Index Top 第2話 慎一の一日 |
|
第4章 日暈の体術 |
|
足音もない。 二人の距離が一瞬で消え、手が一閃。 身体を仰け反らせ、政明が後退する。 慎一は振り抜いた右手を戻した。 政明の着ている胴着が、斬れていた。右のわき腹から左肩まで。剃刀で撫でたように斬れていた。胴着の切れ目をなぞるように赤い線が浮び、傷の端から血が流れる。傷は浅いものの、それは紛れもなく創傷だった。 慎一は右手の中指を舐めながら、 「日暈流体術・指刃……」 「……斬った!」 「指で、斬っただと?」 「ありえない」 観客が明らかな動揺を見せる。刃物を使わず、指の力だけでものを斬る。人間業ではない。だが、速度とタイミングを合わせれば、不可能ではない。桁違いな才能と鍛錬が必要になるが、不可能ではない。 慎一は両腕を下ろし、 「まだ、やるか? 刃物持った相手に」 政明は胸の傷を指で撫でた。指についた血を舐め取り、 「無論!」 凶暴な笑みを浮べ、奔る。切れた、らしい。 慎一は右手を握りこみ、左手を開き、政明を迎え撃った。 小細工もない、右の正拳。顔面を狙って突き出された右腕を、一閃させた左手で払う。指が肉を斬り、血が飛んだ。だが、さほど効いてはいない。 (創傷は出血と痛みはあるけど、意外とダメージ小さいからな) 振り上げられた左足が、慎一の太腿を狙う。いくら打たれ強いとはいえ、ローキックを何度も喰らっていては、動きが鈍くなる。右腕で足を防ぎ、力任せに足を払った。 政明が転倒する。 慎一は右手を伸ばし、貫き手の形にした。右肩を狙い、躊躇なく突き下ろす。重い感触。肉に刺さった感触ではない。 貫き手は、畳に突き刺さっていた。政明はいない。 横に転がって貫き手を躱している。右腕から血が飛び散った。 (……しまった!) 畳に指が刺さっているせいで、次の動作が遅れた。 政明は慎一の顔面を、力任せに蹴り飛ばす。サッカーボールでも蹴るように無造作に、しかしとんでもない威力で以て。もはや、格闘技ではない。 慎一は仰け反るように身体を起こした。正確には、無理やり起こされた。 目の裏に星が瞬き、耳の奥で金属音が響いている。 みぞおちに一撃喰らって、慎一は意識を取り戻した。 (まだまだ!) 政明の中段蹴り。足を避けながら伸びた指が、太股を切り裂いた。深さ一センチほどの創傷を刻み込む。厚い胴着の上からでは、うまく斬れない。 足を引き、後退する政明。追撃する慎一。 (指刃・穿!) 両手の中指を伸ばし、捻じるように突き出した。政明の左肩、右胸、みぞおちの左、右わき腹、防御のために上げた両腕に、浅いながらも銃創のような傷を打ち込む。 (指刃・爪!) 両手の指を伸ばし、両腕を閃かせ、さらに交差するような創傷を刻み込んだ。大型肉食獣にでも引っ掻かれたような傷跡。ここまで出血すれば、戦意を喪失する。 しかし、政明は止まらない。慎一の手刀を右腕で防ぎ、強引に身体を密着させてくる。顔が触れ合うほどに。腕が振れない。 その状態から、頭突き。 「!」 鼻の頭に額を叩きつけられ、慎一は息を止めた。 手足から僅かだが、力が抜ける。 心臓に一撃。続けて、喉に手刀。最後に、側頭へのハイキック。 視界が霞んだ。 (これは、効いた……!) 「シンイチさん、逃げて!」 カルミアの叫びに、慎一は目を開けて。 黒い影。 顔面に踵落としを喰らっていた。 頭の中に火花が飛ぶ。意識の半分が欠落し、何も聞こえなくなった。思考が止まり、頭が真っ白になる。全身から力が抜けて、立っていられない。 身体が倒れていく中で、勝ち誇った政明の顔が映る。 慎一は左手を握り締めた。腕から木の軋むような音が響く。 力の入らない足腰に活を入れ、倒れるのを踏み留まった。口元に凄絶な笑みを浮べ、政明を睨みつける。まだ終わらない。まだ身体は動いた。 政明が右手を突き出し―― 吹っ飛んだ。 五メートルほど飛んでから、床に倒れる。 大の字に引っくり返ったまま、ぴくりとも動かない。 白目を剥いて、完全に気絶していた。 慎一は突き出していた左手を戻す。 「……油断したな。マイナス三点だ」 指についた血を舐め取りながら、独りごちた。 政明は身体中から血を流している。見た目は酷いが、幸い致命傷には遠い。普通に治療しておけば、二週間ほどで治るだろう。血のついた畳は掃除が大変だが、それは慎一の知るところではない 慎一は背伸びをして振り返った。 呆然としていた観客が、慌てて政明に駆け寄る。 「部長!」 「しっかりしてください!」 「あー。ちょっといいか?」 慎一の声に、一斉に振り返ってくる。恐怖と殺気の混じった、表情。 多少怖気づきながらも、告げた。 「部長が起きたら伝えといてくれ。もう決闘はやらないって。次やったら、僕は骨をへし折ると思う。この程度のケガじゃすまないし、大学も黙認してくれないだろ」 「分かった」 空手部の副部長が頷く。名前は忘れた。 副部長の指揮の元、数人が担架を持ってくる。手馴れた流れで、政明を担架に乗せて、道場の外へと運んでいった。他の部員も一緒に出ていって、慎一だけが残る。 「手際いいなぁ」 感心していると、カルミアが近寄ってきた。 「大丈夫です……」 言いかけて口を閉じる。 三秒ほど固まってから、口を手で押さえた。頬を赤く染め、肩をぴくりと動かし、 「ぷ」 「笑うな。分かってる」 慎一は歯の裏側を舐めた。上の前歯が一本なくなっている。 踵落としで折れたのだ。近くを見ると、折れた歯が落ちていた。 「すきっぱかよ」 それを拾い上げる。根本からぽっきりいっていた。折れた歯は早めに歯医者に持っていけば、治すことが出来る。ただ、治療費はかかる。 慎一はカルミアに歯を見せた。 「治せないか? これ」 「え……。どういうことです?」 笑いを堪えながら、訊き返してくる。 「魔法で治せないかな? 折れた歯をつなげるのでもいいし、新しく歯を生やすのでもいいし。僕の使える術じゃ、折れた歯は治せない」 後継者ではないとはいえ、慎一は日暈家の人間だ。基本的な退魔術および霊術は教え込まれているし、使うことも出来る。しかし、その中に折れた歯を治す術はない。骨折なら治せるのだが、身体の失った部位を再生させるのは、もう二段上の技術だった。そこまで教えられていない。 昨日、カルミアは治療の魔法が得意と言っていた。 カルミアは折れた歯と口を見つめてから、ぐっと拳を握る。 「やってみます!」 「頼むぞ」 |