Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家 |
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第5章 真美と一緒 |
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「さてと」 慎一は担いでいた真美を下ろした。 敷地の端にある刀蔵。漆喰の白壁と瓦屋根。その気になれば人が住めるくらいの大きさがある。鋼鉄板の仕込まれた重厚な樫の扉。周囲にはまばらな檜の林が広がっていた。 「頭がくらくらします」 真美が頭を振と、黒い髪と白いワンピースが揺れる。五分ほど逆さのまま運ばれたせいで、頭に血が上っているらしい。両手を挙げて深呼吸していた。 カルミアが蔵を見上げている。驚きに丸く開かれた緑色の瞳。 「大きな蔵ですね。刀しまっておくのに、こんなに大きな蔵が必要なんですか?」 「色々しまってあるから」 慎一は手短に答えた。 刀だけでなく槍や斧など、武器ではない術具なども保管してある。本当に大事なものは屋敷の地下に保管してあるが、刀蔵にあるものが大事でないわけではない。 ポケットから取り出した鍵。チタン製で歯に電子認証コードが組み込まれている。扉に設置された認識装置の鍵穴に鍵を差し込み、回した。 ピピッと音が鳴り、鍵の開く音がする。 「二人はここで待っててくれ」 真美とカルミアを順番に見つめ、慎一はそう告げた。 「わたしたち、入っちゃ駄目なんですか?」 残念そうに訊いてくるカルミアに、苦笑を返す。それは予想していた答えだった。好奇心の強いカルミアなら、蔵の中を見たがるだろう。 「駄目だな。蔵の中身は不用意に他人に見せられないから。盗難防止の結界とかも張ってあるから危ないし、ここで真美と一緒に待っててくれ」 「分かりました」 返事を聞いてから、扉を押し開ける。扉の隙間から流れてくる涼しい空気。蔵の中は湿気が抜けるように作られているため、外よりも涼しい。 慎一は蔵へと入った。 閉じた樫の扉を見つめて、カルミアは握った杖を下ろした。 「行っちゃいました……」 「十分くらいで戻って来ますよ。刀蔵には正式退魔師以外は入れないんです。色々秘密もありますから。慎一さんは今回だけ特別だと思います」 真美が声を掛けてくる。振り向くと、待ち遠しそうに扉を見つめていた。 「あっちで休んでましょう」 近くの木陰を指差してから、歩き出す。左右に揺れる黒い髪。 カルミアは上の羽先をやや後ろに向けて、魔力を込めた。身体が前に傾き、真美に続くように飛んでいく。妖精は夏の炎天下でも冬の寒天でも、さほど苦痛を感じない。それでも、暑いことは暑いのだ。 木陰に着き、真美が木の幹に背中を預ける。 真美の肩に並ぶように浮かんだまま、カルミアは刀蔵を眺めた。 「カルミアさん」 「何です?」 視線を向けた先には、真美の顔がある。 音もなく後退するカルミア。紫の髪と制服の裾が微かに動いた。 何があるわけでもない、落ち着いた表情。だが、カルミアは奇妙な肌寒さ覚えていた。慎一に斬り掛った直前の表情に似ている。なんとなく危ない。 カルミアの目の前に右手を差し出しながら、 「カルミアさん、触ってもいいですか? 私、子供の頃から一度妖精を触ってみたいと思ってたんですよ。駄目ですか? 少し撫でるくらいだから痛くはないですし」 「駄目です」 両手で杖を握り締めたまま、カルミアは首を横に振った。 元々契約している慎一以外に触られるのは気が進まない。それに、真美に身体を触らせるのは危険である。根拠はないが、本能が危険と判断していた。 「そうですか……」 残念そうに肩を落とす真美。 しかし、五秒ほど考え込んでから顔を上げる。右手の人差し指を動かしながら、 「じゃ、羽をちょっと触るのは駄目ですか? 先の方を少し撫でるだけです」 「それも駄目です。羽は絶対に駄目です」 紫色の眉毛を斜めにして、カルミアはきっぱりと告げた。 妖精にとって羽は最も重要な器官のひとつである。不用意に他人には触らせられない。正確には、羽を作り出す付け根部分が一番重要なのだが。 「残念です」 本当に残念そうに、真美が肩を落とす。 しかし、諦めたわけではないようだった。ジト目でぼそりと訊いてくる。 「慎一さんは触ったことあります? 羽――」 「一度だけありますよ。以前、触ってみたいと言われたので、ちょっとだけ」 オカルト研究会の合宿に行った少し後だったと思う。話の流れで羽を触らせることになり、慎一は三分ほど羽を撫でていた。くすぐったかった記憶がある。 「不公平ですね……。うん、とっても不公平です」 ジト目のまま眉根を寄せて呟く真美。何度か頷いてから顔を上げる。 カルミアの前に右手を差し出した。一転して笑顔を見せながら、 「では、手の平に乗せるだけで。駄目ですか?」 「うーん……」 五秒ほど迷ってから、カルミアは頷いた。 「それなら、いいですけど」 手の平の上に左足から降りる。右足を下ろしてから、羽の力を止めた。浮遊力が消えて、身体に重さが戻る。足に感じる自身の重さ。不安定な手の平の上で、身体を支えるように杖を突いた。 「軽いですね」 「妖精ですから」 真美の言葉に、曖昧な返答を返す。 精霊は身体のほとんどが魔力で構成されている。そのため、普通の生物よりも比重が小さいらしい。慎一が以前そんなことを言っていた。 キィと軋むような音。 「お待たせ」 樫扉を開けて、慎一が刀蔵から出てきた。鞘袋に収められた日本刀を両手で抱えている。それが新しい破魔刀のようだった。 「おかえりなさい」 右手を上げながら、真美が声をかける。 こちらに歩いて来る慎一に、続けて声を掛けた。 「それと、慎一さんは不公平なので、何か美味しいもの食べさせて下さい」 「……? 何で美味しいもの?」 眉根を寄せて慎一が訊き返す。真美の中では話が繋がっているようだが、他人には分からない。会話を聞いていない慎一では、当惑するしかないだろう。 しかし、真美とその手の平に乗ったカルミアを順番に見てから、 「なるほど。カルミアに羽触らせて貰えなかったのか」 「何で分かるんですか――」 カルミアは思わず声を上げる。慎一は数秒考えただけで、発言の経緯を理解してしまった。普通はそんなことできない。真美と同じ思考を持っているならともかく。 慎一はぱたぱたと左手を振って、 「慣れだって、慣れ。僕も子供の頃から真美のお守りしてたわけじゃないよ」 カルミアを手の平に載せたまま真美が慎一に近づいた。普通の人間なら揺れるのだが、手の平はほとんど揺れない。慎一と同じように平衡感覚に優れるのだろう。 抱えられた刀を左手で指差す。 「それ、新しい刀ですか?」 「一級破魔刀・夜叉丸だ」 鞘袋から刀を取出し、得意げに見せる。保管用の白木拵え。 鯉口を切ってこじりを前に出し、刃を上に向けてゆっくりと刀身を引き抜いた。 刃渡りは八十センチほどで、反りは三センチほど。時雨のように刺突に特化されているわけでもなく、形状は普通だった。刀身には強い霊力と術式が刻み込まれている。 カルミアは首を傾げた。 「普通の刀ですね?」 「見た目はな。力は普通じゃないけど」 答えながら、切先を鞘口に合わせて刀身を納める。 「ん?」 そこで、小さく動きを止める。近づいてくる足音。 カルミア、慎一、真美はほぼ同時に足音の主を見やる。 「――爺ちゃん」 慎一が静かに呟いた。 |