Index Top 目が覚めたらキツネ

第1節 不死身の強さ


 耳の奥に骨の軋むような音が聞こえる。
「この身体で、どこまで行ける?」
 リミッターを外す限開式。日暈の退魔師は剣気によって負荷を軽減し、長時間の維持を可能にしていた。通常ならば一分程度の持続を、十分ほどまで伸ばしている。
 法力を左手に集め、慎一は刀身に指を走らせた。
「命断の式……」
 術式を刻み込む。不定形や不死性の相手から生命力を削る術だ。高い殺傷力から使用を制限されているが、使うしかないだろう。さらに四肢にも術式を刻む。
 蓮次が痙攣を止めた。
「あ、はははは、ハぁッハハハハハ!」
 倒れたまま笑い始める。発作は治まったが、正気ではないようだった。跳ね起きる。胸を掻き毟った傷は癒えていた。以前よりも一回り大きい体躯。筋肉の肥大化。
 両腕を広げ、蓮次は天を仰いだ。
「ああ。力が漲ってくる。凄い、素晴らしい。生まれて初めての爽快感だ!」
「薬で頭沸いてるわね。人間でも逝ってる奴は鉛玉食らっても動けるし。ましてや人間じゃない狐神、挽肉にしないと止まらないわよ。頑張ってね、慎一」
 腕組みをして首を振る結奈。覚醒剤のような高揚作用だろう。身体にかかる負荷と苦痛を紛らわせるためのもの。つまり、痛みで止まることはない。
 気にも留めず、蓮次は続ける。目付きはおかしいが、不安定さは消えていた。
「日暈慎一。昼前にお前に言った言葉は覚えてるか? その身体を手に入れたことを後悔させてやる、ってなぁ。覚悟は出来てるか?」
「さあね」
 慎一は地面を蹴った。引き絞った右腕から、心臓を狙う刺突。
 蓮次は左掌で刀を受け止める。銀色の刀身は掌を砕き、肩を貫いていた。左手が使い物にならなくなったが、刀も動かせない。
 止まらずに前へ出る慎一と、右拳を放つ蓮次――遅い。カウンターの左掌底が、蓮次の顎に命中した。衝撃の波紋を打ち込む振打を、確実に脳震盪を起こす位置と重さ力で。命断の式が生命力を削り取る。
 後退する蓮次。コンマ三秒の攻防。
「効いてないぞ?」
 無造作な蹴りが慎一を空へと舞い上げた。ボールでも蹴るように軽々と、数十メートルの高さまで。体勢を立て直すよりも早く、蓮次が追撃していた。
 薙ぎ払うような一撃を腹に食らい、北棟を飛び越え地面に激突する。
 夜八時前の大学中央広場。レンガの石畳を十メートルほど砕き、慎一は立ち上がった。幸いにして学生はいない。背骨が痛むが、無視。
「ハッハァ、最ッ高だぜ! この気持ちお前にも分けてやりたいよ!」
 歓喜の叫びとともに、蓮次が降ってくる。
 斬撃は効かない。慎一はそう判断した。
 刀を地面に突き立て跳ぶ。空中で突き出される蓮次の右腕を掴み、関節を極めながら、足で顎を極めた。側頭から石畳に墜落する蓮次。
 駄目押しとばかりに首へと踵を打ち込み、頸椎を砕いた。足に返ってくる生々しい感触。さすがに無事では済まないだろう。
 慎一は組付きを外し、距離を取る。倒れる蓮次。
「これは効いただろ――」
 言い終わる前に、蓮次が起き上がる。あらぬ方向に首が曲がったまま嗤ってみせる。自分の首を両手で掴み、無理矢理直してみせた。左腕は再生している。
「そよ風だな。痛くもない。さあ、日暈慎一。そろそろ本気を出してくれないか? こんなじゃれ合いなんか面白くもない」
 蓮次の右腕が飛んだ。爆音とともに肘から先が千切れ、身体が反対側へとはね飛ばされる。虚を突かれたように右腕を見るが腕は治らない。
 跳ね起きたところで再び爆音。左脇腹に穴が開き、右に吹き飛ぶ蓮次。
「日暈を舐めるな――とも言ったはずだが、覚えてないか?」
 慎一は両手を突き出していた。
 天壊砲・穿。命断の式を刻まれた剣気を針のように絞り、対象を撃ち抜く。さすがに通じるようだが、限開式を用いた状態では制御もままならない。余波が石畳が剥ぎ取り、周囲のガラスを割っていた。北棟にも大穴が開いている。
「抜かせ!」
 蓮次が奔る。比喩抜きで矢のような移動から、左腕を振り――拳は空を叩いた。
 慎一はいない。だが、目が追ってくる。動きは捉えられていた。
 刀を掴み、白刃を閃かせる。地面を用いた抜打ちが蓮次の脇腹を削った。斬るではなく、砕き飛ばす。あまりの速度と重さに、刃物の意味をなしていない。
 折れた切先が北棟の壁に穴を穿った。
 蓮次は退くも、傷が見る間に消える。腕も再生していた。回復力も桁違い。
「刃物は効かない。打撃も効かない。首を折っても駄目か。命断の式で生命力を削っても、寿命そのものを削って回復に当ててる。擬似的な不死身か」
 慎一は前進した。一度身を沈ませてからの、右切上げ。
 狐火を帯びた刀身を、蓮次は左手で掴み止めた。刀身の中程。そのまま握り潰す。
 気にせず刀を跳ね上げ、手首を翻し、蓮次の心臓に突き刺す。心臓潰しは攻撃の定石だが、どこまで通じるかは分からない。
「ぐ……!」
 大振りな右拳が慎一の胸にめり込んでいた。
 耐えることはせず、素直に吹っ飛ばされる。地面を転がりながら、冷静に状況を確認。おかしな方向に跳んでないことを確認してから、体勢を立て直した。
 地面に手を突き、正面を向く。狙い通り、大学グラウンドの中程。
「大学棟壊すと面倒だからな……」
 尻尾を一振りさせる。
 視線を上げた先には、蓮次がいた。余裕の態度で歩いてくる。狐色の尻尾を悠然と左右に揺らしながら、無防備な歩み。胸の傷は塞がっていた。
「余裕だな」
 慎一は狐耳の先を指で弾いた。

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