Index Top 第1話 契約、新しい生活 |
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第1章 妖精、目覚める |
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アパートに帰り、ポケットから取り出した妖精を卓袱台の上に置く。 和室と洋室の六畳二間に風呂トイレ、洗濯機、エアコンのついた物件。東の角部屋。日当たり良好。家賃は四万円。掘り出し物だと思う。 妖精は目を閉じたまま、時々思い出したように小さく動いていた。 「なんか……えらいことになった」 慎一は濡れている服を脱ぎ、それを洗濯機に放り込む。タオルで身体を拭いて、新しい服を着込んだ。濡れただけなので、手間は掛からない。 ドライヤーとハンカチを持って妖精の元に戻る。 妖精を左手で持ち上げ、右手でハンカチを持った。相手は生き物なので、乱暴には出来ない。ぽんぽんと軽く叩くように丁寧に拭いていく。見たところ怪我はない。 「起きないな」 意識は戻らないが、表情は穏やかになっていた。 ドライヤーのコンセントを差し、温風に設定。離れたところから風を送る。近くから風を送ると、火傷してしまうかもしれない。左手の中で動かしたりひっくり返したりして、まんべんなく温風を送る。 一分ほどで服も乾いてくる。 「ん……」 妖精が額に手を当てた。 ゆっくりと目を開く。澄んだ緑色の瞳。 「あ、れ……?」 首を左右に動かしながら、ぎこちなく上体を起こした。自分が置かれている状況が把握出来ていないらしい。周囲に困惑の眼差しを向けて―― 慎一と目が合う。 「おはよう」 ぱちくりと瞬きをする妖精。 慎一はドライヤーの電源を切って、横に置いた。 ぼんやりした目が丸く見開かれる。妖精は弾けるようにその場に起き上がり、羽を伸ばして浮き上がった。動けるところを見ると、大丈夫らしい。 一メートルほどの距離を取って、驚きの声を上げる。 「あなた、わたしのことが見えるんですか?」 小さいものの、よく通る澄んだ声。おっとりとした口調である。驚いているはずなのだが、本気で驚いているようには見えない。 「見えるけど。君、妖精なのか?」 「はい……。わたしは妖精です」 自分の胸に手を当て、妖精は頷いた。 慎一は改めて妖精を観察する。 年齢は十二、三歳ほど。あくまでも見た目の年齢で、実年齢は分からない。身長は十八センチほど。尖った耳とあどけない顔立ち。薄紫色の髪を背中まで伸ばしている。羽飾りのついた白い三角帽子を被り、修道服と学校の制服を足したようなワンピースを着ている。どちらも、色使いは青と白。靴の色は茶色。 「名前は? 僕は日暈慎一だ」 「あうう。ごめんなさい、シンイチさん。わたしたち妖精は、人間に名前を教えちゃいけないんです。掟なんです。だから、本名は教えられません」 「なら、何て呼べばいいんだ?」 慎一が訊き返す。掟というならば仕方がない。無理に訊く理由もないだろう。しかし、名前が分からないのは不便だ。何と呼べばいいか分からない。 妖精は十秒ほど考え込んでから、 「カルミアと呼んでください。わたしの好きな花の名前です」 「カルミアか」 「はい」 カルミアは笑顔で頷いた。 音もなく卓袱台の上に降り、そこに腰を下ろす。両足を伸ばして力を抜いていた。 「さっき僕に見えるのかって訊いたけど、どういうことだ?」 「姿を見せる魔法を使わないと、人間にはわたしたち妖精は見えないはずなんです。でも、わたしは魔法使っていませんし。何でシンイチさんには見えるんでしょう?」 言いながら、カルミアは不思議そうに慎一を見つめた。 慎一は特に考えもせずに、答える。 「血筋じゃないか?」 「血筋……ですか?」 帽子を直し、首をかしげるカルミア。 「僕の実家、名のある退魔師の家系なんだよ。一応僕も退魔術とか習ってるから、妖怪とか幽霊も見えたりするんだ。妖精だって見えるだろ」 頭をかきながら、慎一は告げた。 霊感と呼ばれるもの。普通の人間には見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる。退魔師も昔はそれなりにいたが、最近は見かけなくなっていた。近代化によって、接点が減ったからだと言われている。 ただし、廃れてしまったわけでもない。探せば普通に見かける。 カルミアは納得したように首を動かした。 「そうなんですか。凄いですねぇ」 「それほでもないけどね」 笑いながら、慎一は頭をかく。普通に考えれば凄いことである。ただ、それは自分に取って当たり前のこと。諸手を挙げて喜ぶものではないが、やはり嬉しい。 もっとも、いつまでも喜んでいるわけにもいかない。 笑みを戻し、真一は問いかけた。 「質問なんだけど。何でこんな所に妖精がいるんだ?」 「卒業試験です」 カルミアはきっぱりと答える。 「しけん?」 慎一は眉を寄せた。聞き慣れた言葉だったが、一瞬意味が分からなかった。妖精の口から出てくる言葉ではない。 「はい。学校の卒業試験です」 カルミアは続けた。 「人間と契約して、一緒に生活しながら、その経過をまとめるんですよ。わたしはこの課題を選択しました。だから人間の世界にやってきたんです」 「なるほど。大変だな」 しみじみと呟く。試験。定期的に訪れる人生の試練のひとつ。ましてや、卒業試験。失敗すれば、留年の憂き目にあう。 慎一は腕組みを解いた。 「でも、何で雨の中、僕の顔にぶつかってきたんだ?」 訊かれて、カルミアは困ったように肩を落とす。 「精霊界から人界にやって来て、契約してくれる人を探していたんですけど、見つからなかったんですよ。わたしの姿が見えるように魔法かけても、みんなわたしが本物だって認めてくれないんです」 「まぁ……。そうだろな」 慎一は呻いた。 前触れもなく妖精が見えたら、幻覚を見てしまったのだと思う。それが、人間としての常識的な反応だ。本物だと思う人間は多くはない。 「それで、あちこち飛び回って契約してくれる人を探していたら、いきなり雨に降られちゃんたんです。わたしたち妖精は雨が苦手なんですよ」 両手を広げて、力説する。突然の夕立だったせいで、雨宿りをする時間もなかったのだろう。妖精の小さな身体では、直径数ミリの雨粒でも飛来する水の弾丸だ。一粒だけならまだしも、連続して当たれば危険である。 「シンイチさんが助けてくれなかったら、わたし死んでいたかもしれません。本当にありがとうございます」 立ち上がって、頭を下げる。 カルミアは顔を上げてから、おずおずと言ってきた。 「あの。それで……お願いがあるんですけど、いいですか?」 |