Index Top 我が名は絶望――

第1節 届かない……


「お前が、私を殺す? ……無理だな」
 自分に向けられた剣を見つめ、クロウは嘲るように鼻を鳴らす。
「身のこなしや目つきで分かる。お前は、素人だ。人間と戦ったこともないし、人を殺したこともないだろう。それが、私を殺せるわけがない」
「くっ!」
 紛れもない事実を突きつけられ、ミストは呻いた。反論する隙がない。自分は人と戦ったこともないし、誰かを殺したこともない。まさしく素人である。
「分かったなら、素人はおとなしく帰れ。私はこれからフルゲイトの封印を解かなければならないのだ。お前の相手をしている暇はない」
 そう言い捨てて、クロウは背後に佇む石柱に向き直った。話の流れからするに、その石柱にフルゲイトが封じられているのだろう。だが、そんなことはどうでもいい。
 ミストは深く息を吸い込み、激情に任せてありったけの声を吐き出した。
「そんなこと関係ない! あたしはあんたを殺す!」
「……なら、仕方ない」
 凍えるような声とともに、クロウが振り返ってくる。
 斬りつけるような殺気を向けられ、ミストは全身が粟立つのを感じた。この恐怖には覚えがある。一年前、クロウに殺されかけた時に感じたものだ。
「死ね」
 クロウが腰の大剣を引き抜く。
 それよりほんの少しだけ早く、ミストは二枚の呪符を取り出した。結局、クロウを倒す方法は思いつかなかった。だが、今はできることを全力でやるしかない。
 成功するかは、賭けだ。文字通り、命を懸けた、賭け。
「烈光!」
 呪符が弾け、網膜を焼くような白い光が爆ぜ散る。閃光によって相手の視力を奪う護身用の魔法。目を焼く光の爆裂は、暗い森を昼間よりも明るく照らし上げた。
 だが、この程度ではクロウの動きを止めることはできない。それは分かっている。
 鞘走りの音。光が収まる前に、クロウは大剣を抜き放っていた。今、剣で斬りかかっても、逆に斬り殺されるだろう。考えずとも分かる。
 ならば……。
 ミストは構えていた剣を、クロウめがけて投げつけた。いくら何でもこれは予期していなかったはずである。剣を投げたりはしない。
 舌打ちして、クロウは飛んできた剣を自分の大剣で横に弾き飛ばす。
 その時には、ミストはクロウへと駆け寄っていた。大剣の間合いの内側へと飛び込むと、腰に差した剣の鞘を左手で抜き放ち、真下から振り上げる。
 ガツ、と鈍い音を立てて、鞘がクロウの顎を打ち上げた。顎を強打され、クロウはのけぞるように、一歩後ろによろける。これで、攻撃を遮るものは何もなくなった。
(今だ!)
 ミストは懐から一本のナイフを取り出す。このナイフが自分の持つ最後の武器だ。小さな銀色の刃を、クロウの胸めがけて振り下ろし――
「―――!」
 衝撃が身体を貫いた。
 視界が揺れ、何も見えなくなる。
 気がつくと、ミストは背中から木に叩きつけられていた。右の脇腹から重く突き抜けるような激痛がこみ上げてくる。呼吸もままならない。
「う……あ……」
 呻きながら、ミストは倒れまいと足に力を入れた。しかし、思うように力が入らない。今の一撃で足腰を砕かれたらしい。今は立っているのが精一杯である。後ろの木に寄りかかっていなければ、倒れてしまうだろう。
 視線を上げると、打たれた顎をさすりながら、クロウが険しい笑みを浮かべていた。その左拳が、青く輝いている。その拳を打ち込まれたらしい。
「武闘魔法の一撃だ。動けまい」
 冷淡にクロウが言ってきた。右手に持っていた大剣に左手を添える。すると、青い魔力の光が大剣を包んだ。武闘魔法、攻撃や防御の効果を高める接近戦用の魔法である。
 輝く大剣を目にして、ミストはとにかくその場から逃れようとした。しかし、脇腹の痛みと力の入らない足腰のせいで、動けない。無理に動いても、倒れるだけである。結果は変わらない。
「今度こそ、終りね……」
 大剣を握り直すクロウを見つめて、ミストは自虐的に笑った。自分ができることは全てやった。しかし、クロウを殺すことはできなかった。
 それどころか、目の前には自分の死が待っている。
 自分はクロウに斬り殺されるのだろう。逃れるすべはない。
 クロウは大剣を目で示し、
「安心しろ。痛みを感じる間もなく、お前は死ぬ」
 慰めにもならないことを言ってくる。
 受け入れるしかない。ミストは覚悟を決めた。何も感じない。自分は死んで、両親の元へ行く。クロウを殺すことができなかったのが心残りだが、今さらどうしようもない。これが自分の最期。
 クロウが無言で剣を振り上げた。
 自分の身体めがけ、青く輝く刃が袈裟懸けに振り下ろされるのが、やけに緩慢に見える。これが断末魔の一瞬というのだろう。
 そう思った、その時――。
 ヒュッ。
 小さな風斬り音が聞こえた。それより僅かに早く、クロウが後ろに飛び退く。同じくして、クロウがいた空間を二本の銀色の細い棒のようなものが貫いていった。
「え?」
 わけが分からぬうちに、クロウの視線が自分から外れる。
 今度は、黒い影だった。白銀色の奇跡を残した黒い影が、目の前を風のような速さで駆け抜ける。それが何か分からぬうちに、
「十二剣技・四弦月――」
 清んだ金属音が響いた。
 間を置かず、追い詰められた表情で、クロウが石柱の横まで後退する。右手に持った大剣は、元の三分の二ほどに短くなっていた。先端がなくなっている。
「あと一秒遅かったら、お前は死んでいた」
 聞き慣れた、無愛想な声。
 ミストは現れた影に目を向けた。
 夜の闇のように黒い長衣に、腰まで伸びた手入れのされていない銀髪、感情のない冷たい表情と、一度見たら忘れられないその風貌……。
「ディスペア……!」
 ミストはその名前を口にした。

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