Index Top 我が名は絶望――

第1節 強者の気まぐれ


 斬り刻まれたディスペアがその場に崩れる。
 ミストは無言のまま、その光景を見つめていた。何もできない。指一本動かせない。その戦闘能力はミストの想像の域を何倍も上回っている。
 セインズはばらばらになったディスペアから目を離した。
 辺りに散らばったミストの剣やナイフ、クロウの死体を見回してから、最後にミストとフェレンゼの二人に目を留める。
 殺気は感じない。
(セインズ……)
 ミストは心中でその名を呟いた。
 その容姿だけを見るだけならば、どこにでもいる好青年である。だが、その好青年は、ためらいもなくクロウを殺し、ディスペアを斬り刻んだのだ。殺意の欠片もなく。
 セインズが近づいてくる。右手には、ディスペアの剣と同じような形の黒い剣が握られていた。その刀身は、禍々しい漆黒の光を帯びている。
(殺される――!)
 ミストは直感的にそう思った。だが、身体は動かない。動かせない。逃げても無駄だろう。追いつかれて殺される。戦うのは論外だ。挑めば、一撃で殺される。あのディスペアでさえ敵わないのだから。
 どちらにしろ、自分は死ぬ。
「仕方ありませんね……」
 穏やかに呟きながら、ミストを庇うようにフェレンゼが一歩前に出た。懐から銀色の棒の束を取り出す。折りたたみ式の戦杖。一振りすると、それは耳障りな金属音を立てて長い杖に変わって……
「折れろ」
 セインズが放ったその一言で、戦杖が継ぎ目部分からへし折れた。フェレンゼの手からこぼれ、六本の短い金属の棒となって地面に落ちる。
 フェレンゼは二本の短剣を取り出し……
「砕けろ」
 再びセインズが放った一言で、刃が根元から粉々に砕けた。刃として用を成さなくなった十数個の金属片が地面に散らばる。
「カオス・ブラスター!」
 間髪容れず、フェレンゼは魔法を放った。武器を取り出す間に呪文を唱えていたのだろう。突き出した両手から放たれた青い光の奔流が、一直線にセインズに向かって……
 剣の一振りで、魔力の槍は消滅する。
 歯が立たない。
 厳然たる事実に、ミストはさらに深い絶望感を覚えた。
 が……。
「攻撃することはないよ」
 気安く、セインズが言ってくる。
「ボクは、君たちをどうこうするつもりはないからね。その点は心配しなくてもいい。ボクが興味あるのは、戦って面白い奴だけだ。君たちは戦っても面白くなさそうだし」
 気楽に言ってから、ミストとフェレンゼを交互に見つめた。それは商品の品定めをするような眼差しだった。何を品定めするかは分からないが。
 それから、何を思いついたのか、セインズはにっこりと微笑んだ。子供のように無邪気な笑みだが、その奥で何を考えているのかは、想像がつかない。
 顎に手を当てて、フェレンゼを見やると、
「君は、それなりに魔法が使えるようだね」
「ええ」
 警戒を解かぬまま、フェレンゼが頷く。腰を落として半身を引いた体術の構えを取っているが、セインズは気にしていなかった。体術など通じない。
「なら、回復魔法は使えるかい? できるだけ強力なヤツ」
 その問いに、フェレンゼは笑って、
「もちろん。僕は医者でもありますからね。回復魔法は上級のものまで使えますよ」
「それは良かった」
 嬉しそうに呟いて、セインズは斬り刻まれたディスペアを指差した。
「じゃあ早速、あの失敗作を治してくれないか? ばらばらで意識も失っているだろうけど、生きているはずだ。一応、手加減はしたからね」
 口端を上げてから、口元を手で押さえる。
 星と月の浮かぶ夜空を見上げて、
「六百年か……。そうだな。それだけの年月を鍛錬に費やせば、失敗作だろうとそれなりに強くなるということか。魔法も使わず、素面でボクとそこそこ互角に戦えるのも、当然かもしれないな。ということは……これは、面白くなりそうだ」
 独り言のように言ってから、セインズは面白そうに喉を鳴らした。右手にぶら下げていた剣を胸の辺りまで持ち上げると、
「剣よ、元の姿に戻れ」
 その文句とともに、剣から漆黒に輝く刃が消える。残ったのは金色の柄。
 セインズはそれを後ろ腰に差した。金髪と純白の長衣を揺らしながら、ミストの横を通り過ぎていく。向かう先は、ミストたちがやって来た木々の隙間。
 だが――
「あ。そうそう」
 セインズは何かを思い出したように振り返ってくる。
「そこの失敗作が目を覚ましたら伝えておいてくれないかな。ボクはこの先で待っているから早く来てくれ、とね。あー、それと、君――」
 視線を向けられ、ミストは肩を跳ねさせた。攻撃されると思ったのだが、考えてみれば、いまさら攻撃してくることもなうだろう。
 セインズは笑いながら言ってくる。
「君にもしっかり働いてもらうから、そのつもりでいてくれ」
「………?」
 意味は、分からなかった。
 だが、セインズはそれで全てを言い終えたらしい。
「それじゃあ、また」
 そう言い残し、二人に背を向ける。
 振り返ることもなく、セインズは木々の隙間へと足を進めた。純白の長衣と金色の髪は闇の中でも目立ったが、やがて漆黒の闇に溶けて見えなくなる。

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