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第7節 空刹の思い出


 カルミアは虫カゴのような檻を掴み、その格子に噛み付いた。
 ガリガリと歯を立てるが、びくともしない。自分の歯は鉄や石でも噛み砕けるはず。しかし、後が残るだけで、格子を噛み切ることはできない。
「無理ですよ。その格子は君たちの『壊す力』を阻むように作りました。君たちの歯は術による防御処置のなされた鋼鉄でも噛み千切りますからね」
 空刹が説明する。
 公園の隅にある休憩所。空刹の座る古ぼけた木の長椅子と、木の机にはカルミアを閉じ込めた檻が置かれていた。夜の闇を術の光明が退けている。
 カルミアは格子から口を離し、空刹を見上げた。
「クウセツさん、何でこんなことするんですか?」
「実を言うと、自分でもよく分かりません」
 困ったように、空刹は答えた。ティーカップに入った紅茶を一口すすり、コースターに置く。どこから持ってきたのかは分からない。
「でも、慎一くんが本当に大丈夫な人なのか知りたいとは思っています。カルミアくんを預けて本当に大丈夫な人なのか? 僕の作ったモノを持つに相応しい人なのかを」
「僕の作った、モノ?」
 引っかかった言葉。自分は封術の器。空刹が作ったものではない。
 空刹は優しく微笑む。
「君の心を作ったのは僕ですよ。魂入れの秘術の応用を用いました。君は泣いたり笑ったり喜んだり怒ったり悲しんだり……色々な感情の変化がある。イベリスくんが無感情なのに対して、君が感情豊かなのはそのせいです」
 カルミアは口を閉じる。
 妹のイベリスはいつも淡々と表情を変えない。感情も心もないと本人は言っていた。その時は何とも思わなかったが、考えてみるとおかしい。同じ存在なのに片方は感情を持ち、片方は持たない。
「何で、クウセツさんはわたしの心を作ったんですか?」
「君が望んだからですよ。君が心を欲しいと願ったから。僕は君の願いに応じ、心を作ったのです。君は敬愛と感謝の想いを伝えたかった」
「誰に……?」
「日暈時正。かつての騒動の時に君を動かした主であり、後に日暈家三十三代当主となる青年。慎一くんの先祖であり、同じ日暈の魂を持つ者です。ただ、心を手に入れた直後に君は壊れてしまい、時正に会うことは出来ませんでした」
 昔を懐かしむように、夜空を見上げる。
「その後は僕が修理し、草眞くんが封印。欧州勢力に奪われる前に、事故に見せかけ君たちを裏へと流しました。君たちがいつか時正氏の魂を継ぐ者に会えることを願い」
 カルミアはじっと空刹を見つめた。
 最初見たときと変わらぬ表情。本当のことを言っているのか、嘘を言っているのか、それすらも分からない。空刹の思考を読むのは無理だった。
「魂を継ぐ者ってどういう意味ですか?」
「時重ねの秘術。輪廻の集束による記憶経験の蓄積。古い一族なら必ず使う術です。時正氏の魂は日暈の魂として、慎一くんの一部となっている。慎一くんは――日暈の人間は、無意識の中で君のことを知っているのですよ」
 何を言っているのかは、難しすぎて分からなかった。
 それは空刹も承知していたのだろう。くすりと笑う。
「大袈裟に言えば、君は三百年ぶりに思い人と会えたんです。どちらも、相手のことを覚えていないのですけど。奇跡って起こるものですねぇ」
 感慨深げに言いながら、カルミアをじっと見つめた。
 風が緑色の髪を揺らす。
「僕が君のことを大事に考えているのは事実です。慎一くんが君の主として相応しいのか確かめたいのも事実です。そして、僕が君の中にある封術を手に入れようとしているのも事実です……。人の感情は複雑ですよ」
 他人事のように言っている。
「だから、僕は慎一くんに決闘を申し込んだのです。彼が本気でカルミアくんを奪いにくるならば、僕は君を彼に預けます。そうでなければ、僕は君たちを連れて行きます。記憶も消去させてもらいます」
「記憶って……何で?」
 意図を計りかねて、カルミアは首を傾げた。
「戻れない過去の思い出は、苦痛にしかなりません。心を持つ君だからこそ、記憶を全て消去させてもらいます。覚えていなければ、思い出に苦しむこともない」
「忘れるのは……嫌です。嫌ですよ! わたしは、シンイチさんのことを忘れるのは嫌です。わたしはとずっとシンイチさんの側にいたいんです!」
「大丈夫ですよ」
 言い返したカルミアに、空刹は優しく微笑みかけた。
「彼は来ますから」
 その台詞に、頬から力が抜ける。
 戸惑うカルミアに、空刹は尋ねた。
「君は慎一くんが助けに来ると想いますか?」
「はい」
 カルミアは疑問もなく頷く。慎一は来る。そのことに疑問は持っていなかった。
「人間の心って不思議ですよね」
 紅茶を飲み干し、空刹は空を見上げる。
 その表情から何を考えているのか、読み取ることは出来なかった。

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