Index Top 第2話 慎一の一日 |
|
第3章 放課後の決闘 |
|
空手部部長兼主将、古河政明。四年生。身長百八十五センチ、体重八十六キロ。 最初の決闘は去年の夏。政明が空手部に入部するように言ってきた。入部する気はなかったので断ったが、しつこく食い下がられ、出来心で決闘に負けたら入部すると言ってしまった。政明としては順当に勝ってから、空手を教え込む予定だったのだろう。その思惑は外れ、開始二秒で沈んだ。 その後、十回ほど挑まれ、その度に撃退している。 今では、入部は建前で、慎一を倒すことが目的となっていた。 「さっきも言ったとおり、決闘の最中は静かにしててくれ」 「はい。分かりました」 カルミアの返事を聞きながら、慎一は戸を開けた。 体育館一階の道場。かなりの広さがある。空手部、柔道部、剣道部、合気道部が持ち回りで使っているらしい。靴と靴下を脱ぎ、中に入る。 道場の中央には、胴着をまとった政明が立っていた。 「遅かったな」 慎一を見て、静かに呟く。 「僕も色々あってね」 苦笑しつつ、慎一は道場の中央に進んだ。なんとなくついてきてしまったカルミアに、視線で離れるようにと伝える。 観客は二十人ほど。この道場を使っている部員の一部。この決闘は裏で大掛かりな工作活動が行われているらしい。口の軽い部員および顧問はいなかった。大学は部活の延長として黙認はしているが、快くは思っていない。 観客たちの横に移動し、カルミアが無邪気に手を振る。 「シンイチさん、頑張ってくださ〜い」 「着替えなくていのか?」 政明が聞いてきた。 慎一はデニムの黒いズボンに半袖の青いダンガリーシャツという格好である。靴下は脱いでいるが、畳の上で戦うのには向いていない。準備運動もしていない。 「いいよ、この格好で」 両手を動かしながら、答える。 「余裕だな……」 政明は淡々と言った。 「ルールはいつも通り。フルコンタクトのヴァーリ・トゥード。どちらかが降参するか、動けなくなるか。勝負がつくまでの無制限一本勝負」 「異存はない」 答えて、右腕を上げる。 左手と左足を前に突き出し、腰を落とした。大袈裟とも思えるほどの構え。弓を射るように引き絞った右手。小指から順番に握りこみ、拳を作る。 「……牙突」 観客の誰かが囁く。 牙突。構えの正式な名称はないが、そう呼ばれる。某剣客漫画の元新撰組三番隊組長の必殺技。左右逆で刀は持っていないものの、ほぼ同じ形だ。冗談のような構えであるが、繰り出される拳の重さと速度は冗談ではない。 初手の定石。最初に政明を倒したのも、この構えだ。 政明が迎え撃つように腰を落とす。 決闘開始と受け取り、慎一は駆け出した。小手先の読み合いは不要。 七メートルの距離を一秒で詰め、撃ち出すように右拳を放つ。全力疾走に体重を乗せ、全身のバネを弾ませて突き出す、渾身の一撃。 政明が素早く身を沈ませる。 ドッ! わき腹に衝撃が走った。痛みはない。視線を動かさずとも分かる。しゃがみこむほどに体勢を落として、政明がわき腹に正拳を叩き込んだのだ。 慎一は身体を捻りながら左手に移動し、右足を振り上げる。頭を狙った中段蹴り。 政明は右腕で蹴りを防ぎ、後退した。追撃は危険と判断したらしい。懸命な判断である。不安定な体勢から追撃してれば、反撃を受けていた。 鼻を鳴らしながら、慎一も数歩引く。 「……痛い」 右手でわき腹を押さえた。 観客たちが驚愕の吐息を漏らす。 今までの決闘で、政明は牙突に悩まされてきた。単純な技だが、あまりの威力のため、防ぐことが出来ない。刀などの得物を持っていないので、相手の反応で即座に技を変えることも出来るため、回避も難しい。 そこで、小細工なしのカウンター。 政明は乾いた唇をなめながら、 「牙突に合わせて、肝臓への正拳。こんなもん喰らったら、空手の有段者でも動けなくなるぞ……。前々から頑丈なヤツだと思ってはいたが、どこまで頑丈なんだ? そんな細い身体で、どんな鍛え方してる?」 慎一の身長は百七十四センチ。体重は六十二キロ。はっきり言って細い。筋肉質の締まった体格だが、鎧と呼べるほどの筋肉はない。格闘技に向いた体格ではなかった。 「秘伝だから教えられないな」 告げて、慎一は走った。 さきほどよりも速い。政明の目に緊張と驚き浮かぶ。カウンターでの肝臓への正拳。普通なら動けなくなるだろう。しかし、速度は落ちていない。 迎え撃つように、政明が左手を突き出す。お手本のように無駄のない中段突き。 右手を前に出し、慎一は突きを逸らす。 政明は慎一の左側に移動した。慌てることなく、慎一は右側に移動する。 が、相手の方が早かった。太股を狙った下段蹴り。これは防げない。防ぐつもりもない。左太股に足を受けながらも、体勢を崩さず、慎一は左拳を放つ。 カウンター気味に繰り出される、政明の拳。 半歩後ろに跳んでから、慎一は引き戻される右腕に合わせて、左腕を伸ばした。 どちらも、これらは予想内である。定石に従い、間断なく技を出していく。どちらかが定石から外れた時に勝負が動く。 そして、十手ほどお互いに手を出してから。 政明の中段蹴りが慎一の胴に入った。 「!」 その表情が、驚愕に強張る。ここは躱すところだ。 蹴りの衝撃を、身体を回転させることで受け流し、慎一はその勢いを乗せた後ろ回し蹴りを放つ。実戦ではまず使えない技だが、呼吸と速度が重なれば、一発逆転の切り札となる。威力はさきほどの牙突に匹敵するだろう。 「ふッ!」 両腕を交差させ、政明は蹴りを防いだ。防いだが――態勢が崩れる。 足を下ろし、慎一は右手を突き出した。指を丸めた平拳。狙いは喉。 政明は平拳を左腕で防ぎ、左足を動かす。下段への左。 しかし、慎一の右足が政明の左足を止めた。振り上げたようとした足の脛を、蹴り止める。まともな神経では行わないし、出来るようなことでもない。動きを妨げられ、態勢がさらに崩れた。が…… 政明が慎一の左手を掴む。 すっと血の気が引いた。 「……待ッ!」 空いている右腕を上げ―― 突き出す。 衝撃とともに、視界が揺れた。 意識が飛びかける。 慎一は後退した。左手で顎を押さえる。 政明が喉を押さえていた。衝撃を受けた時に、反射的に右手を突き出していたらしい。ただ、腰が入っていなかったため、効果は浅い。 「お前……ッ」 首を左右に振りつつ、政明を睨んだ。 目の前にちかちかと星が浮かんでいる。 「顎に肘打ちなんて、何考えてるんだ……!」 慎一は叫んだ。政明は慎一の腕を掴んで強引に引き寄せ、左肘を顎に叩きつけたのである。空手の技ではない。ぎりぎりの所で打点を逸らしていたからよかったものの、運が悪ければ顎の骨が割れていた。 「お前なら、大丈夫と思ってな。現に、大丈夫だろ? それに、お前に正攻法は利かないし、普通の神経じゃ使わない技を何の躊躇もなく使ってくるし……な?」 にやりと笑い、言ってくる。反省する気はないらしい。 「軽い脳震盪だな。足がふらふらする」 顎をさすってから、慎一は握っていた右手の指を伸ばした。打突の正拳でもなく、重い打撃の掌底でもなく、投げ技を狙う開手でもない。手刀でもない。 中指と人差し指だけを伸ばし、緩く曲げた、奇妙な手。引っかくような指。 「普通の神経じゃ使わない技ねぇ……。それはこんなのだろ?」 慎一は踏み込んだ。 |