カルミアが自分の服を洗うのに使っている泡の魔法。普段は洗濯に使っているが、その洗浄力は見かけ以上に凄いものである。時々、鍋の焦げ付きなどを落とすのに魔法を使ってもらっていた。
 そんなことを考えながら、視線を移す。
「とりゃああ!」
「はいッ!」
 結奈と凉子がビーチバレーをしていた。ラインもネットも無く、二人だけでボールの応酬を繰り広げている。二人とも鍛錬を重ねた身体。素人とは思えない動きを見せていた。通しを使っているようである。
 その姿を羨ましそうにカルミアが見つめていた。
「楽しそうですね」
 結奈が打ったボールを凉子が弾き上げ、それを追いかけるように跳び上がり、右手を叩き付けた。大きく広がる黒髪。ビーチボールとは思えないほどの速度で飛んでいく。
 左足を振り上げ、ビーチボールを蹴り返す結奈。ポニーテイルが跳ねる。
 その無茶苦茶な球技に、慎一は訝った。
「これ、ビーチバレーじゃないよな。お互いにボールをぶつけ合ってるって表現する方が正しいような気がする。何でこうなってるんだろ?」
 どちらにしろ、二人の視界に慎一たちは入っていないようだった。お互いに身体能力を生かしたボールの撃合いが続いている。
「二人が楽しいなら、それでいいんじゃないですか?」
「そうだな」
 あっけらかんと言ったカルミアの意見に、慎一は深く考えずに同意した。楽しんでいるのなら、口出しするのは無粋なことだろう。関わるのも面倒くさい。
 カルミアが視線を動かす。
「あっちは何しているんでしょうか?」
 指差す先には、綾姫がいた。麦わら帽子を被り、折畳み式スコップを使って、砂を山のように盛り上げている。白い日傘は近くに置いてあった。見た目中学生くらいの女の子がスコップを使い砂山を作る。不自然な光景のはずだが、何故か似合っていた。
 傍らでは、一樹が砂浜に何かの図を書いている。
「……スコップ捌き、手慣れてる」
 小さく呻く慎一。綾姫の身体にそれほど筋肉は付いていない。だが、的確にスコップを動かしていた。重心と筋肉が滑らかに連動する、高度な体術で見られる動き。もしかしたら格闘技などを囓っているのかもしれない。
 それ以上に、スコップ自体を使い慣れているようだが。
 慎一はそちらへと近づいていき、
「佐々木さん、何してるんですか?」
 声を掛けてみる。が、反応は無し。
「綾姫さん?」
「………」
 再び声を掛けてみるが、やはり反応は無し。
「日暈。それじゃ反応しないよ」
 砂浜に図面を書いていた手を止めて、一樹が視線を向けてくる。眼鏡越しに見える醒めた感情。言いたいことは明らかだった。事実、何度か言われている。
 ため息混じりに慎一は呟いた。
「……ヒメさん」
「何? 日暈くん」
 動かしていたスコップを止め、綾姫が振り返ってくる。ヒメと呼ばないと反応しない。一樹や浩介にそう教えられていたが、本当に反応しないとは思わなかった。
「何してるんですか?」
 砂の山を目で示しながら、慎一は尋ねる。人の腰くらいの砂山。それほど大きいものではないが、砂の容積は意外とバカにならない。おそらく、一人で積み上げたのだろう。その力とスタミナの出所は不明だった。
 綾姫はスコップで砂山を叩きながら、
「砂のオブジェ作ろうと思ってねー。小森くんに設計頼んであるんだよ。でも、さすがに女の子一人だと辛いから、手伝ってくれないかな? 日暈くん力ありそうだし。手伝ってくれるなら、お姉さんがいいことして、あ、げ、る♪」
 と、ウインク。
「………」
 背筋を駆け上がる悪寒。暑い砂浜だというのに、腕に鳥肌が立った。関わってはいけないと本能が告げている。退魔師としての経験よりも、動物としての本能。
「怖いので遠慮します」
 即答してから一礼し、慎一は踵を返した。
 背後から恨みがましい視線が飛んでくるが、無視して歩いていく。深入りする気力は失せていた。慢研の人間の考えることは、よく分からない。
「疲れた顔していますけど、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だ」
 心配そうなカルミアの言葉に、慎一は気丈に答える。
「こっちは、割と普通っぽいことしているな」
 視線を向けた先。
 シートの置かれた場所で、浩介とリリルが並んでスケッチブックに絵を描いていた。クーラーボックスの上では、飛影が眠そうに目を閉じている。

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