Index Top 我が名は絶望――

第5節 交渉決裂


 森の中は、闇に包まれている。フェレンゼの作り出した魔法の明かりがなければ、辺りは漆黒に染まってしまうだろう。日は、西の地平線下に沈んでいた。
「結局、日のあるうちには追いつけませんでしたね」
 宙に浮かぶ小さな光球を見つめ、フェレンゼが呟く。フェレンゼと会ってから、休憩を取らずに進んでいるのだが、いまだに追いついていない。
 転ばないように足元を見つめたまま、ミストが呻いた。
「あたしたち、あいつらに追いつけるの――?」
 もはや、声に込められた憎しみを隠そうともしない。
 横目にミストを見やり、ディスペアは何も言わずに足を進める。魔法の明かりだけでは暗くて見えにくいものの、地面には大勢の人間が移動した跡がくっきりと残っていた。クロウの発掘隊が移動した痕跡。
「追いつけるか――ではなく、僕たちは絶対に追いつかなければなりません。フルゲイトの発掘は絶対に止めます」
 涼しげながらも、明確な決意のこもった口調で言うフェレンゼ。その瞳には、強い意志の光が灯っている。
「そのためには、夜を徹してでも発掘隊を追いかけます。異存はないですね?」
「ないわよ……」
 唸るようにミストが頷いた。
 だが、ディスペアはこともなく言う。
「その必要はない」
「え?」
 きょとんとしたミストの呟き。
 ディスペアはすっと右手を上げた。人差し指が示す先。
 立ち並ぶ森の木々の隙間から、うっすらとした明かりが見える。
「何、あれ?」
「クロウの発掘隊だな。どうやら、俺たちを待ち構えているらしい。ここからの距離は大体千五百メートル、人数は三十人ほどか。追いかける手間が省けた」
「相変わらず、人間離れした察知力ですね」
 フェレンゼが不敵な笑みを浮かべた。服の下の装備を確認しながら、
「しかし……発掘隊が僕たちを待ち構えていたとなると、こちらの説得に応じてくれそうにはありませんね。一応、説得はしてみますけど」
「そうか」
 否定する理由もなく、同意する。
「………」
 ミストは無言のまま、剣の柄に手を触れた。その顔には何の感情も表れてはいない。だが、心中では深い憎悪が燃え上がっているのだろう。それが気配で知れる。
 その姿を横目に眺めながら、ディスペアは息をついた。
 木々の間から見える明かりが、段々と明るくなってくる。
 そうして、数分ほどだろうか。
 森の中にある開けた草地。その手前で三人は足を止めた。音もなく漂う魔法の明かりが、草地を照らしている。
(二十九人か……)
 ディスペアは即座にその場にいる相手の人数を把握した。木の根元や地面に座っているのが十六人、立っているのが十二人。全員が地味な服装で、武器を持っている。大半が剣だが、槍や斧を持っている者もいた。目に見える防具を身に着けている者はいない。
 その中の一人が、代表するように前に出てくる。
「クロウ……ガンド……!」
 噛み付かんばかりの形相でミストが呻いた。憎悪に満ちたその視線は、前に出てきた男に向けられている。その男がクロウらしい。
 年は四十代半ば。肩まで伸びた黒髪と冷徹な輝きを帯びた黒い瞳、頬には三本の引っ掻き傷がある。地味な灰色の上着とズボンと言う格好で、腰には大振りな剣を差していた。見ただけで分かる。相当な使い手だ。
 今にも飛び出ししそうなミストを、ディスペアは左腕で制した。
「あなたが、クロウ・ガンドですね」
「そうだ」
 涼しげに尋ねるフェレンゼに、クロウは重々しく答える。
「それで、天才と呼ばれる考古学フェレンゼが私に何の用だ?」
 訊き返されて、フェレンゼは両腕を広げた。クロウを見つめるその表情が、滑るように真剣なものへと変わる。
「前置きなしに言います。フルゲイトの発掘をやめて下さい。あれは非常に危険なものです。六百年前に起こった暴走を知らないわけではないでしょう。今、フルゲイトの封印を解けば、六百年前に起こった暴走が再び起こります。それは防がなければなりません」
「しかし」
 クロウは不敵に笑った。
「フルゲイトの暴走は、あくまでも六百年も昔に起こったことだ。魔道技術が未発達だった当時ならともかく、魔道技術が発達した現代なら、封印されたフルゲイトを制御することもできるだろう」
「ですが……」
「無駄だ」
 フェレンゼの反論を、クロウは一蹴した。
 口元に薄笑いを貼り付つけ、
「今さらお前が何を言ったところで、私はフルゲイトの発掘をやめる気はない。お前もそれが分かっているはずだ。だから、そこのディスペアを連れてきたのだろ?」
 と、ディスペアを目で示す。
「そうですね」
 軽薄なフェレンゼの返事。
 それに応じるように、辺りに座っていた男たちが立ち上がった。全員が持っている武器に手をかける。戦闘態勢の一歩手前という感じだ。
「なら、答えはひとつだな――お前たちが私たちの発掘隊全員を倒すか、私たちがお前たち三人を殺すかだ」
 それを合図に、右にあった木の陰から、剣を持った男が飛び出してくる。それに気づいたフェレンゼが慌ててその場を飛び退いた。
 動じもせず、ディスペアは男を見やる。その男が木の陰に隠れていたことは、始めから気づいていた。自分めがけて突き出された剣を右足で逸らし、その動きに任せて身体を回転させ、相手の脇腹に左足を叩き込む。
「………ぐ!」
 苦しげな呻きを残し、男はクロウの前まで転がった。しかし、加えた力が小さすぎたらしい。剣を杖にして、立ち上がっている。
 ディスペアは一歩前に出て、ミストとフェレンゼに目をやった。
「ここにいる連中は、俺一人で片つける。お前たちは下がっていろ。足手まといだ」
「一人って! 正気?」
 ミストが叫ぶ。常識的に考えれば、三十人近い手練れを一人で倒すのは不可能だろう。酒場のけんかとは桁が違う。
 ミストに続けるように、フェレンゼが口を開いた。
「君は並外れて強いですが、この全員を素手で倒すのは無理ですよ」
「そうだな。だから、俺も武器を使う」
 そう告げて、ディスペアは発掘隊の方に向き直る。右手を後ろ腰に回し――
 取り出したのは、剣の柄だった。腰の後ろに差していたものである。飾り気のない、地味な銀色の柄。長さは三十センチほどだろう。左右に伸びた鍔。刃はないが。
「剣よ、我が意志に従い硝子の刃を生み出せ」
 その文句とともに、柄から長大な刀身が現れた。
 硝子のように透き通った、反りのない両刃。分厚く、身幅もあり、刃渡りは子供の背丈ほどもある。無骨な無色の刃は、対照的に氷のような冷たさと鋭利さも映していた。静かに、重厚な威圧感を放っている。
 ディスペアは右手に持った硝子の剣を横に一振りした。風斬り音が響く。
「俺の準備はできた。かかって来い」

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