Index Top 第1話 契約、新しい生活

第4章 カルミア、水を飲む


 一人暮らし用の台所。コンロに流し、一人用の冷蔵庫。その上にレンジとトースターが置いてある。毎日掃除しているので、汚れはない。
 冷蔵庫を開けると、中身はネギ一本。それだけ。
「……仕送り前だしなぁ」
 諦めて、流しの下の扉を開ける。
 カップ麺が十個。近所のスーパーで買い溜めたものだ。値段が安く、日持ちして、美味しいもの。貧乏学生の味方である。
「何ですか? それ」
「カップ麺。ラーメンを油で空揚げしたものだよ。お湯で戻して食べる」
 カップ麺をひとつ取り出しながら、簡単に説明した。これだけの説明で理解出来るかどうかは分からない。詳しく説明する理由もないだろう。
「美味しいんですか?」
「……美味しいといえば美味しいけど、一日で飽きるな」
 カップ麺だけ食べるのは、食費もかからない。だが、続けて食べたいとは思わない。味が単調ということもあるしあまり身体にいいものでもない。
 カップ麺を置いて、ヤカンに水を入れる。
 が、火を付けずに、カルミアを見た。
「なあ、カルミア」
「何です?」
 訊いてくるカルミアに、ヤカンを見せる。
「これ、沸かせないか?」
「沸かすって……中に入れた水をお湯に変えるんですか?」
「ああ。契約したんだから、さっそく魔法を使ってくれないか? そんなに難しいことじゃないだろ? 水をお湯に変えるだけだから」
「分かりました!」
 元気よく手を上げた。やる気満々である。
「そのヤカンを置いてください。持ってると危ないですよ」
 その言葉を聞いて、慎一はふと怖くなった。カルミアは火の魔法は苦手と言っていた。服を乾かそうとして燃やした経験もあるらしい。
「……念のため言っておくと、火は起こさないでくれ。周り燃やされると面倒だから。ヤカンの中身の水を沸騰させるだけだからな」
「うぅ。難しそうだけどやってみます。ヤカン置いてください」
 慎一はヤカンをコンロに置いた。
 カルミアは真剣な眼差しでヤカンを見つめ、呪文を唱えだした。印は結んでいない。印を結ぶ種類の魔法ではないのだろう。
「熱よ」
 手をかざす。
 同時に、ヤカンの口から湯気が噴出した。
 火は出ていない。何も燃えていない。ヤカンの水そのものに、高熱を発生させたのだろう。なかなか高度な魔法である。ただ、湯気の量が多い気もした。
「上手くいったな」
「上手くいきました」
 嬉しそうに微笑むカルミア。
 慎一はカップ麺の蓋を開けて、かやくと粉末スープを入れ、熱湯を注いだ。蓋をして箸を乗せて、畳部屋に移動する。
 卓袱台の上にカップ麺を乗せてから、時計を一瞥し、カルミアを見る。
「水を飲むって言ってたけど、飲むか?」
「はい」
 頷く。
 慎一は立ち上がり、流しの前まで移動した。
 流しの下から、小さなガラスのコップを取り出し、それに水を入れる。卓袱台まで戻り、座っているカルミアの前にコップを置いた。気づく。
「そのまま飲むわけにもいかないか。スプーン持ってくる」
「このままで大丈夫です」
 カルミアは立ち上がり、コップを抱え上げた。人間にしてみれば、ドラム缶を抱えているようなものだろう。小さな身体とは裏腹に怪力である。
「どうする気だ……?」
 心持ち戦きながら、慎一は尋ねた。
 カルミアは答えず、コップに口をつけた。
 そのままコップを傾けて、中の水を飲んでいく。それほど早くはないものの、確実に水は減っていった。三十秒ほどで空になる。
「ふはぁ〜。何か変な味がしましたけど〜、美味しかったです〜」
「失礼」
 断ってから、慎一はカルミアを掴み上げた。
 コップに入っていた水は、およそ百五十ミリリットル。それを全部飲み込んだカルミアは百五十グラムを超えているはずだ。そうでなければおかしい。
 しかし、カルミアの重さは二十グラムほど。
「飲んだ水はどこに行ったんだ?」
「さあ〜、どこでしょうね〜」
 手を振りながら、笑うカルミア。
 原理が分からない。身体より量のある水を全部飲み込んだのに、重量が増えていない。飲んだ水は、どこに消えたのだろうか。異次元に消えたとでもいうのか。解剖でもすれば分かるのだろうが、そうもいかない。
「よし。理解不能」
 慎一は諦めた。
 カルミアを置いて時計を見る。まだである。
「こっちに荷物を召喚するって言ってたけど、どれくらいの荷物を持ってくるつもりだ? 大量に持ってこられても困るけど」
「そうですね〜。ベッドと着替え、あと本を召喚するつもりです〜」
「少ないな」
「あまりこっちに荷物を持ってきちゃいけないんですよ〜。それに、荷物を使ったら、ちゃんと向こうに送り返しますから〜」
 のんびりとした口調で、カルミアが答える。
 慎一は眉根を寄せた。
「カルミア……。何か変じゃないか?」
「変〜? わたし、変じゃないですよ〜。何言ってるんですか〜?」
 反論してくるが、説得力はない。
 眉根を寄せて、慎一はカルミアを観察した。顔の筋肉は緩んでいて、気持ちよさそうに目を細めている。頬はうっすらと赤くなっていた。身体も頼りなげに揺れている。
 この症状には、見覚えがあった。
「酔っ払ってないか……?」
「何言ってるんですか〜、シンイチさん〜。わたし、酔っ払ってなんかいませんよ〜。お酒なんて飲んでないですよ〜」
「いや、酔っ払ってるだろ。疑問の余地なく酔っ払ってるだろ」
 カルミアの顔を凝視しながら、断言する。この症状は、間違いなく酩酊。アルコール分は摂取していないが、酔っていた。
「……もしかして、水飲むと酔うのか?」
「水で酔っ払うわけないじゃないじゃないですか〜」
「呂律回ってないぞ」
 告げてから、慎一は時計を見る。三分たっていた。
 箸を掴み、カップ麺の蓋を開ける。一度中身をかき混ぜてから、
「ともかく、酔いが醒めるまで、静かにしててくれ」
「はい〜。分かりました〜」
 返事をするカルミアを眺めながら、慎一はラーメンを啜った。

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