Index Top 第1話 契約、新しい生活

第2章 契約の儀式


「僕と契約しろ、と?」
 慎一は言った。この流れからすれば、自然なことである。
「はい。お願いします」
 再び頭を下げるカルミア。
 契約。人外の者との契約。何かを差し出し、相手の力を借りる。実際何を持っていかれるかは、契約の内容によって違った。大きな力を借りるには、命や魂そのものを対価とする必要がある。それ以上のことをするとなると、自分の命だけでも足りない。
「契約の内容は?」
 慎一は続けて尋ねた。
 内容を訊かずに、承諾するわけにはいかない。不用意に契約すれば、とんでもないモノを持って行かれる可能性があるからだ。最悪の場合ではあるが、どうでもいいことで命を失うこともあるらしい。
 カルミアは眉を斜めにして、真剣な口調で言ってきた。
「わたしがシンイチさんのために、魔法を使います。代わりに、シンイチさんの命を少しわたしに分けて下さい」
「……命?」
 睨むと、慌てて手を振り否定する。
「あう、違います、違いますよ! 命といっても寿命や魂じゃありません。人間の生命力や体力です。もっと簡単に言うと、栄養とカロリーです。わたしにシンイチさんの活動するエネルギーを少し分けてください」
「ふむ」
 とりあえず、納得。
「妖精が人間の世界に長く留まるには、生き物の命を取り込む必要があるんです。そうしないと、弱って死んじゃうんですよ」
 カルミアは身振り手振りを加えて、力説する。おっとりした口調のせいで、あまり必死さは感じられないが、本人は必死なのだろう。
「物騒な卒業試験だな……」
 率直な感想を口にする。命の危機のある卒業試験。人間ではまずありえない。妖精というのは穏やかなものだと思っていたが、違うらしい。
 カルミアはぱたぱたと手を振りながら、
「でも、今まで誰かが死んだことはないですよ。危なくなったら、ちゃんと帰るように言われていますから。試験は落ちちゃいますけど……」
「そうなのか。んで、カルミアは僕に何をしてくれるんだ? 魔法っていっても、何が出来るか分からないぞ。術と似ているのは知ってるけど」
 霊術や妖術、法術、魔術などの術なら、退魔師の知識として理解出来る。しかし、妖精などの使う魔法は管轄外だ。術と魔法は似て非なるもの。それなりの知識はあるものの、やはりそれなりでしかない。本物の魔法を見たこともなかった。
「う〜ん」
 カルミアは腕組みをして考えてから、
「わたしは氷と風と治療の魔法が得意です。あと、魅了や読心、催眠なんかの精神へ干渉する魔法も使えますし、布や木を加工する魔法も使えます。気や今シンイチさんと話しているのも魔法です。翻訳の魔法です。色々出来ますよ」
「なるほど」
 慎一は頷いた。
 妖精の力はそれほど強くないので、大したことは出来ないだろう。もっとも、カルミアの力で何かしたいわけでもないので、問題はない。
「僕からはどれくらいのエネルギーを持ってくつもりだ?」
「大体、パン一個分くらいですね」
「少ないな」
 パン一個。大きさにもよるが、大体百から三百カロリーである。カルミアに持っていかれたエネルギーを補うには、一日の食事を一品増やせばいいだけだ。
「まとめると、僕からパン一個分のエネルギーをカルミアに渡して、代わりにカルミアは僕のために何か魔法を使ってくれる、と」
「そうなります」
 嬉しそうに笑うカルミア。
 慎一は頭をかいて、
「えらくお得なような気もするけど……。正直、僕は魔法の助けはいらないからな」
「ええっ! 契約してくれないんですか!」
 大袈裟に両手を上げて、カルミアが声を上げる。会話の流れから、契約出来ると思っていたようだ。この返答は予想外だろう。
「ここで契約してもらわないと、わたし困るんですよぉ。そろそろ、契約しないでこっちにいられる時間が終わっちゃいますから。落第しちゃいますよぉ!」
「分かった、分かった」
 慎一は宥めるように手を動かした。
「なら、契約する代わりに、僕に危険が及んだ時は僕の方から一方的に契約を破棄出来る、って条件をつけてくれ」
「え?」
 カルミアが瞬きをする。言葉が足らなかったらしい。
 表情に力を込めて、慎一は告げた。
「ようするに、僕は君を信用していない。見た目の可愛いさに油断するほど単純でもない。契約で変なものも持っていかれるのは嫌だからね。危険を感じたら契約をなかったことにしてもらう」
「むぅ」
 この条件は、慎一にとってかなり有利だ。カルミアにとってはかなり不利。
 三十秒ほど悩んでから、カルミアは不服そうに答えた。
「分かりました……。その条件で契約します……」
 ここで契約を逃したら、次はないかもしれない。そうなれば妖精界に戻る羽目になる。試験は落ちて留年となるだろう。不利な条件でも呑むしかない。
 慎一は宥めるように微笑んだ。
「ま、安心してくれ。よほどのことがない限り、一方的に契約破棄なんてしないから。それに、いざとなったら祓うし」
「祓う?」
 ぼそりと付け足した言葉に、きょとんとする。
「さっき言っただろ? 僕も一応退魔術を習ってるって。霊術も使えるから、妖精くらいなら一人でも十分何とか出来るよ」
「え!」
 カルミアが驚く。
 慎一は笑いながら宥めるように手を動かした。
「だから、万が一の場合だよ。君がもし何かしたら――理由もなく人に危害を食えたり、物を盗んだり、壊したりしたらだよ」
「わたし、そんなことしませんよ」
 カルミアが怒ったように言ってくる。よからぬ疑いを掛けられたと思ったのだろう。事実疑っているが、疑われるのは誰でも気持ちのいいものではない。
「言ってみただけだよ。気を悪くしたなら、ごめん」
 慎一は謝った。
 カルミアの表情が緩む。機嫌を直してくれたらしい。
「わたしも、怒ってすみません」
 一息ついてから、慎一は訊いた。
「どうやって契約するんだ?」
「はい。手の平をわたしに向けてください」
 言われて、慎一は右手を出した。手の平をカルミアに向ける。
 カルミアが卓袱台から飛び上がり、慎一の手に自分の手を合わせた。
「それでは、契約の儀式を始めます」
 厳かに宣言し、カルミアは目を閉じた。
 呪文を唱え始める。知らない言葉。人間の言葉ではない。妖精の言葉だろう。魔法で翻訳はされないらしい。呪文は詩吟に似ている。ゆったりと歌うように言葉を紡ぐ。
 手の平から光がこぼれ、空中に文字を描かれた。これも見たこともない文字。人間である慎一には読むことも、意味を掴むことも出来ない。強い力を感じる。
「契約」
 カルミアが目を開けた。
 フッと、微かな音を立てて、光の文字が消える。
「契約終わりました」
 右手を上げて、カルミアが笑った。
 慎一は右手を戻して、手の平を見つめる。変わったところはなかった。
「契約されたのか?」
「されました。これから、よろしくお願いします」
 満面の笑顔で、カルミアが言ってくる。
 頭をかきながら、慎一も笑い返した。
「ああ。僕からもよろしく頼む」
 挨拶をしてから、気づく。
「……そういえば、試験期間ってどれくらいなんだ? 訊いてなかったけど」
「期間はありません」
「?」
 試験には期間があるはずだ。期間内に終わらせて、レポートを提出する。妖精の試験がどういったものかは知らないが、そう違うこともないだろう。
「一年くらいで終わらせてもいいですし、シンイチさんが寿命を迎えるまで続けることも出来ます。きっちり決まってるわけじゃないですから」
「そうか」
 思ったよりも、いい加減らしい。
「なんにしろ、これからよろしくな」
「よろしくお願いします」

Back Top Next