Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家

第4章 家の裏手にて


「真美」
 慎一は声を上げる。
 不安げに周りを見回していた真美が、はっとしたように顔を向けてきた慎一の姿を確認すると、暗かった表情をぱっと輝かせる。
「慎一さん!」
 目元に涙を滲ませながら、声を上げる真美。一人で寂しかったのだろう。長い黒髪をはためかせながら、元気に駆け寄ってくる。
「本当に迷子になってたんだな」
「迷いますよ、ここ……。物凄く広くて複雑なお家ですから。わたしもここから入り口まで戻れっていわれても、戻れませんよ。だから、置いていかないでくださいね?」
 周囲の林を眺めながら、カルミアの冷静な指摘。
 某地方都市の郊外。裏手は山になっている。古い家系なので土地は無駄に広い。家の裏手の林の一角で、真美は迷子になっていた。これより先に行くと日暈家の管理する禍日神社の敷地となる。
「探しに来てくれたんですね!」
 泣きながら飛び付いてくる真美に対し――
 慎一はごくごく自然に右手を突き出した。右足の蹴り込みから腰を捻って、肩を動かしながら約百六十度の回転を伴って放たれる正拳。極めて自然な動きで殺気もない。当たれば相手が大男でも昏倒させられるだろう。
 パッ、という乾いた打音。腕の十字防御で拳を防ぐ真美。伊達に日暈ではない。
「何するんですか! 感動の再会なんですよ、抱き止めて下さい」
「いや、僕から離れるなって言ったのに、何故迷子になるのか理解に困ったから。とりあえず拳でツッコミ入れようと思った。おとなしく殴られてくれ」
 平静に告げながら、慎一は右腕に力を込めていく。相手が普通の女なら苦もなく押し切れる力だが、真美は足腰に力を入れて耐えていた。細身に見えるが、並の黒帯格闘家なら比喩抜きで秒殺できる力と技量を持っている。
「私は宗家に来ること少ないですし、ここは広いですから、覚えてる道から外れたら戻れなくなっちゃいます。カルミアさんも迷うって言ってますし」
 言い訳する真美に、慎一は続けて尋ねた。
「だから何で僕から離れたんだよ? 猫でも見つけたのか?」
「えっと……」
 核心を突いた問いに真美は視線を泳がせてから――笑顔で答えた。
「空がとっても青かったから」
 慎一は無言で右足を伸ばし、足を払った。重心を崩したところで拳を払い、十字防御の腕を弾く。真美が後退するよりも早く踏み込み、左手の掌打を顔面へ。振動を相手の身体へと叩き込む、日暈流体術・振打。
 脳震盪を起こす真美の腰に手を回し、そのまま肩へと担ぎ上げた。普通なら失神なのだが、動けなくなるだけで済んでいる辺り、生半可な鍛え方ではない。
「さて、刀取りに行くか」
「うぅ」
 呻き声の返事。
 慎一は呆気に取られたままのカルミアに向き直った。
「すまん、驚かせて。真美以外の人間だったら普通に言って聞かせるんだけど、こいつの場合言っても次の日には忘れてるからな。気にしないでくれ」
「私はニワトリじゃないですよぉ……」
 抗議は聞き流す。
「えっと」
 困惑するカルミア。困惑するしかないだろう。許嫁に躊躇無く拳を突き出せる人間はそういない。真美も枯羽で斬りかかって来たが、日暈の間では特別なことではない。ただ、いきなり刀抜くのは真美くらいだろう。
 何にしろ、カルミアの納得いく説明をする自信がない。
 歩き出しながら、慎一は声を上げた。
「置いてくぞー」
「待って下さい! 置いてかないで下さい」
 慌てて追ってくるカルミア。話題を変えて強引に打ち切るしかなない。
 ふらふらと揺れる真美の黒髪。脱力したまま訊いてくる。
「でも、なぜ私がここにいるって……分かったんですか?」
 ここは刀の納めてある倉とは逆方向だった。刀を取りに行く最中に偶然見つけたわけではない。しかし、理由があって真美がここにいると考えたわけでもない。
「何となくだよ。多分こっちに来てるんじゃないかなって」
 慎一の答えに、沈黙が返ってくる。
 カルミアが不思議そうに眉を傾けていた。
「シンイチさんって変な人です」
「自覚はあるんだ。深くは訊かないでくれ」
「はい……」
 頷く。
 慎一はふと右を見やった。
 幅のある堀の向こうに森が見える。堀の幅は十メートルほど。高さ三メートルの鉄格子の柵で囲ってあり、堀には入れないようにしてあった。奥の島には混合樹の森が広がっている。島は緩やかな山となっていた。例えるなら、平たい円墳。
「何ですか、ここ?」
 カルミアが森を見つめる。真美を捜す時は別の場所を通ってきたので、この禍日島は見ていない。厄喰いの禍日神宮の御神体にして、絶対立入禁止区域。
 上下逆さまのまま、真美が答えた。
「表向きは……大昔の儀式跡ということになっていますが、危険物を保管してあるんですよ。日暈家の人間でも、入れるのは恭司さん含め四人だけです」
 その言葉にカルミアがふっと身を竦める。いつもと変わらぬ口調と、裏腹に不穏な表現に、淡い恐怖を感じたのだろう。だが、好奇心が勝ったらしい。
「……何が、あるんですか?」
「マガツカミの鉄剣が納めてある」
 慎一は告げた。
「詳しくは僕も知らない。大昔の禍神を宿したって代物で、攻撃力は異常の一言。人外にとって猛毒の瘴気を放ってて、四級位くらいなら近づくだけで朽ち果てる。人間なら辛うじて平気だけど、一時間持ち続けてたら寝込むと思う」
 現在納められているのは根本部分だけ。かつて九尾の妖狐との戦いで折れてしまった。先端部分は変わり者の妖怪が預かっていると聞いている。
「凄いですね――」
 感心と驚きに頷くカルミア。
 慎一は苦笑してから、歩き出す。
「岩の玄室に安置してあって、そこから螺旋状に入り口まで結界が張ってある。真美も兄さんも千歳もみんな髪伸ばしているだろ? 結界の材料に人間の髪の毛を使ってるから、日暈家の人間はみんな髪伸ばしてる」
 日暈は長髪の家系で、老若男女問わず髪を伸ばしている。腰の上辺りまで伸びたら、結界の締め縄とするために切るのだ。これは日暈の人間の髪でなといけない。結界は瘴気を溜め込まないように、外と繋がっている。
「でも、慎一さんは伸ばしてないですよね?」
 カルミアが頭を見てくる。短く切られた黒髪。
 慎一は空いた左手で頭を撫でた。
「二十歳の誕生日に切ったから。カルミアに会う一ヶ月くらい前かな。これから十年くらい伸す予定だ。兄さんも二十歳に切ったけど、伸びるの早い」
「そうなんですか」
 納得するカルミア。
 それまで十年ほど伸していたのをばっさり切る。一週間くらいは頭が寒かったが、そのうち慣れてしまった。適応力の高さは自慢である。
「私は来年に切る予定ですよ」
 ゆらゆらと揺れる自分の髪を指差す真美。肩に担がれているのに、それを気にしている様子はない。適応が早い――とは言わないだろう。
「マガツカミの瘴気は破魔刀制作に使われたり、呪物払いなんかに使われてる。カルミアを入り口の社に連てくわけにはいかないけど。妖精じゃ一分持たないだろ」 
 螺旋状に張られた結界と外を繋ぐ小さな社。神社に納められた曰付きの物や呪物が納められている。それらの力が瘴気に当てられるだけで、数分も経たず朽ちてしまう。厄喰いの禍日神宮という肩書きはそこから来ている。
 また、破魔刀に瘴気を焼き付け、強い攻撃力と再生阻害効果を付加する。三級破魔刀は気休め程度にしか行っていないが。二級以上の破魔刀は、瘴気のせいで人外も容易に触れなくなる。瘴気の焼き付け技術は門外不出の企業秘密だった。
「見てみたいですけど、危ないなら仕方ありません」
 素直に諦めてくれる。ただ、カルミアの怖い物の基準がいまいちよく分からない。おばけや幽霊は怖がるのに、遙かに危険なマガツカミの鉄剣は怖がらない。
 肩に担がれた真美が声を上げる。
「あの、慎一さん。そろそろ下ろして貰えないでしょうか? もう脳震盪も消えましたし、一人で歩けますけど」
「放すとまた迷子になるから駄目だ」
 慎一は答えた。

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