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第6節 草眞からの |
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慎一は壁に両手を押しつけた。 サークル棟のシャワー室。ぬるま湯のシャワーが身体を流れていく。濡れた髪が身体に張り付いていた。疲れはない。傷の痛みもない。だが、身体が焼けるように熱い。濡れた尻尾の先が床を撫でている。 「何でこうなるんだ?」 着ていたものは脱衣所の全自動洗濯機に放り込んでいた。シャワーを浴び終る頃には、乾燥も終っているだろう。 「何がしたいんだ?」 空刹の行動が理解できない。 封術・法衣を手に入れる。空刹の目的。だが、やたら回りくどいことをしている。最初から奪うことは出来た。慎一からカルミアを、蓮次からイベリスを奪う。苦もない。しかし、カルミアだけを奪い、イベリスを賭けて決闘すると言い出している。 「彼は強い」 視線を動かすと、イベリスが浮かんでいた。シャワー室に入る時に一緒についてきたような気がする。考え込んでいたので覚えていないが。 飛沫のかからない位置から静かに話すイベリス。 「彼は強い。誰にでも勝てるほど強いから、よほどの理由がない限り力で奪うことはしない。でも、相手の意志を見るために戦う。彼が欲しているものが、持ち主にとって守るべきものなのかそうでないのか。そんな変な人」 濡れた髪を払い、慎一はじっとイベリスを見つめた。 シャワーの音がやけに大きく感じる。 ――何かを得るには相応の代償が必要となります。自分の人生を守ろうとするならば、人生そのものを代償として差し出さなければなりません。 ――大事なものを守るには、それに見合ったものを懸けなければならない。 空刹は慎一を試している。 慎一はシャワーを止めた。 「慎一!」 脈絡のない声に咄嗟に両手で口を塞ぐ。狐耳と尻尾が跳ねた。 左右を見回す。何が起こったのか、理解できなかった。正直に言うならば、口から声が出た。意志とは関係なしに、自分で自分の名を呼んだ。 「何だ?」 「草眞じゃ。術でお主の身体に干渉しておる。ようやく繋がったわい。長時間は話せぬから挨拶は抜きじゃ。お主の記憶を読む限り、えらい事態になってるようようじゃな」 勝手に喋る口。頭に浮かんでくる自分のものではない感情。 「草眞さん?」 慎一は尋ねた。一人芝居のようだが、それは気にしない。 この身体は草眞の分身。同一でありながら別のものが、結界の外と内にある。それを利用し、交信を行っているのだ。結界を越えて慎一に干渉するのには苦労したのだろう。頭に浮かぶ草眞の感情からそれが読み取れる。 「謹慎はいいんですか?」 「緊急事態で狩り出されておる。蓮次は死んだか……自業自得じゃな。それよりも、お主はあのジジィと戦うつもりか?」 「あれは一体何者なんですか?」 草眞は空刹を知っている。あれほどの力なのだ。狐神族の三位である草眞が知らないはずがない。何度も顔を合わせているのだろう。 「空刹……最近はそう名乗っておるな。齢二千をこえる日本の古い妖じゃ。脳天気なバケモノで、わしが生まれるより前から好き勝手、好奇心の赴くままに動いておる。文字通りの意味で私利私欲のためにしか動かぬ男じゃ」 私利私欲。金銭欲や物欲ではない。自分がしたいこと自分やりたいことを、実行するということだろう。物や金などで交渉することの出来ない、厄介な相手。 「敵になることもあったし、共に戦うこともあった。他人に迷惑を掛けることは滅多にないが、百年に一度くらいの割合で今回のような大騒ぎを起こす。厄介な奴よ。最近は封術を集めておるようじゃが、目的は知らぬ」 「僕に倒せますか?」 「無理じゃな」 疑問を一蹴され、慎一はうなだれた。 「そうですか……」 「じゃが、お主が戦うというのなら手伝いはする」 その言葉に応じるように。 尻尾に違和感を覚えた。慌てて背後を見やる。 銀色の毛に覆われた尻尾。先端が白い。見慣れた尻尾――それが裂けた。尻尾が二つに分かれ、二尾となる。さらに二尾がそれぞれ半分に裂け、四尾となる。 「これは……」 慎一はうねうねと四本の尻尾を動かした。既に尻尾一本で人間だった時と同じ力を出す機構が作られている。それが四本に増えたのだ。一尾の狐が四尾に増えたのと同じくらい法力が増加している。反則としか言えない強化法だが、今はありがたい。 「お主にわしの尻尾を三本貸す。もうひとつ、これは日暈恭司からじゃ。あの戦闘狂が何を考えておるかは知らぬが、使用にはくれぐれも注意せい」 「ぐが……!」 猛烈な嘔吐感に、慎一は胸を押さえた。胃の内容物ではない。硬い棒のような物体が体内に現れる。同じ身体であることを利用し、体内へと口寄せしたのだ。 慎一は顎が外れるほどに口を開き、喉を押さえた。細い棒のようなものが、腹から食道、喉を通り、口から突き出す。真上に向けられた口から、それは吐き出された。 「げほっ……」 床に落ちた棒のようなもの。 およそ百センチ強。呪文の記された包帯のような古布で覆われ、黒い紐で拘束するように縛られている。見覚えはあった。 「もう時間じゃ。あとはお主で何とかせい」 草眞の声は聞こえていない。 慎一はその棒を拾い上げた。黒い紐、人間の髪から作られた封紐を解き、布を半分ほど取る。曇りを帯びた銀色の刃。刃毀れの目立つ、切刃造の上古刀。 みぞおちの辺りに酷い不快感。 「う……。があぁ……」 刀身から溢れる禍々しい瘴気に当てられ、慎一は嘔吐していた。胃に食べ物はないが、さきほど呑んだスポーツ飲料を床に吐き出す。胃液まで残らず吐き出し、肩で息をしながら床に落ちた刀を見やった。 「何考えてるんだよ、爺ちゃん……」 「おい。何だ、この気配は!」 シャワー室のドアを開け、宗次郎が飛び込んでくる。 息を止め、引き寄せられるように刀を凝視した。吐き気を覚えたのか、口元を押さえる。室内に立ち込める瘴気。無色無臭だが、胃を抉る不快な空気。 「何だ、それは?」 慎一は刀を拾い、布を巻き、紐を縛った。刀身から漏れていた瘴気が薄れる。 「僕の実家に、マガツカミの鉄剣なんて呼ばれる刀が在ります。名も無き禍神を封じた伝家の宝刀らしいですけど、詳しいことは不明です。ただ、破壊力だけならば天叢雲剣に匹敵するかもしれません。この刀はその破片を埋め込んだ写刀の一振りです」 「もう俺の手には負えないけど。倒せるのか、それで? あいつを」 「分かりません」 普段は厳重な封印を施してある。日暈の魂を受け継いでいるお陰で、この刀を操ることは出来る。今の自分の力は祖父の恭司に届くかもしれない。それは言い過ぎだろうが。 「マスター。お願い、姉さんを助けて」 刀を握ったまま、慎一はイベリスを見つめた。変わらぬ無表情、無感情。だが、ただならぬ迫力を見せている。 「姉さんが心を手に入れたのは、日暈時正のため。自分を動かし守ってくれた彼の優しさに応えるために、あの人に頼んで心を作ってもらった。でも、時正に会う前に壊れてしまい、想いを伝えることが出来なかった」 「日暈時正……三十三代日暈当主」 江戸時代の日暈当主である。カルミアと関わっていることは聞いていない。当主の仕事は一族内でも機密扱いにされることが多い。 「あなたも日暈の魂を持っているから、姉さんを動かしたんだと思う。姉さんもあなたが好き。どちらも過去のことは覚えていないけど、昔と同じことをしている。だから。姉さんを助けて。姉さんを独りにしないで」 「昔話ありがとう。でも、日暈の魂を持ってても僕は僕だし。カルミアは助けるよ」 慎一は刀を握り締めた。 「ありがとう。マスター」 イベリスが頷く。 宗次郎が仰々しく頷いた。 「もうガキじゃないんだ。好きにやれ」 「……何です?」 その目付きに邪なものを感じる。 慎一は自分の格好を思い出した。下着もタオルもつけていない。一糸まとわぬ姿。ついでに、変化の術は使っていない。つまり、女の姿のまま裸でいるということ。 「っ!」 両手で身体を隠すが、今更遅い。 「その恥じらいに乾杯!」 宗次郎が親指を立てるのと。 慎一が前蹴りを繰り出すのは、同時だった。 |