Index Top 第1話 契約、新しい生活

第5章 カルミア、お風呂に入る


「もう、酔いは醒めたか?」
 慎一は机の上に座っているカルミアに声をかけた。洋間。テレビの横に置いてある、パソコンデスク。カルミアはノートパソコンの横に座っている。
「はい。だいぶ落ち着いてきました」
 頭を振りながら、カルミアは答えた。
 あれから一時間ほど経ち、酔いも醒めている。口調も元に戻っていた。元に戻らないことも考えたが、杞憂だったらしい。服も乾いたので、着替えている。
「でも、何で水飲んで酔っ払ったんでしょう? 水を飲んで酔っ払うなんて初めてですよ。聞いたこともないですし」
 不思議そうに首を傾げるカルミア。
 ノートパソコンのキーボードを叩きながら、慎一は呟いた。
「塩素が原因かもしれない」
「塩素?」
 訊き返してくるカルミアを見つめ、説明する。
「水道水の消毒に使われる科学物質だよ。化学記号はCl。殺菌、漂白効果がある。水道水に含まれる濃度はリットル辺り、0.1ミリグラムくらいかな。人間が水道水飲んでも何ともないけど、妖精が飲むと酔っ払う……か」
 右眉を指で撫でて、苦笑した。
「こっちでものを食べちゃいけないのも、納得だな」
「どういうことです?」
 意味が分からず訊いてくるカルミア。
「こっちの水道水飲んだだけで酔っ払うんだ。人間の食べ物食べたら、身体がどんな反応を起こすか分からないぞ」
 妖精の身体には、人間の作るものは合わないのだろう。単純な水でも、不純物を含んでいれば体調が狂う。水道水だったので、酔っ払う程度で済んだのだろう。もし、お茶やジュースを飲んだら、どんなことになるのか。
「怖いですねぇ。これから気をつけます」
 カルミアは難しい顔で腕組みをする。
 慎一は訊いてみた。
「カルミアって、向こうじゃどんなもの食べてたんだ?」
「ワンというものが主食です」
「椀?」
 ワンと言われても、どんなものか分からない。
 カルミアは考えるように視線を上げてから、
「パンに似た食べ物です。精霊界に生えている木の実をすりつぶして、固めて焼いたものです。ちょっと硬いですけど、ほんのり甘くておいしいですよ」
「ほう」
 慎一はその食べ物を想像してみた。頭に浮かんだのは低糖クッキーだった。作り方からして、似たようなものだろう。食べた感じも似たようなものだろう。
「大きさはどれくらいなんだ?」
「これくらいですね」
 カルミアは両手で輪を作ってみせた。五百円硬貨と同じくらいの大きさである。カルミアの身体からすると大きいが、思ったよりも小さい。
「でも、向こうの食べ物をこっちに持ってきちゃいけないんですよ。ジャムつけて食べるとおいしいんですけど……」
 しゅんとするカルミアに、慎一は声をかけた。
「持ってきても食べられないと思うけど」
「どうしてです?」
「妖精は人間の食べ物を食べちゃいけない。なら、逆に人間も妖精の食べ物食べられないんじゃないか? ……腹壊すのは嫌だぞ」
 半眼で告げる。
 カルミアは水道水を飲んで酔っ払った。人間の食べ物を食べたら、どうなるか分からない。慎一が妖精の食べ物を食べて平気という保障はない。
「なるほど。そうですね」
 カルミアは納得したように首を動かす
 慎一は次の疑問を訊いてみた。
「ところで、風呂はどうするんだ?」
「お風呂、ですか?」
 瞬きをするカルミア。言われて初めて気づいたようである。
「当たり前だけど、こっちには妖精が入れるような風呂なんかないからな。何か代わりのもので代用しないと」
「うーん」
 カルミアはふわりと浮き上がり、部屋の中を一周した。
 洋間には折畳み式のベッドとテレビ、パソコン用の机しかない。和室に移動する。卓袱台とタンス。部屋の隅にゴミ箱がふたつ。
 慎一は椅子から立ち上がり、カルミアの後を追った。
「これにお湯を入れれば、お風呂になりますよ」
 カルミアは台所に置いてあったプラスチックのタッパを指差す。二十センチ四方で、高さは七センチほど。確かに、湯船に似ているかもしれない。
 慎一はヤカンを手に取り、
「お湯はこれでいいか」
「はい」
 カルミアが手を上げる。
 慎一はタッパとヤカンを持って、畳部屋に移動した。卓袱台の上にタッパを置いてから、中にお湯を注ぐ。
「えらく貧相だな……」
「贅沢は言いませんよ」
 笑いながら、カルミアはタッパの横に下りた。お湯に手を入れてみる。
「ちょっとぬるいですけど、丁度いいです」
「じゃあ、僕は風呂入るから」
 慎一はハンカチを二枚取り出し、カルミアに渡した。布巾を横に置いておく。
 続いて、着替えとタオルを取り出し、風呂場に向かった。

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