Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家

第3章 兄と妹


 杖を両手で握り、滑るように飛んでいく。
 歴史を感じさせる廊下。落ち着いた木の匂いと、淡い土の匂いがしていた。都会の建物とは違う心地よい空気だった。なんとなく故郷を思い出す。
「誰もいないですね」
 辺りを見ながら、カルミアは呟いた。大きさからすれば、十人以上住んでいるように感じるのだが、人がいるような様子がない。
 ふと気配と感じて、動きを止める。
「誰か来ました?」
 廊下の角から一人の女性が姿を見せた。
 見た目二十代後半の女の人。肩の辺りで切りそろえた黒髪、特徴の薄い顔立ちと、銀縁眼鏡。淡い紺色の着物を着て、白いエプロンを着けていた。
 カルミアを見つけて、丁寧に一礼する。
「こんにちは、妖精さん」
「あ、はい。こんにちは、です」
 戸惑いながらも礼を返すカルミア。一見人間に見えるが、人間ではない。式神と呼ばれる人工の神だった。式神のお手伝いさんらしい。
「いわゆる経費節減の一環だ」
「シンイチさん?」
 唐突に聞こえた声に、カルミアは振り向いた。
「じゃないです」
 見た目は慎一に似ている。
 ただ、年齢は二十代前半、細身で背が高い。首の後ろで縛ったややや長めの黒髪と、落ち着いた顔立ち。ワイシャツと黒いスラックスという格好で、室内サンダルを穿いてる。慎一に似ているが、薄い刃物のような狂気は感じられない。
「タツヒコさんでしょうか?」
「ああ、慎一から聞いてるみたいだな。今のは式神の紙紀さん。お手伝いさん雇うのにも金がかかるし、ここには外部の人間に教えられないようなことも色々あるしね。あれでもうちの爺ちゃんよりも年上だから」
 爽やかに笑う達彦。軽く手招きして歩き出した。
 一緒にカルミアもそちらへ向かう。一人でいるよりも達彦といる方がいいだろう。
「寒月さんが追いかけられてたけど、また何か盗み食いでもしたのかね? それとも大事なチラシか雑誌でも捨てたかな」
「フブキさんのプリンを食べたそうです」
 カルミアの言葉に、達彦は苦笑いをこぼす。
「あの人たちは昔からやってること変わってないんだよ。江戸時代の文献にも食い物取り合ってケンカしてるって書いてあった。三人に見せたら知らん顔してたけど」
 ケンカするほど仲がよい、という言葉を思い出す。相手の気持ちが理解できるから、気軽にイタズラができるのだろう。
「シンイチさんはどこにいるんですか?」
「あいつなら、爺ちゃんと話してる……んだが、こんなに長くなることは珍しいな。何かあるのかもな。そういえば、新しい破魔刀がどうこう言ってたような」
 達彦がそんなこと言う。
「兄さん」
 声を掛けられて、カルミアは振り向いた。
 視線の先に一人の少女が立ってる。
「千歳か。どうした?」
 年齢は十代後半。平坦な体格で背は高くなく、実年齢よりも子供っぽく見える。背中の中程まで伸ばした黒髪と日焼けした肌。口元に浮かぶ快活な笑み。服装は青いシャツと白いプリーツスカート、下にスパッツを穿いてる。慎一の妹だが、似ていない。
「うわ、妖精!」
 ぱっと表情を輝かせ、近づいてきた。
「アニキが言ってたカルミアだね。本物の妖精って初めて見たよ。写真作り物かもって疑ってたけど、本当だったね」
「はじめまして、カルミアです」
 姿勢を正して一礼する。
 目の前まで歩いてくる千歳。ほっと吐息してから、うっとりと見つめてくる。他人のおもちゃを眺めるような、そんな視線。
「それにしても、羨ましいなぁ、アニキ。こんな可愛い妖精と一緒に暮らせるなんて。あたしの所にも来ないかなぁ、妖精さん。誰か知り合い紹介してくれない?」
「いえ、そういうわけには……」
 苦笑いをしながら、カルミアは両手を振った。
 他の妖精たちを勝手にこちらに連れてくるわけにはいかない。掟の中には、勝手に人界に同族を連れてきてはいけないというものがある。無論、勝手に来てもいけない。自分は学校の卒業試験の特例だった。
「ところで、カルミア」
 足を踏み出しながら、達彦が思いついたように視線を向けてくる。
 達彦と千歳と一緒に、カルミアは足を進めた。実際に自分だけが飛んでいるのだが、三人一緒に歩いている気分である。
「君の左腕の腕輪」
「これですか?」
 カルミアは左腕を持ち上げた。
 手首に嵌められた銀色の腕輪。KALMIAという文字が彫り抜かれている。肉厚の薄い銀の腕輪で、さらに彫り抜きがなされているため重さはほとんど感じない。
「それ、慎一が作ったのか?」
「はい。作って貰いました」
 カルミアは得意げに腕輪を持ち上げた。続けて右手に持っていた杖も持ち上げる。青精石の根本に飾ってある赤いリボンも見せてから、
「こっちもシンイチさんに貰ったんですよ」
 リボンをまじまじと観察しながら、千歳はしたり顔で腕組みをして頷いた。
「アニキって意外といい贈り物するよね。妖精の女の子に手作りの腕輪と杖のリボン、なかなかセンスいいなぁ。女心が分かってるというか、そのくせ女の子に興味はないんだよねぇ。あれでその気になればモテモテなのに、きっと。兄さんも、ね?」
「あいつもぼくも、女の子見るより血を見る方が好きなんだけどな」
 さらっと不穏当なことを呟く達彦。
 何か言おうとしてから――カルミアは何も言わずに口を閉じた。今の台詞は聞かなかったことにして、別のことを訊く。
「ところで、わたしたちどこへ向かっているんですか?」
「撮影場」
 達彦は答えた。
「カルミア、魔法見せてくれるんだろ? 慎一が約束取り付けたって言ってたから、簡単なスタジオ用意した。あらかじめ言っておくと派手なセットは置いてない。いるのはカメラ係の爺ちゃんと手伝いの慎一だけだし」
「そういえば、そうでした」
 以前オカルト研究会の合宿に出掛けた時に、魔法を見せると慎一と約束した。ここに来る前に一度確認もされていた。本格的な撮影道具が置いてあるのを想像していたのだが、話を聞く限りそれほどでもないらしい。
「でも、まだ準備が調ってないらしい。どうする慎一?」
 達彦が視線を伸ばした先に慎一が立っていた。
「あ……れ?」
「いたんだ、アニキ」
 特に驚くでもなく声を上げる千歳。
「シンイチさん? いつから……そこに?」
 呆気にとられてカルミアは瞬きする。いなかった、と思う。少なくとも自分は気づいていなかった。妖精の感覚は人間よりも遙かに鋭いというのに。
「気配消しても見つかるか。まだ未熟だな」
 達彦を見やって吐息する慎一。気配を消して近づいていたらしい。左手にあったはずの傷は、跡すら残さず治療してある。
 自分と千歳は気づかなかったが、達彦は気づいていた。冗談のようなやり取りに、二人の技量の高さを垣間見る。
「どうするカルミア、兄さんたちと一緒にいるなら僕は一人で刀取りにいくけど」
「一緒に行きます」
 カルミアは答え、慎一の元へと飛んで行った。
 後ろから達彦が声を上げる。
「真美さんはどうした? 一緒じゃないのか」
「爺ちゃんところ行くまで一緒にいたんだけど、気がついたらいなくなってた。僕から離れるなとは言っておいたんだけど。まさか迷子になってるとも思えないけど――真美だからありそうだな、迷子」
 自分で言った可能性に気づき、頭をかく。
「ちゃんと探してね、アニキ」
「分かってるって」
 千歳の言葉に、慎一は頷いた。

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