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第3話 大食い大会 後編


「これより、草埜神社秋の豊穣祭 第二百五十二回大食い大会を開始致します」
 神主らしきお爺さんが、年の割によく通る声でそう宣言する。
 俺は見物席に座ったまま、その姿を眺めていた。
「さて、この大食い大会が始められたのは江戸時代中期――」
 解説が始まるが、それは意識の外に閉め出す。
 神社の一角で、大食い大会は開かれていた。木で石畳の上に並べられた、折りたたみ式のテーブル。会社の会議室などに置かれているような机である。参加者はサキツネと例の敬史郎を含めて十一人。半分が男だが、女も二人いる。
 隣では町内会のおばちゃんたちがうどんの用意をしていた。
「思いの外、見物人多いな。早く来てよかった」
 見物席には観客が数十人。地元のテレビ局か、大きなカメラを持った人もいる。早めに来ていたおかげで、俺は最前列に座ることができた。
 正面ではサキツネと敬史郎が並んでいる。サキツネは威嚇するような表情で敬史郎を睨んでいるが、相手の反応はない。
 話も終わりに差し掛かったのか、おばちゃん達の手でうどんと箸が並べられていく。どこにでもある素うどんで、具はネギとわかめと揚げ玉だった。一玉自体の量は、普通のうどんよりも少し少ないらしい。
 サキツネが正面のうどんに視線を向ける。黄色い瞳にきらきらと喜びの光が灯っていた。やっぱり、こいつは食い物第一主義か。
「それでは、始め――!」
 神主の声とともに、全員が動いた。
 一斉に箸を取って、うどんを食べ始める。
 一般人の俺視点ではみんな凄い勢いで食べていた。
 しかし、サキツネと敬史郎の食い方はさらに凄い。
 敬史郎は箸をうどんに突っ込み、ぐるりと一回転。そのまま箸を持ち上げると、一玉のうどん全てがが掴まれていた。器用に具まで巻き込まれている。うどんの塊を一気に口に放り込み、そのまま丸呑みにする。
 一方サキツネも負けていない。どんぶりの縁から凄まじい勢いでうどんをすすっている。ぱたぱたと跳ねる狐耳。ズゾゾゾ、という派手な音とともに、うどんが口に消えていった。噛むという動作はしていないらしい。まさにうどんを呑んでいる。
 ほどなくして丼からうどんが消えた。残ったのは、汁だけ。
「次を」
「おばちゃん、おかわり」
 二人揃って声を上げる。
「早いよ!」
 俺は思わず叫んだ。観客にもどよめきが走っている。
 開始から二十秒も経たずうどん一杯完食しやがった。人間技じゃない。って、二人とも人間じゃないけど。用意されたうどん足りるのかな……?
 他の参加者もその桁違いの早さに一瞬硬直し、食べる速度を上げている。でも、明らかに力不足だった。だって、人間だもん。
 白い割烹着を着たおばちゃんが二人やってきて、サキツネと敬史郎のどんぶりに替え玉を追加する。それはほぼ同時だった。
 再び二人が人知を越えた速度でうどんを腹に収める。
「ありえねー」
 俺は誰へとなくボヤいた。
 二人揃って、一分程度でうどん二杯を完食している。
 制限時間は三十分。それまでに二人で何杯食う気だ? 単純計算でも百杯は消えるよな。そんなに大量に用意してあるかな? 
 敬史郎がちらりとサキツネを見つめる。無表情ながらも嬉しそうに。
「思ったよりも早いな、小娘」
「嘗めるなよ」
 キッと睨み返し、威嚇するサキツネ。
 そして、敬史郎が呟く。
「なら、俺も本気で行かせてもらおう」
 どこの悪役ですか、あなたは――。
 二人のやりとりを見ながら、俺は他人事のように考えていた。


「大会終了でーす。うどん玉の残りが無くなりました」
 そんな声が会場に響いた。
 開始から二十三分後のことである。
 しかし、反応は無い。
 全員が無言のまま、いや声を失って選手達を眺めていたからだ。まあ、選手たちと言ってもサキツネと敬史郎の二人以外は完全に空気化していたけど。
「終わりだそうだ。生きてるか、サキツネ?」
 どんぶりに残った汁を呑んでから、敬史郎が話しかける。非常識というか、理解不能な速度でうどんを食ってたけど、何でそんな平然としてるの?
 隣のサキツネは、テーブルに突っ伏していた。ぴくぴくと狐耳と尻尾が痙攣しているところを見ると生きているらしい。
「生ぎて……るぞ……」
 口からうどんを生やしたまま、顔を上げる。
 こちらも常人の理解外の勢いで食べていたが、さすがに無理があったらしい。十分を過ぎた頃から苦しげになり、目に見えて減速していった。それでも、意地と根性で食べ続けていた。最後まで頑張っただろう。
「うぐ……」
 口からこぼれかけたうどんを何とか呑み込むサキツネ。
 それから、椅子の背もたれに寄りかかったまま動かなくなった。ぐったりとしたまま、苦しげな呼吸を繰り返している。さすがに限界だろう。
 のろのろと神主のお爺さんがマイクの傍らまでやって来きた。
「それでは、結果を発表します」
 集計早いな。って、手間取るような集計でもないと思うけど。
 もっとも、結果は明らかだった。
 神主さんがその明らかな結果を発表する。
「一位朝里敬史郎さん、六十五杯。二位サキツネさん、四十七杯。三位、木野崎秋奈さん、十六杯。以上の順番です」
 おおおおォォ……
 会場からどよめきが走った。もっとも順位に対してではない。敬史郎が食ったうどんの量に対してである。十分を過ぎてサキツネが減速した時点で、敬史郎の優勝は決まったも同然だった。
 サキツネもとんでもない量を食っているけど。
 そして、呆れ顔で敬史郎とサキツネを眺めている長い黒髪のお姉さん。多分、二人が出ていなかったら、あなたが一位になっていたでしょう。
「それでは、一位の敬史郎さんには表彰状と豊穣の稲束を――」
 神主の言葉を耳から閉め出しつつ。
 俺は空を見上げたまま幽体離脱しそうなサキツネを見つめていた。
 よく頑張った……! 感動した……!
 でも、無謀だったよ……。


「大丈夫か?」
「ダイジョウブ……」
 参加者待合室の長椅子に横になったまま、サキツネが答えた。冗談のように膨らんだ腹。どう考えても無茶な食い方をしていたようで、今も動けないでいる。とりあえず、会場から休憩室まで歩いてくることはできたが、それ以上は無理だった。
 俺はうちわでサキツネを扇いでいる。
 そよ風に揺れる狐色の前髪と胸元のスカーフ。セーラー服の裾から膨らんだお腹が見えている。きれいな肌色で、縦筋のようなへそが見えた。
 でも、雰囲気的に色気は無い。
「すまんな……。もう少し普通にうどん食べさせられると思ったんだけど。吐きそうなまでに食うことになっちゃって」
 俺は頭をかく。
 一応興味本位だったとはいえ、腹一杯まで食べさせるのは本心からだった。しかし、腹一杯どころか、限界越えるまで食べさせることになってしまった。普通に食い放題の店でも連れて行くべきだっただろう。
 しかし、サキツネは右手を持ち上げて親指を立てて見せる。苦しげながらも、爽やかな笑顔とともに。さながら、映画のワンシーン。
 その表情に、俺は苦笑する。
「今度は牛丼でも食わせてやるから。一杯だけだけど」
「特盛りつゆだく、卵、けんちん汁、ポテトサラダ」
 親指を立てたまま、きっぱりと言い切りサキツネ。黄色い瞳がきらきらと輝いてる。
 この状況になっても食事に対する執念は消えないか……。凄いな。俺だったら食べ過ぎてしばらくは、食べ物のこと一切考えられないのに。
「ま、それくらいならいいよ」
 呆れ笑いとともに告げる。
 サキツネは本当に美味しそうに食べるからな。見ていて飽きないというか。
 ふとサキツネが目付きを険しくした。
「あいつは――?」
 敬史郎の事だろう。
「帰ったんじゃないか? 神主さんから賞状と豊作祝いの稲束貰ったのは見てたけど、それからは知らない」
 気がつくといつの間にかにいなくなっていた。土地神と言っていたし、何かと忙しい身分なのだろう。追いかける理由もないし、俺はサキツネを看るので手一杯だった。
 だが、何か未練があるのだろう。
 サキツネは気合いの灯った瞳で天井を見上げている。大きなゲップを吐き出してから、右手を握り絞めた。
「次は、勝つ」
 無理だと思うよ。
 そう思ったけど、俺は黙っていた。

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