Index Top 目が覚めたらキツネ

第2節 影化の秘術


 蓮次は両腕を広げて、器用に片眉を上げて見せる。
「余裕さぁ。余裕だよ」
「なるほど。火力は凄いけど、あまりの大きさに制御が困難になってる。日暈の炸成術と似てる――複雑な術が組めず、迫撃戦にしか使えない」
「日暈の男が言い訳吐くなんて珍しいな」
 苦笑する蓮次。妙におかしそうに肩を動かしていた。ぱたぱたと跳ねる尻尾。
「僕もそう思う」
 言い訳であることは認める。
 慎一は全身に剣気を練り込み、地面を蹴った。許容量限界から生まれる爆発的な身体能力。神速の術を用いた時速五百キロの移動からの正拳。速度は音速を超える。
 受け止めた蓮次の右腕を、肩ごと引き千切った。
「助言感謝するぜ」
 左膝への蹴り。式服の上から法力が右膝を撃ち抜く。関節が折れた。
 無視して放った貫き手が、蓮次の胸を貫く。胸骨を砕き、心臓を裂き、脊髄を折り、背中まで抜けた。だが、効いていない。痛覚も働かず、どれほどの重傷を負っても、意志とは関係なしに組織が再生を始める。命が尽きるまで。
 突き飛ばされる慎一。肋骨が数本折れる。
 蓮次が左手の平を突き出した。法力を集め、術式を組む。
「雷電!」
 全方向へと広がる稲妻の激流。帯電した空気が唸りを上げた。複雑な術は組めないが、単純な雷撃は作れる。術式の複雑さと殺傷力は、一概に比例しない。術として碌に制御されていないが、この法力量と規模なら致命傷となるのに十分だ。
 慎一は右の手刀を振り上げる。
「小細工はなしだ」
 砲華の術の斬撃。
 稲妻と剣気の刃がぶつかり合った。爆風に薙ぎ倒される木々、引き剥がされる土片、割れるガラス。街中で使う規模ではないが、文句は言っていられない。剣気の持つ術破壊特性が稲妻を斬り裂き――
 稲妻の隙間に出来た道を走り、慎一は右手の人差し指と中指へと法力を込める。
 掌に稲妻を込める蓮次。両者の間合いが消えて。
 ゴゥ!
 と――蓮次の手は空を叩いた。
 慎一は半ば倒れるように体勢を崩し、打撃を躱す。追ってくる蓮次の視線。意識は追っていても身体はついてこない。
 折れた右足を突き出して転倒を防ぎ、
「貫け!」
 裂帛の気合いとともに、慎一は指を放った。撃ち出されるように伸びた二指が、蓮次の頭を貫く。口蓋から脳を突き抜け、頭蓋骨まで。攻撃が通じないのならば頭を潰すしかない。即死はしないものの、さすがに白目を剥いて意識を失った。
 右指を引き、左手の二指を側頭から反対側へと貫通。
「これでも……駄目か」
 右腕を動かし、防御を取る。意識のない蓮次が放った手刀。
 雷術・雷手。右腕で捌くも、式服の上から神経に流れ込む、電撃。打撃も雷も、術の防御が通じない。身体が痺れて動きが鈍っていた。式服がなければ腕ごと焼き斬られていただろう。
「脳を撃ち抜かれて、普通なら死んでるだろうけど」
 傷を治癒しつつ、慎一は左へと跳んだ。
 振り下ろされた拳が地面を穿つ。杭打ち機のような豪打に地面が割れた。光の消えた焦げ茶の瞳で凝視してくる蓮次。体組織は再生を始めている。
「影術・剛刃」
「――ッガ!」
 その身体を黒い刃が貫いた。大剣のような刃が背中から三本。蓮次を貫き、地面に縫い付けている。影獣。だが、結奈の力ではこれほどの力は出せない。
「押されてるわね、慎一。あんたらしくもない」
 影の剣の上に立つ結奈。ただ、人間の姿をしていない。漆黒の毛に覆われた人狼。狼のような頭と鬣のような髪、大きな黒い尻尾が揺れている。上着とスラックスは着たままで足は裸足。にっと口端を上げて、白い牙を見せる。
 慎一は息を呑んだ。驚きに尻尾が立つ。知らない術ではないが、
「影化の秘術。沼護家の秘術だろ! お前に使える代物か……」
「やる気になれば出来るわよ。長時間は持たないけど」
 蓮次が影の刃をへし折った。腕の一閃で雷撃を放つ。一直線に伸びた紫電の槍が、結奈を貫いた。心臓を貫通し、大穴を開け、結奈が影と化して消える。
「変わり身!」
「影縛り」
 地面から伸びた二十本の影が、蓮次を拘束した。歯を食いしばり、脱出しようともがく。容易には外れないが、一本づつ確実に千切れていた。
 慎一の横に佇む結奈。黒い狼女の姿。身体に宿した影獣と同化する秘術。
「しっかし、あんた。強いと思ったんだけど、なんか弱いわね」
「この身体で限開式使った実戦は初めてだ。予想はしていたけど、勝手が違う。草眞さんの所で練習はしたけど、身体が慣れるまでは時間がかかる。もう大丈夫だろうけど。あと、壊したものの修理代はうちに来るんだぞ。考えただけで憂鬱だ」
 差し出された魔剣を掴み、慎一は駆け出した。傷は治療が終っている。魔剣は起動され、法力を取り込み、剣身を赤く染めていた。金属の柄を緩く握る。
「日暈慎一ィィ!」
 放たれる狐火。いや、狐火ではなく青い光の奔流。既にそれは炎ではなかった。
 青い光を跳躍で躱す。以前のように力を込めてはいけない。ほんの少しだけ、力を余分に加える。慎一は滑らかな動きで前へと踏み出した。
 迎え撃つように前進する蓮次に――
「あんたはじっとしてなさい!」
 影の杭が打ち込まれた。五本の黒い杭が、肩、胸、腹、足を貫き、縫い止める。叩き折ろうとした腕をさらに影が拘束した。
「この雌狗がア!」
「よそ見するな……!」
 慎一は右手で柄の中程を掴み、身体を捻った。背中を反らして腕を真後ろまで振りかぶり、右足を左前方に踏み出す。通常では使えない大振りの技。身体を斜めに傾けた姿勢から、すくい上げるように腕を振り上げた。
 切先が地面を削り、さらなる加速を生み出す。
 剣気と炎が混じり、閃く。

Back Top Next