Index Top さきツネ! 

第2話 大食い大会 前編


 がたごとと揺れる電車。
 俺は座席に座ったまま、ノートパソコンで原稿を書いていた。バッテリ駆動時間が売りのPCで電力消費も最低限まで抑えてあるため、原稿を書くだけなら10時間程度の電源持続が可能である。
 行き先は草埜神社。
 くいくいと袖を引っ張られる。
「ん?」
 視線を横に向けると、キツネの女の子が座っていった。
 年は十代半ばくらいだろうか。跳ねっけのある長い狐色の髪と大きな狐耳、細身の身体をセーラー服で包んでいる。足にはニーソックスと革靴。いつもと変わらぬ女子高生のような格好だ。大きな尻尾が左右に揺れている。
 黄色い瞳で俺を見つめるサキツネ。今まで座席に膝を突いて窓の外を眺めていたようだが、さすがに飽きたらしい。そりゃ飽きるわな。
「まだ着かないか?」
「あと、二十分くらいだな。駅から歩いてさらに二十分」
 俺は窓の外を眺めた。
 電車の動きに合わせて流れていく風景。住宅街も減り、田畑が多く見られるようになっていた。典型的な郊外の風景だろう。
 しばらくすれば、またビルとかが見えてくるんだけど。
「むぅ」
 不服そうに頬を膨らませてから、サキツネは改めて窓の外に目を向けた。尻尾を揺らしながら、流れる風景を見つめる。
 俺は改めて電車の中を見回した。立っている人はいるが、ほとんどが席に座っている。丁度通勤時間の終わった頃。空席の方が多く、混んでいるとは言い難い。とはいえ、人がいないわけではない。
「何でみんな、こいつ見ても反応見せないんだ?」
 俺は改めて車内を見回した。本を読んでいる人、ケータイを弄ってる人、友達同士でお喋りしている人。色々な人がいるんだが……何故かサキツネに注意を払っている人は誰もいない。彼女がいることが当然であり、それに何に疑問も抱いていない。
 サキツネ曰く、そういうものらしい。
 俺がノートPCに視線を戻すと、
「お兄さん」
 サキツネが声を掛けてくる。
「お腹空いた。何か食べ物を要求します」
 自分の腹を指差し、言ってきた。
 くー、と空腹を訴える腹の虫。器用だな……。
 いつも通りと言うべきだろうか。こいつは、俺の前に現れる度に空腹を訴えている。普段一体どんな生活をしてるんだろう? こないだは貰い物の醤油一気飲みしてたし。その後はかなり気持ち悪そうだったけど。醤油一リットルはさすがにな……。
 昔子供向け漫画で見た、永久に空腹の続く呪いというものを思い出す。
 しかし、俺は慌てず騒がず、静かに言った。
「今の内に腹すかせて置いたほうがいいぞ? これから、腹一杯食べるんだから。第一、俺は今食い物持ってないし」
「腹、一杯……?」
 未知の言葉のように呟くサキツネ。狐耳がぴくりと跳ねて、尻尾が曲がる。
 くっ、かなり可愛いぞ……!
 そのままもふもふと撫で回したくなる衝動を抑えつつ、俺はポケットから一枚のチラシを取り出した。一度深呼吸をしてから、半分に折られたそのチラシを広げて、サキツネの前に差し出す。
「こないだ言っただろ? 今日は好きなだけ食わしてやるって」
 俺は片目を閉じて笑ってみせた。
 先日勝手に俺のアパートに来てた時に声を掛けたのである。今日の朝来れば好きなだけ飯を食わせてやる、と。その時は半分聞き流していたようだが、沢山食べられるという言葉は覚えていたらしい。
「おおぅ」
 チラシを両手で抱えたまま、サキツネがぱたぱたと尻尾を振っている。
 その尻尾を思い切り撫で回したい……。
「これは凄い」
 草埜神社秋の豊穣祭。この辺りでは有名なお祭りだった。三百年以上も続く由緒正しいお祭りである。そして、この祭りのメインイベントこそ大食い大会。出てくるのは大抵安い蕎麦とかうどんだが、参加料二千五百円で食い放題だ。今回は素うどん。
 優勝しても賞金などは貰えないが、賞状代わりの札が貰えるらしい。
 ぱたぱたと跳ねる尻尾から何とか意識を引き戻し、俺は告げた。
「これに申し込みしておいたから、今日は好きなだけうどんが食えるぞ。何杯食っても文句は言われないから、腹一杯になるまで食えよ」
「うどん食べ放題……」
 ごくりと喉を鳴らし、サキツネが食い入るようにチラシを見つめている。黄色い瞳を大きく見開き、口端から涎を垂らしていた。相当嬉しいようである。狐耳と尻尾が大きう動いて心境を表している。
「この調子なら三十杯近く行けるかな?」
 俺は努めて冷静にそう口にした。
 ちなみに、俺がサキツネをこの大会に参加させたのは、知的好奇心からだった。こいつは、一体どれくらい食べられるのか? その疑問を解決させるためである。いつも勝手に食っているが、常識的に考えてもかなりの量を食べている。その限界は何杯なのか? それが知りたかったのだ。
 平たく言うと、面白そうだから!
 こほん。
「これが、参加資格だ」
 俺は鞄から取り出した参加証明書を差し出した。
『草埜神社秋の豊穣祭 第二百五十二回大食い大会参加資格 サキツネ殿』
 葉書大の厚紙に簡潔にそう書かれていて、緋色の神社の印が押してある。
 サキツネは参加証明書を受け取り、静かに敬礼をした。両目から涙を流しながら、
「不肖サキツネ、頑張ります!」
「頑張れよ」
 俺は苦笑しながら、そう言った。
 ノートPCに視線を戻して、原稿書きの作業へと移る。

 この時は、こいつが優勝するんだろうと根拠もなく考えていた。


   ――――――


「食べたい」
「我慢しなさい」
 サキツネを連れたまま、俺は神社の境内を歩いていた。
 左右には屋台が並んで色々なものを売っている。大抵が食べ物だが、くじ引きや風船釣りなんかもあった。ま、俺は金ないから買わないし遊ばないんだけど。
 サキツネは俺の後ろを歩きながら、物欲しそうに周りを見ている。首を左右に動かす度に、狐色の髪の毛が揺れていた。
「うー」
「これから沢山食えるんだから、終わったらお好み焼きくらい買ってあげるよ」
 そう宥めつつ、俺は先を急ぐ。
 確かに、この香りの誘惑に耐えるのは辛いだろう。縁日の食べ物って何でこんなに美味しそうなんだろうな? 実際に食べてみると大して美味しくないのに。料理と言うのは味ではなく風情を食っている、誰かが言った言葉を思い出す。
「さて、着いたぞ」
 そうしているうちに、待合室が見えてきた。元々やたら奥にあるってわけでもないんだけど。社務所の一角にある小さな部屋で、外に続くドアがあった。元々は寄り合いでもやるための部屋なのだろう。
『大食い大会参加者待合い室』
 そう大きな筆で書かれた白看板が置いてあった。
 窓から見える限りでは中に人はいない。
「俺たちが一番乗りかな?」
 後ろを振り返ってサキツネに声を掛ける。
 ん、何だ?
 だが、さっきまでの楽しそうな態度はどこへやら。緊張した面持ちを見せている。やっぱり、大食い大会ってのは緊張する者なんだろうか?
 俺は勝手にそう判断し、待合い室のドアを開けた。
 開けて――
 ド  ド  ド  ド
   ド  ド  ド  ド  
 なんか、ジョジョっぽい音が聞こえるんだけど。
「参加者か?」
 部屋の奥に一人の男が座っていた。
 年格好は俺と大して変わらない。だけど、やけに老成した男である。サキツネ以上に跳ねた長い黒髪を首の後ろで縛っていた。無表情だが、強い意志の見える黒い瞳。額に鉢巻きのような布を巻き、白い上着と深緑の羽織、灰色の野袴という古風な格好である。
 さっきは死角にいたため気づかなかった。
「キツネの妖怪か? 珍しいな」
 黒い瞳でサキツネを見つめたまま、そう呟く。
 え?
 今まで、サキツネを見て不思議に思う人はいなかった。だが、この男はごく普通にサキツネを妖怪と呼んだ。ただ者じゃない。
 振り向くと、サキツネが威嚇するように犬歯を剥いて男を睨んでいる。
「……どうした?」
 そう訊いたのが引き金となった。
 サキツネが右腕を振り上げる。その手に握られたオートマチック拳銃。銃口は一直線に男の心臓を捕らえていた。見たことあるような銃だけど、名前は知らない。
 って、何でそんなもん持ってるんだよ!
「ベレッタM92 Elite IAか。挨拶も無しに人に銃を向けるのは失礼なことだ。そう教わらなかったのか? それに、そんな豆鉄砲で俺は倒せないぞ?」
 一方、余裕綽々の男。
 椅子に座ったまま、両手ででっかい銃を構えていた。どこから出したん?
 全長百五十センチほどもある、特大ライフル……。これはどこかで見覚えが。えっと、そうだ思い出した。バレットM82だな。有名な対物狙撃銃。アンダーバレルグレネードランチャーが付いてるど、普通対物狙撃銃に付けないよね。
 これはどうしよ、俺? 目の前で銃撃戦繰り広げられても困るんだけど……。てか、流れ弾当たったら死ぬよね? 普通。うん、死ぬね。
「銃を下ろせ。お前はここに殺し合いをしに来たわけでもないだろ? もっとも、俺も何故銃を向けられるか心当たりはないのだが」
「お前は強敵……」
 銃を構えたまま、サキツネが短く答えた。頬には脂汗が浮かんでいる。狐耳と尻尾をぴんと立てているが、腰が引けているのは明らかだった。何かしらの理由で、この男を危険視しているらしい。
 負けるなサキツネ――
 俺は心中で応援する。何が起こってるのかさっぱり分からんのだけど。
「君は、その娘の保護者か?」
 男が俺に視線を向けてくる。サキツネに向けていたのと同じ無感情な眼差しだった。不思議と恐怖はない。だけど、酷く違和感を覚える。これが夢であると思うような違和感。
 目の前で拳銃と対物ライフル向け合ってれば現実逃避したくなるだろうけど。
 何も言わないでいると、男は勝手に言葉を続けた。
「俺は朝里敬史郎。とある地方の土地神を務めている。今は休暇中だ。趣味と実益をかねて大会に参加している。本来このような場所で武器を取り出すものではないが、その子がいきなり銃を抜くからな」
 淡々と言いながら、敬史郎はくるりとライフルを回転させ、どこへとなくしまう。手品のように消えるライフル。仕組みは分からん。てか、土地神って神様?
 サキツネも恐る恐ると拳銃をしまっている。
 置いてきぼりですね、俺。
 敬史郎がサキツネに視線を戻す。
「お前は、名前何と言うんだ?」
「サキツネ……」
 名前を訊かれて、一言だけ答える。再び銃を向けることはないが、まだ警戒しているようだった。何に警戒しているのかは、俺には分からないのだけど。
 口元を指でこすり、敬史郎は視線を持ち上げた。
「聞いたことない名前だ。まあいい。今回の大会は圧勝できると思ったのだが、面白いライバルが現れてくれて俺は嬉しい」
 いきなり圧勝宣言しますかあなたは……。物凄い自信だ。だけど、多分その自信通りの大食いなんだろう。空気で分かる。この男はまさに人外の消化器官を持っている。
 てか、サキツネが大食いってのも見て分かるのか。
 逆にサキツネも敬史郎が大食いってのは分かるんだろう。まさか、敬史郎が凶悪なライバルになるから銃を抜いたのか? 強敵とか言ってたし。
 敬史郎がサキツネを見つめる。
「君は、優勝する気か?」
「する。お前に勝つ」
 きっぱりと答えるサキツネ。表情からは恐怖が消え、闘志の灯っていた。何か振り切れたのだろう。黄色い瞳には殺気めいた光が燃えていた。
「なら、少なくとも三十杯は食べる必要があるぞ」
 臆することもなく、敬史郎が言い切る。
 てことは、この男は最低でもうどん三十杯食べる気なのか……? それはおかしいと思いませんか? 胃袋的に。どこかに解説の人いない?
 しかし、サキツネは挑発するように右手人差し指を立てて見せた。犬歯を見せながら不敵な笑みを浮かべてみせる。
「無論」
「頑張れよ」
 敬史郎は静かに告げた。

Back Top Next