Index Top 我が名は絶望――

第1節 追い付いて


 時間の感覚は、とうに曖昧になっていた。
 漆黒の闇が支配する森の中を、ミストはわき目も振らずに走っていく。
 目の前には、魔法の明かりが浮かんでいた。魔力を具現化させた、熱のない光。その光が、うっすらと足元を照らしている。この明かりがなければ、何も見えないだろう。明かりなしでは、森の中を走ることなどできない。
(でも、ディスペアだったら暗闇でも平気で走るんでしょうね)
 そんなことを考えながら、ミストは真正面を見つめる。
 自分のいる位置からどれほど遠いかは分からない。しかし、視線の先には小さな白い明かりがあった。それは、絶対に見失ってはいけない。
 クロウが作り出した魔法の明かり。
 そこに、クロウがいる。
(やっと来た。あたしがあいつに復讐できる、最大の好機――)
 ディスペアと発掘隊が戦っている最中に、クロウが一人で走り出したのに気づいたのは、まさしく幸運だった。戦いに気を取られているディスペアやフェレンゼ、クロウの発掘隊を置いて、ミストはクロウを追いかけたのだ。
 クロウは発掘隊の部下でディスペアを足止めしている間に、一人でフルゲイトの封印を解くつもりなのだろう。だが、そんなことはどうでいい。今の状況は、自分にとって絶好の機会である。クロウの部下やディスペア、フェレンゼに邪魔されることなく、クロウと戦うことができるのだ。
(これで、お父さんとお母さんの仇が取れる!)
 だが。
 ――どのみち、お前の実力ではクロウには勝てない――
 ディスペアの放った言葉が脳裏に浮かぶ。
 客観的に考えれば、それは明らかだった。クロウはハロッツ魔法研究所の所長。紛れもなく一流の魔道士である。対して自分は、素人と言って差し支えない。ディスペアに少しだけ戦い方を教えてもらったが、それもつけ焼刃である。
 実力の差は明白だ。だが。
(あたしは絶対にクロウを殺す……)
 実力の差などどうでもいい。
 自分はクロウを殺すのだ――。
 しかし、正攻法では勝てるはずもない。
(自分より強い相手を倒す方法)
 変則技。相手の虚を突くこと。
 敵の予期せぬ一撃で動きを止めて、その隙に決定打を叩き込む。
(あたしにできるのは、これしかない……)
 しかし、具体的な方法となると、結局何も考えつかなかった。自分の力でクロウの動きを止める方法が思いつかない。仮に、何とかクロウの動きを止めても、クロウを殺す決定打を放てるか分からない。
(もしかして……あたし、殺されに行くのかな……?)
 虚しい思いが脳裏をよぎる。
 おそらくは、そうなのだろう。
 だが、自分は進むしかない。戻る場所はないのだ。
「ん?」
 ふと体温が下がるような錯覚を覚え、ミストの意識は現実に引き戻された。自覚はなかったが、結構な距離を走ったらしい。重い疲労感が湧き上がってくる。
 しかし、止まるわけにはいかない。
 前に見える明かりが、いつの間にかに明るくなっていた。
(クロウに近づいている!)
 その事実に、意識が引き締まる。自然と走る速度も上がった。
 視線の先の明かりは、次第に大きく強くなっていく――
 やがて、宙に浮かぶ光球の下に黒い人影が見え。
「クロォォォォォォォォォォォウ!」
 気がついた時には、ミストはあらん限りの絶叫を迸らせていた。無音に等しい森の中に、咆哮のような声が響き渡る。声は森の木々に吸い込まれ、再び静寂が訪れた。
 まさか、この声が聞こえなかったわけはないだろう。
 クロウが振り返ってくる。
「やっと……追いついたわよ……。クロウ・ガンド……」
 足を止めて肩で息をしながらも、ミストは呪詛のような声を絞り出した。我知らず、口元に笑みが浮かんでくる。仇敵に会えたことへの歓喜。
 宙に浮かぶ二つの明かりに照らされたその場所は、開けた草地だった。しかし、さきほど発掘隊がいた草地よりは狭い。目の前には、クロウが佇んでいる。その後ろには、高さ五メートルほどの太い石柱が立っていた。
「お前は、フェレンゼが連れていた小娘だな。私の部下とディスペアが戦っている隙に、私がここに向かうのに気づいて、一人で追いかけてきたってところか。私がフルゲイトの封印を解くのを防ぐために」
「半分だけ、正解ね……」
 クロウの推測に、ミストは険悪に言い返した。疲労感や息の乱れも残っていて、身体も鉛のように重い。だが、クロウへの憎しみがそれを補っている。
 クロウは訝るように眉根を寄せた。
「半分?」
「あんたの部下とディスペアが戦ってる最中、あんたが一人でここに向かうのに気づいてあたしはあんたを追いかけた――それは当たり。でも、後半は外れよ」
 視線だけで貫けるほどに強く、ミストはクロウを睨み据える。しかし、クロウは一切動じた様子を見せなかった。その通り、欠片も動じていないのだろう。
 そのことに苛立ちながらも、ミストは続ける。
「あたしの目的はフルゲイトなんかじゃない。フルゲイトの封印が解かれようが解かれまいが、そんなことはあたしの知ったことじゃないわ! あたしの目的はクロウ・ガンド……あんたを殺すことよ!」
「ほう」
 クロウは意外そうな呟きを発した。
「つまるところ、お前は私に恨みがあるんだな」
「そうよ……」
 クロウを見据える眼差しに、さらに力がこもる。しかし、いくら睨まれたところで、クロウは何も感じないようだった。ミストの視線を受け止め、平然としている。
「心当たりがない、などとは言わないが……」
 クロウは一拍の間を置いて、
「命を狙われる理由は思い当たらないな」
「………!」
 ミストは全身の血液が沸騰するのを感じた。噛み締めた奥歯の軋む音が、頭の中に響く。クロウは、ミストの両親を殺したことを何とも思っていない。
「忘れたとは言わせないわよ!」
 ならば、自覚させるだけ。ミストは叩きつけるように告げた。
「一年前、あんたはあたしの両親を殺した! フルゲイトの在り処を記した文献を手に入れるためだとか言ってね! ――思い出した!」
「ああ。思い出したよ」
 天気の話でもするような気軽さで、クロウは頷いてみせる。ちょっとした昔の出来事でも思い出すように、宙に浮かんだ魔法の光を見上げて、
「アースティア家の一件だな。あの家の人間は、全員殺したと思っていたんだが……」
「あたしは生きていたわ」
 クロウの言葉を否定するように、ミストは自分を指差した。
「それから、あんたに復讐するために、一年もの歳月をかけてここまでやって来た。あたしは絶対にあんたを殺す!」
 強引に腰の剣を引き抜く。標準的な長さの両刃の直剣。人を傷つけ殺すための鋼の武器。銀色の刃は、空中に漂う魔法の光を受けて白く輝いていた。
 その切先をクロウに向ける。

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