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第24話 ミニ皐月の戯れ |
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ふっと意識が浮かぶような感覚。 俺はゆっくりと眼を開けた。意識の片隅にある部分が、目覚めたと教えてくれる。いつも通りの目覚めだった。朦朧とした意識が、目の前にある何かを捉える。 「おはようございます、ご主人様」 目の前にミニ皐月がいた。 寝起きのぼんやりした意識が一気に九割ほどまで覚醒する。何で、何故? こいつは昨日隣の部屋で寝たはずなのに、何でごく普通に俺の布団に潜り込んでいるわけ? 疑問符をいくつも浮かべる俺に構わず、皐月は口元に右手をやり、頬を赤く染めて、恥ずかしがるように眼を逸らした。 「昨晩は……お楽しみでしたね――」 あ。何か可愛い。 でも、容赦しない。 「ふンッ!」 「きゃぅ」 俺の蹴りがおよそ八十センチのハーフサイズボディを、暖かな布団の中から硬い床へと叩き出した。水色のパジャマを着た皐月が、フローリングに落ちてから一回転。両手をついて立ち上がり、怒ったように薄茶色の眉毛を内側に傾ける。 「か弱い女の子相手にいきなり何するの!」 「いきなり何するのは、こっちの台詞だ……。何でごく当然とばかりに俺の布団に潜り込んでるんだよ。今までそんなことしなかったのに」 俺は布団をずらして身体を起こし、ベッドに腰掛ける。時計を見ると普段起きている時間よりも三十分ほど早い。だが、もう二度寝するって気分でもなかった。 皐月は顎に人差し指を当てて天井を見上げてから、 「こういうイタズラもいいかなーと思って。驚いた? 驚いた?」 きらきらと輝くほどの満面の笑顔で訊いてくる。どういう思考展開でそんなイタズラを思いついたのかは今更どうでもいい。考えても無駄無駄無意味。 俺は枕元にあった小箱を手に取った。トランプケースほどの白い箱。横に一振りすると、二十センチほどの握りの付いた、刃渡り(?)百センチほどの特大ハリセンへと変化した。久しぶりの登場、対皐月ツッコミ用携帯型護身用ハリセン! 「これが答えだ! オラァッ!」 なぎ払うように振り抜かれるハリセン。ミニボディだからといって手加減はせん! しかし、皐月は猫のように跳躍して、一撃を躱す。 「驚いてもらえたなら、わたしは満足かなー? やっぱり目が覚めたら可愛い女の子が横に寝ていたってシチュエーションは驚くよね。女にまるっきり縁の無い男でも」 「だったら一発ツッコミ受けろ!」 繰り出されるハリセンを躱すように、皐月が後退した。こいつ、普通サイズの時よりも素早くなってる。やっぱ身体が小さく軽くなってるせいか……? 厄介な。 だが、諦めんぞ。俺は大きく息を吸い、狙いを定めた。行くゼ! 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」 「はーっはっは、無駄よ。無駄無駄。無駄ァ!」 上下左右に空を裂くハリセンを、縦横無尽に部屋を跳び回りながらことごとく躱していく皐月。その動きはさながら猫だ。いや、猫以上だ……! 一発くらい当たってもいいのに、擦りもしない。 一分ほどの攻防の後、俺はハリセンを下ろした。肩で息をしながら、 「くそッ。なんつーすばしっこさ……」 「ふふん――。わたしが本気を出せばこんなもんだよ。まぁ、そのハリセンで今のわたしを叩きたかったら、加速装置でも装備して出直しなさい」 左手を腰に当て、両足を少し開き、皐月は澄まし顔で笑っている。 小型軽量でなおかつ高性能なモーターとか積んでるから、小動物じみた高機動力が出せるんだろう。俺の知る限り、ミニアンドロイドってのはもっと遅いし……。なにせ、作ってるのはあのハカセだからなぁ。うん。 ハリセンをしまい、俺はため息をついた。眠気も吹っ飛んでるし、 「さて、朝飯食うか」 台所に向かおうとした途端、皐月が動いた。猫のような素早い動きで俺に駆け寄ると、床を蹴りながら俺の寝間着を掴み、身体を駆け上る。止める暇すらなく、俺の肩に腰掛けた。いわゆる肩車の姿勢。 「……なぜ?」 「誰かに肩車してもらうのって、わたしの夢だったんだよね。アンドロイド肩車してくれる奇特な人っていないから。うん、思った通り、なかなかよさげな感じ」 楽しそうに言いながら、皐月はぺしぺしと俺の頭を叩いた。肩に座ったまま、満足げに両足を揺らしている。確かに、通常サイズの皐月を肩車しようって物好きはいない。体型とか以前に、機械である皐月は重い。人間の少女って見た目なのに、体重は九十キロほど。肩車できる人間自体多くない。 「いいけど」 それだけ答えて、俺は部屋のドアを開けて台所に移動した。てか、このミニボディ軽いなぁ。金属パーツが最小限だからだろうな。 「そういえば、あんたってわたしがいない時ってどういう食生活してるの? まともな食生活してないってのは見当付くけど」 「そうだな」 皐月の疑問に頷きながら、俺は冷蔵庫の前まで歩いていった。さすがにこの時期ともなると朝は冷える。秋も終わりかけているし、そろそろ暖房付ける時期か。 「朝飯は一応ちゃんと食ってるぞ?」 俺は冷蔵庫を開けてから、食パンとパック入りの牛乳を取り出した。いちいち食パンを焼くとか、牛乳をコップに移すとか、そういう手間の掛ることはしない。手間は最小限にするのが、男子学生の独り暮らし。 足で冷蔵庫を閉めてから、俺はテーブルの横に移動した。皐月が顔を引きつらせるのが分かったが、無視。足で椅子を引っかけて後ろに引き、そこに腰を下ろす。 食パンと牛乳をテーブルに置いて、 「以上」 俺はきっぱりと告げた。 何だろう、この上手く表現できない勝利感。 「何、この敗北感……。予想してた以上に酷い……」 頭の後ろから、皐月が呆れた気配が伝わってくる。額を押さえて、ため息をついたらしい。ま、皐月がいる時は普通に朝食が作られるけど、誰もいなきゃこんなもんだ。所詮、野郎の独り暮らし。誰も見てなきゃ、恥も外聞もない! 「なら、そっちの方がよかったか?」 と俺が指差したのは、台所の隅っこに置いてある透明なプラスチックの箱。中にはカップ麺が大量に入っている。小腹が空いた時とかに食っているものだ。 「カップ麺……。起き抜けにそんな重いもの食べられるって、それはそれで凄いかも」 半ば投遣りに、皐月が感心している。 大学が終わり、寄り道もせずにアパートへと戻る。今日はどこか寄り道する予定もなかったので、そのまま直帰。皐月もちっこいままだし、俺が自分で晩飯作らないといけないしな。さすがに朝みたいに適当に食って終わりというわけにもいかん。 「ただいまー」 そう言いながら、玄関のドアを開ける俺。 晩飯の献立を考えていた思考が、緊急停止する。 「うにゃ。おかえりニャさいませ〜、ご主人さま」 俺を待っていたのは皐月だった。服装はおおむね普通のメイド服なんだが……髪の毛と同じ薄茶色の猫耳と尻尾、さらにもこもこの猫手と猫足を装備している。こいつは――どこから用意して来たんだよ……。 キラキラと瞳を輝かせながら俺を見上げてくる。 うぐっ! こいつは、予想以上に…… 「どうかしたんでしゅかニャ?」 ビシッ! 俺の理性に亀裂が走った。半歩後退る。 落ち着け、俺。落ち着くんだ……! 何かもー、ヤバいーというか、アザトいーというか、はっきり言って滅茶苦茶可愛いです。ハイ。理性五割崩壊ッ! 「皐月、お前……それは、一体?」 震えながら、俺は皐月を指差す。声を出すのも精一杯だった。全身を流れる脂汗、高まる心臓の鼓動と、乱れる呼吸。うっかり気を緩めたら、そのまま抱き上げて思いっ切り愛でてしまいそうな、そんな姿である。だが耐えろ、俺の理性……! 皐月は猫の手を口元に当てて、ちょこっと首を傾げてみせる。 「それって、何のことでしゅかにゃ? さつきはいつも通りのさつきでしゅにゃ〜。おかしニャこと言うご主人さまでしゅにゃァ」 ミニボディ×幼児口調×猫装備=破壊力ッッ! 理性へと叩き込まれる超豪打に、両拳を握りながら俺は玄関のドアに背中を預けた。マズい、このままだと、本気で負ける! 今回の破壊力は以前の比じゃないぞ。 とりあえず落ち着け、素数を数えて落ち着くんだ。1,2,3,5,7,9……素数は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字……俺に勇気を与えて―― 「うにゃぁ?」 皐月が俺のジャンパーの裾を右手で掴んだ。つぶらな瞳で見上げてくる……! 「ン、ノオオオッ!」 俺は跳んだ。皐月の頭上を飛び越え、台所の床へと飛び込み前転するように。持っていた荷物を横に放り捨て、二回前転してから皐月に向き直る。腰が抜けて立てない状態で、冗談のように震えながら、右手人差し指を持ち上げた。 「お、お、お前……! 俺をからかって楽しいのか……!」 「にゃッ」 怯えたように皐月が後退する。身を竦ませながら、 「ご主人さまがいぢめるニャァ……」 ザクッ! 罪悪感が俺の胸を貫く。演技だと分かっているのに……分かっているのに、何という破壊力。ハカセ制作のアンドロイドは伊達じゃないってことか、コンチクショウ! 現在理性の八割ほど陥落! 早急に、打開策を打て、俺。ピンチだぞッ。 「いぢめてない、いぢめてないぞー……!」 引きつった笑顔で、俺は宥めるように手を動かした。 ぴこぴこと猫耳を動かしながら、皐月が潤んだ瞳で俺を見つめている。 「ホントかニャ?」 「ホント、ホント」 最終防護壁大破! 主動力停止、予備動力停止、残弾無し! もはや、本艦は戦線を維持できません! 敵の攻撃再び来ます! 回避、防御、できません……艦長! 何故か女の声でそんな幻聴が聞こえた。 皐月がちょこちょこと近づきながら、満面の笑顔で言ってきた。 「じゃ、肩車して欲しいニャ。ご主人さま〜」 「肩車くらいなら、お安いごようさ〜♪」 俺は爽やかな笑顔で皐月を抱え上げようとして―― こんなこともあろうかと! 頚動脈洞反射方を用いた自爆装置を仕込んでおいた! 朗々とした男の声でそんな幻聴が聞こえる。 「あっ」 皐月が驚いたように口を開けた。 だが、遅い。俺の意志とは無関係に動いた両手首が、自分の喉の頸動脈を締め付ける。以前、ソラ爺さんに面白半分に教えられた最終逃避奥義・自落。自分で自分を締め落として失神するという自爆技! 呆然とする皐月を眺めながら、俺は勝利の笑みを浮かべて意識を失った。 三十分後。 意識を取り戻した俺は、冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクをガラスのコップに注いだ。微かに白い濁りの見える液体を、口に流し込む。 微かな塩味を含んだ薄い甘さ。 「いやぁ、今回の皐月は危なかったなぁ……」 右手で額を拭いつつ、俺は安堵の呟きを漏らす。 猫装備を外した皐月が、テーブルの向かい側の椅子に座っていた。神妙な面持ちで俺を見つめたまま、戦いたように言ってくる。 「自分で首締めて落ちるあんたの方が、わたしの十倍は危ないって……」 その顔には呆れや感心を通り越した、尊敬めいたものが映っている。 けど、俺は気にしない。 |
最終逃避奥義・自落 自分の両手首で、自分の頸動脈を締めて失神するという、用途不明な自爆技。以前ソラ爺さんに面白半分に教えられたもの。問答無用の現実逃避方法とも言える。 意識を失っても、数分で目を覚ます。 |