Index Top 第5話 X - Chenge

第7章 部長、大いに語る


「諸君!」
 両腕を広げて、智也は高々と言い放つ。
 眉間を押さえる慎一。慎一の腕に掴まり怯えるカルミア。
 カルミアの一言でスイッチが入ってしまった智也。恍惚とした表情で、熱弁を振るう。さきほどから五分ほど熱い話を聞かされていた。しかし、慎一たちに語るだけでは飽きたらず、今度は他の客に向かって演説を始めている。
「諸君、私は二次元が好きだ。
 諸君、私は二次元が好きだ。
 諸君、私は二次元が大好きだ!
 妹が好きだ 姉が好きだ 幼馴染みが好きだ 大人の女性が好きだ ロリっ娘が好きだ
 メイドが好きだ 巫女さんが好きだ 獣っ娘が好きだ 悪魔ッ娘が好きだ
 その他諸々の二次元少女が好きだ――
 学校で 自宅で 公園で 神社で 病院で 洋館で 海で 空で 異世界で
 この仮想世界に存在するありとあらゆる女の子が大好きだ!」
「鬼門寺智也ァ!」
 慎一は声を張り上げた。
 常人離れした肺活量から放たれる大音声。真正面から大声を叩き付け、相手の思考を数瞬止める技法である。公共の場所で使えるものではないので、声量は絞ってあるものの、至近距離では思考を一時停止させるほどの威力はあった。
 口を閉じ頭を振ってから、智也は不服そうに眉を寄せる。
「何だ、慎一。せっかく『諸君、私は二次元が好きだ』を披露しようとしてたのに」
 慎一は疲れたような眼差しを向けた。客たちの好奇の視線が痛い。どこから言うべきかは迷ったが、一番無難な問いから始める。
「何なんですか……『諸君、私は二次元が好きだ』って」
「ヘルシングの少佐の演説のパロディだ。有名だが知らないか? ぼくはこの演説に二次元への愛を込めている。一度一般人の前で披露してみたいと思ってたんだ」
 真顔で答えてくる智也。
「ただし、勘違いするなよ。ぼくは三次元を否定しているわけではない。生身の女性と幸せに恋愛できるのなら、それに越したことはない。しかし、世の中には容姿や性格のせいで、幸せな恋愛など望むことすら許されない人たちがいる」
「トモヤさんは……容姿も性格もいいですよね?」
 なんとなく口にしたカルミアの――というか、結奈の余計な一言に。
 智也の斬り付けるような眼差しが突き刺さった。殺気めいた凄みに、言葉もなく慎一の後ろに隠れるカルミア。一般人ならそれだけで圧倒できる迫力。
「自慢じゃないが、ぼくは容姿から能力、家系に至るまで恵まれている。それでも、生身の女は苦手なんだ。サスペンスドラマばりの血みどろの醜い争いを見れば、もう生身の女に関わりたいと思うことはないだろ。あれはトラウマを刻みつけるに十分な光景だしな。ぼくは兄貴たちのように器用じゃない。だからこそ――」
 智也はすっと右手を伸ばした。人差し指を高く突き上げ、どこかを指差す。天井ではなく、もっと遠く高い空の彼方。澄んだ黒い瞳は世界の果てを見つめていた。
 ぽかんと口を開けているカルミア。
「ぼくは二次元へと飛翔する!」
 あまりの威風堂々とした態度に、パチパチと見物客の拍手が巻き起こる。どういう理屈なのか分からないが、周囲の人間を自分の世界に引き込んでいた。
 智也は優雅に腕を下ろすと、観客に向かって一礼。再び起こる拍手。
 慎一は冷淡に確認する。
「適当に殴って気絶させてから、全部無かったことにして帰っていいですか?」
「そりゃ困る」
 眼鏡を動かし、智也は首を振った。
「これからメイドロイド制作に懸ける意気込みについて語ろうと思ってるのに」
 ヒュン。
 伸ばした指が空を切る。
 慎一は無言で一本貫き手を放っていた。顎を突いて脳震盪を起こす打撃。
 だが、智也は寸前のところで身体を捻り、突きを躱している。人差し指は顎の数センチ前を空振りしていた。こう見えて運動能力も常人離れしている。
「とりあえず、お前の気持ちは理解した。今日はおとなしく引き下がることにする。あまり非現実的な話に付き合わせるわけにもいかないんでね」
 智也は真面目な顔で頷くと、荷物から文庫本を一冊取り出し、差し出してくる。
「これはほんのお詫び。ぼくが描いた同人誌だ」
『漫画で分かる 現代日本のメイドロイド制作に向けての取り組み 書神氷雨』
 メイド服姿の女の子が描かれた表紙をひとしきり眺めてから、胡乱な目付きで智也を睨む。書神氷雨と言うのが智也のペンネームであることは分かるとして。
「えーと、ありがとうございました」
 棒読みに告げてから、慎一は文庫本をポケットにしまった。追求して話を続けるのは得策ではない。カルミアの腕を掴んで歩き出す。
「さようならです」
 カルミアが手を振っていた。
 智也が笑いながら手を振り返している。
 構わず慎一は本屋を後にした。


「撤収ー」
 本屋から逃げるように出てくる慎一とカルミアを確認し、結奈は呟いた。
 あらかじめ指示していた通り、飛影は翼を広げる。何度か羽ばたいてからアンテナから飛び降り、反動をつけて一気に飛び上がった。体感として十数メートルを一秒で移動しているのだが、さほど異常は感じない。
「妖精の身体ってタフね」
 飛影の背中に掴まったまま、何度か頷く。
 飛影は慣れた動きで空中を移動してから、百メートルほど離れた屋根の上に着地した。ここまで移動すれば気づかれない。
「結局何だったの?」
「まぁねぇ」
 結奈はぽりぽりと頬を掻く。一言で説明するのは難しい。
「ただの変態よ。高校生の頃に交通事故に遭って臨死体験して人格変わっちゃったの。もとはさえない男だったらしいけど、本人曰く覚醒したとか……。なんというか、あたしたちの中じゃラスボスね。ラスボス。魔王。いつか倒すべき相手」
「何それ……」
 困惑する飛影。事情を知らない者には理解できないだろう。漫研部員として日常的に話していても三割ほどしか理解できないのだ。無理は言えない。
「気にしない方がいいわ」
 結奈の忠告に従い黙る飛影。
「部長はさておいて、あの二人どうしようかしら」
「何もしない方がいいよ。どうせろくな事にならないんだから」
 冷静な指摘が返ってくる。飛影でなくともこう言うだろう。今の状態では特に出来ることもない。術式の形式上、自分の身体に働きかけることもできない。
 しかし、結奈は無視して口を動かした。
「でもねー。キスのひとつでもしてくれないと、ここまで頑張った意味ないと思うの。倉庫から仕様書引っ張り出して、色々と術式組んで大変だったのに」
「姉ちゃん。向こうにあるのが自分の身体だってこと覚えてる?」
 不安げに飛影が確認してくる。
「大丈夫よ。あの慎一がそんなことするわけないじゃない――という面白い展開期待してるのに、何もしない根拠があるという困った矛盾。どうしようかしら? いっそカルミアの身体にいたずらしてみる?」
「慎一さんに殺されるって」
「冗談よ。あたしも命は惜しいわ」
 さらりと告げられた一言に、乾いた苦笑を返す。慎一はカルミアを妹のように可愛がっている。実妹はいるようだが、他人の方がむしろ気楽だろう。
 飛影の頭に肩肘をつき、結奈は空を見上げた。
「あの二人はあれが適当なのかもね。仲の良い兄妹みたいな関係が……。他人が口出すことでもないんだけど、退屈って言えば退屈よねー」

Back Top Next