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第23話 小っちゃいってことは便利かな?


 皐月がハカセの所に行ってから、二日ほど経った頃。
「ありがとうございましたー」
 宅配便のにーちゃんを笑顔で見送ってから、俺はふっと息を吐いた。
 玄関のドアが閉まる。
 玄関に置かれた八十センチ角の段ボール箱。たった今届けられたものである。差出人はハカセだった。割物注意、天地無用、精密部品注意などのシールが貼られている。時間指定宅配便で、俺が大学から戻って一息ついた頃に届くようになっていた。
「何だろな、これ?」
 棚に置いてあったステンレス製のペーパーナイフを手に取り、ガムテープを切っていく。なんとなく嫌な予感がするんだけど……多分当っているだろう。でも、放置するわけにもいかないしなぁ。開けないとマズいよなぁ。でも、開けてもマズいよなぁ。
 蓋を開けると、中に詰まっているのは、白い梱包材だった。ペットボトルの蓋くらいの大きさの緩衝用発泡スチロールが大量に。
「ん?」
 ボフッ。
 気の抜けた音ととともに、箱の中身が弾ける。
 ああああぁ! 
 両手で頭を抱え、俺は心の中で悲鳴を上げていた。白い梱包材が、噴火したように辺りに飛び散る。はらはらと辺りに降り注ぐ大量の白いゴミ。
 片付けするの俺か、これ……?
「やあ、ご主人様。元気だった?」
 視線を向けた先には、半分予想していたモノがあった。
 皐月――。
 ただし、大きさが以前の半分である。身長八十センチ程度だろう。体付きや顔立ちなどは変わっていないが、小さいせいで幼く見える。カチューシャや紺色メイド服、エプロンなど、服装はサイズ以外そのままだった。茶色い髪の先を赤いリボンで縛っている。
 あまりの変わりように、俺は思わず呻いていた。
「お前、どうしたんだ、それ……?」
「うん? マスターが精密検査するから、しばらくこっちのサブボディにしなさいって。マスターの所にいても特に仕事無いから、あんたの所に来たってわけ。わたしがいなくて泣いてないかと思ってね?」
 腕組みしつつ胸を反らし、皐月は妙に偉そうに答えてくる。一瞬違うアンドロイドかとも思ったけど、この態度は皐月本人だ。うん。アンドロイドってコアが本体だから、別のボディに交換なんて荒技使えるんだな。
「てか、何でそんな小さくなって?」
 俺の問いに皐月はひらひらと右手を振りながら、
「小型アンドロイドの試作試験を兼ねたものだって。この身体って、金属使われてるのは中心部分だけで、フレーム部分とかは強化プラスチックやカーボン繊維だから、凄く軽いんだよ。強度と運動能力にちょっと難ありだけど」
 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、笑っていた。一緒に茶色い髪が跳ねている。
 さっき宅配のにーちゃんが両手で段ボール箱持ち上げてた事考えると、十キロも無いみたいだな、このボディは。性能とかは大分削ってあるようだけど、問題は無いレベルなんだろう。俺は詳しく知らんけど。
 皐月がふっと口端を持ち上げ、目を細くした。これは何かを思いついた時の表情。
 両手を腰に当てて、言ってくる。
「ねぇ、ちょっとだっこしてみない?」
 なん……だと……!
 俺は半歩退き、息を呑み込んだ。頬を冷や汗が流れ落ちていく。手足が強張るのがはっきりと分かった。何てことを言い出すんだ、このアンドロイドは……ッ! この抱き上げてなでなですりすりして下さいと言わんばかりのちっこいボディでッ!
 すすすと俺に近寄りながら、皐月が見上げてきた。
「ねぇ、ご主人様……」
 茶色い瞳をきらきらと輝かせながら、胸元で両手を握る。
 こ、こいつは……可愛い……! 俺は両拳を握り締めた。理性のタガが急激に削り取られていくのが分かる。くそッ! 持ち堪えてくれ、俺の理性。だがしかし、さすがに相手と状況が悪い……どうする、俺?
「だっこ」
 子供のような無邪気な笑顔で、皐月が両手を差し出してくる。
 プチッ……
 頭の中で理性の切れる音が聞こえた。お父さん、お母さん、申し訳ありません。私、葦茂ハルは人間として何か大事なものを捨ててしまうようです。
「あー。もう、可愛いなぁ、さつきは〜。あははは〜♪」
 満面の笑顔で皐月を抱き上げようと、俺は両手を差し出し――
 だが、俺の無意識は最後の抵抗を行っていた。
 プスッ。
「あ」
 皐月が思わず呟く。
 俺の右手に握られたペーパーナイフが、自らの左腕へと突き立てられていた。ステンレス製とはいえ、ただのペーパーナイフ。皮膚を浅く切る程度だが、その痛みは俺の意識を正気へと引き戻すには十分なものだった。
「おおおぉぉッ!」
 逃げるように後ろに飛退きつつ、俺は玄関のドアに背中を押しつけた。手から離れ、床に落ちるペーパーナイフ。傷口から血が流れ出しているが、今は後回し。粗い呼吸を繰り返しつつ、右腕で額を拭う。
「危ない所だった、ぜ……」
「あんたの今の行動の方が十分危ないって……」
 両手を下ろしたまま、皐月が半眼で見つめてきた。


 椅子の上に立った皐月が、包丁を動かしタマネギを切っている。八十センチほどの身体のため、そのままでは高さ八十五センチの調理台に手が届かないのだ。ちなみに、晩飯はクリームシチューらしい。
「何だかなぁ……」
 左腕の傷を横目に眺めながら、俺は料理をする皐月を眺めていた。消毒して切り傷用の薬用絆創膏を貼ってから、包帯を巻いている。自制心を取り戻すためとはいえ、我ながら無茶をしたものだ。うん。だが、後悔は無い。
「お前、本当に大丈夫かよ。そのちっこい身体で料理するの……?」
「だいじょぶ、だいじょぶ」
 右手に握った包丁を動かしながら、皐月が振り返ってくる。余裕たっぷりの笑顔。普通サイズの包丁も、体格比で妙に大きく見えた。ついでに、見た感じ幼稚園児が料理しているみたいで、物凄く危なっかしい。でも本人が料理すると主張してるし。
「あんたは安心して昼寝でもしてなさい。身体は小さくても精密動作性能とかは規定レベルになってるし、日常生活に支障ないから。こんなこともできるし」
 くるくると右手だけで器用に包丁を回してみせる。
 なるほど、人工筋肉と制御システムがちゃんとしてれば、ミニサイズでも普通の動きは可能ってことか。言われてみれば、こいつは機械なんだよな。
「あっ」
 皐月の手から、包丁がすっぽ抜けた。
 一回転してから、硬い音を立ててフローリングに刺さる。
 気まずい沈黙。
 俺は目蓋を下ろして皐月を凝視した。
「本当に大丈夫か……?」
「慣れないことやったせいかな? 包丁回しなんて曲芸初めてだし」
 素知らぬ顔で言い切ってから、皐月は椅子から飛び降りた。とんと軽い音を立てて床に着地してから、包丁を拾い上げる。軽く振って具合を確かめてから、包丁を持ったまま椅子に両手をかけ、両足をばたつかせつつ、上へとよじ登った。
「ふぅ、小さいと色々大変ね」
 スカートが捲れて太股辺りまで見えたけど、それ以上は見えなかった。残念。……凄まじく犯罪チックなこと考えてるな俺。
 椅子の上に立ってから、皐月は再びタマネギを切り始める。
「こういう場合、俺が料理してお前は横で見てるってのが普通じゃないか?」
 その言葉に皐月が再び振り返ってきた。眉毛を斜めに傾けてから、左手を腰に当てる。仁王立ちのまま右手の包丁を俺に向け、断言してみせた。
「こういう状況だからこそ、わたしが料理するんじゃない。滅多にできないでしょ? こういう珍しい体験って。重要なんだよ、珍しいデータって」
 そういうもんか……?
 俺の怪訝な目付きに、皐月はさらに続ける。
「男が細かい事気にしちゃ駄目」
 そう言って、再びタマネギを切る動作へと戻った。
 細かい事か?
 俺の疑問は言葉になることもなく消える。
 ほどなくタマネギを切り終わり、皐月は右手で額を拭う仕草をした。本来、機械のこいつには発汗とか疲れとかは無いはずなんだが、よく人間みたいな行動をしていた。一応疲れるという感覚はあるらしいが……。ホント、変なアンドロイドだよなぁ。
 包丁を起き、皐月は椅子から飛び降りた。
「さてと」
 椅子を流しの前まで押してから、椅子へとよじ登る。包丁を持っていた時のような拙さはなく、簡単に上がってみせた。両手使えるからかね?
 俺の思考をよそに、皐月は流しの横に置いてあった鍋を右手に持ち、左手でバルブを捻る。蛇口から流れてきた透明な水道水が、鍋へと溜まった。
 バルブを閉めて、水を止める。
 あー。なんか嫌な予感……。
 両手で柄を持ったまま、鍋をコンロの方へと移動させようとして――
「え、あ……あれ?」
 目を丸くして慌てる皐月。身体が鍋の方へと傾いていく。
 そりゃそうだ。普段の感覚で水の入った鍋を動かせば、小さな身体は当然重い方へと傾く。十キロに満たない軽い身体にとって、一キロの水入り鍋は重心を崩すのには十分な重さだ。ましてや、不安定な椅子の上では。
「おいッ」
 俺はすぐさま声をかけるが、全ては手遅れだった。
 もう立て直しは利かない!
「きゃア!」
 短い悲鳴とともに、皐月が椅子から足を踏み外す。
 そのまま前のめりにフローリングへと叩き付けられた。椅子自体は五十センチにも届かない高さだが、そこから落ちれば結構な衝撃になる。まあ、これが子供だったら大きな事故なんだろうけど、その点アンドロイドのこいつにその心配はない。
 俺が心配したのは、そっちじゃない。
「痛たたたァ……」
 皐月は顔をさすりながら、立ち上がっていた。見た限りケガとかはないが、それは想定内だ。ハカセがそんなヤワいもん作るはずもないし。
 予想していた惨状は、こっち。
「あー、あぁ……」
 床にぶちまけられた水に、俺はぐったりと肩を落とした。ひっくり返った鍋から水溜まりが広がっていく。どうしよう、これ。水も吸い取れるような高性能掃除機なんて無いし、地道に雑巾で拭くしかないのか?
「ええと――」
 ずぶ濡れのまま、皐月が水浸しになった台所を見回していた。濡れた床と、濡れた自分と、落ち込んだ俺を順番に眺めてから、一度頭をかく。
 ぐっと右拳を握りしめ、気合い任せに叫んだ。
「人生いろいろや、うっしゃー!」
「壊れない程度に蹴っ飛ばしていいか?」
 冷静な俺の問いかけに、皐月は一瞬固まる。
 ぴしっと背筋を伸ばして気をつけの姿勢を取り、
「すみませんでした」
 素直に頭を下げた。

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皐月 サブボディ
身長81cm 体重7.5kg
皐月の予備の小型ボディ。中心部分以外には金属が使われておらず、非常に軽量で簡素な構造。それでも基本性能は高く、見た目以上に頑丈ではある。あくまで予備の身体なので、高度な装備品などは組み込まれていない。
皐月本人はまだ自分の『軽さ』に慣れていない。


ミニアンドロイド
一人暮らしの手伝いを主な目的とした、小型のアンドロイド。普通重量は10kg以下。強化プラスチックやカーボンなど軽量な素材を中心に構成されている。性能はかなり簡略化されていて、あくまでお手伝いレベルのことしかできない。
強度と運動性能を削って、軽量化とバッテリー長寿命、低価格を実現している。
標準的なアンドロイドが自動車程度の価格であるのに対し、ミニアンドロイドはパソコン程度の値段で買うことができる。