Index Top 第2話 慎一の一日 |
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第2章 噂話 |
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「授業、まだですか?」 机の上にちょこんと座り、カルミアが時計を見る。 早瀬工科大学。南棟二階にある教室。前から三番目の机に座り、慎一は本を読んでいた。不思議宇宙のトムキンス。市の図書館で借りたものだ。 慎一は本から目を離して、時計を見た。 八時五十分。 「授業は九時十分からだから、あと二十分あるよ」 「授業が九時十分からなら、もう少し家でゆっくりしてもいいと思うんですけど」 カルミアが不思議そうに言ってくる。 慎一のアパートは大学に近い。八時半頃に起きても間に合う。しかし、慎一はいつも七時に起きて大学に行っていた。八時過ぎから教室で本を読んでいる。 「ゆっくり寝ててもいいんだけど、それじゃ本読めないから。どうもアパートじゃゆっくり本読めないし。大学や図書館は落ち着くからね」 「本、好きなんですか?」 慎一の呼んでいる本を眺める、カルミア。 「子供のころから本を読むのは好きだったよ」 「わたしも本が好きです」 「どんな本読んでたんだ?」 「小説ですね。昔話や伝説を題材にした冒険小説や恋愛小説が好きです」 嬉しそうに両腕を広げる。 大体、ライトノベルのようなものだと見当をつける。読んでみたいと思うが、妖精の言葉が分からない。暇があったら、教えてもらおうと思う。 慎一はしおりを挟んで、本を閉じた。 ほぼ同時に、後ろのドアが開く。 「よう、慎一」 「おはよう」 入ってきたのは、二人の男女。 一人は黒いベストを着た男。短く刈った髪と、能天気そうな顔。筋肉質の身体で、背は高い。慎一のような鍛え方ではなく、スポーツで鍛えたものだ。 もう一人は、髪の長い女。こちらは青いベストを着ている。男とは対照的に、おとなしそうな文学少女といった面持ちで、身体もほっそりしている。 櫻井兄妹。兄の和宏と、妹の千尋。双子である。 「今日は早かったな」 慎一は声をかける。この二人が教室に来るのは、九時頃だった。それより早く来ることは珍しい。なんとなく気になった。 「面白い話を聞いたから、ちょっと早く起きた」 言いながら、和宏は慎一の後ろの席に座る。 慎一は、カルミアに目配せをした。話しかけないように、と。 カルミアは無言で頷く。 千尋が和宏の隣に座った。 「慎一くん。また決闘やるんだって?」 「……とうとう聞きつけたか」 呻きながら、慎一は頭を押さえる。 空手部の主将との決闘。どこからか、慎一は人並み外れてケンカが強いという噂話を聞きつけ、空手部部長兼主将の古河政明が入部するように言ってきた。それが、去年の夏ごろ。決闘で勝ったら入部ということになり、定期的に戦っていた。 「どこで聞いた?」 慎一は尋ねた。決闘は秘密にはしていたが、どこからか漏れるらしい。噂は自然と広まってしまう。隠しきれるものではない。 「文芸部の友達から聞いたよ」 「陸上部の先輩から聞いたぞ」 二人揃って答えてくる。双子というだけあって、ぴったり息が揃っていた。二卵性双生児であるが、共時性というものが働いているのだろう。いつも一緒にいるので、呼吸が合うといったほうが正しいかもしれない。 慎一はため息をついて、質問を続けた。 「どこまで知ってる?」 「近いうちに、慎一と古河さんが決闘する。日時までは知らね」 和宏が答える。 ひとまず安心した。決闘は今日の授業時間終了後、四時五十分からである。日時までばれていると、押しかけられてしまう。それは感心出来ない。 「噂だけど、慎一くんって一度も負けたことないんでしょ?」 千尋が身を乗り出してくる。 慎一は目を逸らしながら、頷いた。 「ないな」 退魔師の日暈家。次男で跡継ぎでないとはいえ、退魔術の基礎は教えられている。それには白兵戦での戦闘術も含まれていた。人外の者を相手とした代物であるため、慎一は下手な格闘家よりも強い。 おおっぴらには言えない。 「慎一、お前どこで格闘技習ってるんだ? っていうか、どんな鍛え方してるんだ? 格闘技だけじゃないだろ。陸上部の俺を追い抜いたこともあったし、お前なら百メートル十秒で走れるんじゃないか?」 和宏がからかうように笑う。 以前、遊び半分で和宏と競争をし、慎一はあっさりと勝ってしまった。和宏は陸上部の短距離のレギュラーであり、素人が追い抜ける脚力ではない。 「何度も言ってるけど、うちの爺ちゃんが日暈流古武術って地味な道場開いてるんだよ。子供の頃から、格闘技や身体の動かし方は叩き込まれてるから」 慎一はごまかすように手を動かした。 さすがに退魔師の一族とは言えない。実家が道場を開いていて、子供の頃から色々教えられていると答えれば、大抵の人が納得してくれる。 (……どうしても、手抜きって出来ないんだよなぁ) 慎一は心中で呟いた。 ケンカにしろ競争にしろ、身体を動かすことで手抜きが出来ない。ケンカを売られれば買ってしまい、相手を叩きのめしてしまう。競争を挑まれれば、本気で走って追い抜いてしまう。決闘を申し込まれれば、引き受けて叩き伏せてしまう。 「出来るだけ、争いごとは避けてるんだけど」 「食べ物に釣られちゃうんでしょ?」 「うん」 千尋の指摘に、小声で答える。 和宏が続けて訊いてきた。 「今回は、何に釣られたんだ?」 「ラーメン、カレー、チャーハン、うどん、蕎麦、日替わり定食二枚、スペシャルランチ、デザート券五枚。断れなかった……」 呻いてから、両手で顔を覆う。 最初に蕎麦まで出され、心が揺らいだ所へ日替わりランチ、スペシャルランチと畳み掛けられ、とどめのデザート券五枚。我に返った時は、食券を握りしめて部長の背中を眺めていた。引き止めることは出来なかった。 「相変わらず食い物に弱いな、お前」 「言うな……」 慎一は手をどかし、苦悩の表情を見せる。 食べ物に弱いのは、子供の頃からの悪癖だった。食べ物に釣られていらぬ面倒を引き込んだのも、一度や二度ではない。自制しようと努力しているのだが、どうしても誘惑には耐えられなかった。 「シンイチさんて、食いしん坊ですね」 カルミアが無邪気に言ってくる。 慎一はカルミアから目を逸らした。千尋と目が合う。 「勝てるの?」 「んー?」 問われてから、さらりと答える。 「勝てるだろ。負ける要素ないし」 |
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