Index Top 不条理な三日間

第6節 現れる……


 少し刃毀れした刃を見つめながら、懐から一枚の写真を取り出す。
 自分とシャロルの写真――村を出る朝に撮ったものだ。
「もう、会うこともないか。すまないシャロル」
 故郷の妹に謝りながら、覚悟を決める。
 キリシは懐に写真を収め、剣を両手で握った。痛みは我慢するしかない。心の中で鎮魂の言葉を唱えながら、銀色の刃を首筋に近づけていく。
 が……
「めし」
 という声に、全ての覚悟がぼろぼろと崩れ去った。
 振り返ると、腕組みをしたガルガスが立っていた。いつからそこにいたのかは分からない。いつものことだが、気がつくといつの間にかにそこにいる。
「早くしろ。腹減ったぞ」
 キリシは剣を持ったまま立ち上がった。ガルガスに向き直り、訊く。
「何の用だ……ガルガス?」
「そろそろ準備ができたから呼びに来たんだ。料理はお前の仕事だからな。何でもいいから早く旨いもの作ってくれ」
 両手を動かしながら、ガルガスは真面目な口調で言ってくる。
「ちなみにオレは肉厚のステーキが食いたい。焼肉でも可」
「ううう……」
 キリシは左手に持った剣を握り締めた。力の入れすぎで手の平に痛みが走るが、そんなことはどうでもいい。頭痛を覚えながら、唸る。
「何だか、お前を見てると……悩んでる自分が馬鹿らしくなってくる……」
「ありがとう」
「誉めてない!」
 バシッ。
 乾いた音が響く。
 キリシが振り下ろした剣を、ガルガスは白刃取りで受け止めた。
「な、何をする」
 鼻先十数センチにある白刃を見つめて、目を丸くしている。だが、言っていることとは裏腹に、あまり驚いているようには見えない。
 キリシは峰に右手を添えて、かなり本気の殺意のこもった笑みを浮かべた。じりじりと剣に体重をかけていく。それに抗うように、ガルガスも腕に力を入れていた。
「前から思ってたんだ……。いつかお前と決着をつけなければならない、ってな……。だが、不幸なことに今までその機会はなかった……」
「なるほど。お前も大変だな」
 ガルガスは同情するように言ってくる。自覚はないらしい。
 キリシは額に青筋を浮かべながら、
「だから……。今この場で、決着をつける……!」
「ふっ。面白い」
 刃から手を放し、ガルガスは後ろに飛び退く。
 キリシも同じく後ろに跳んで、左手で剣を正眼に構えた。それに応じるように、ガルガスも両拳を固めて、重心をやや下げる。いつもの体術の構え。
 その姿を眺めながら、キリシはぼんやりと思い返した。ガルガスと出会ってから今まで、何度となく、様々な場所で、色々な相手と、無意味なけんかをしてきた。ガルガスを殴ったり蹴ったりしたことも多々ある。
 だが、ガルガスと正面切って戦うのはこれが初めてだ。
 吹き抜ける、一陣の風――
 それを合図に二人は飛び出した。
 しかし……
「何やってるの、あなたたち?」
 冷めた声が、両者の動きを封じる。
 袈裟懸けに繰り出された剣と、それと交錯するように突き出された拳。お互いに、お互いの攻撃が相手を捕らえる寸前で止まっていた。
 気がつくと、呆れ顔でルーが佇んでいる。
 一緒にティルカフィもいた。ちょっと不機嫌そうに眉を斜めにしている。
「けんかなんかしてないで早くご飯作って下さいよ、キリシさん」
「………ああ……」
 頷いて、キリシは剣を引いた。ここでガルガスと戦っても何の意味もない。勝っても負けても、どうせ最後に残るのは膨大な徒労感だけである。
「何だ、やめか。つまらん」
 不服そうに手を振りながら、ガルガスは鼻息を吹く。
 キリシは剣を腰の鞘に収め、近くの階段へと向かった。半ば雑草に覆われた石の階段。ため息をつきながら、降りていく。
 堤防の下で待っていたのは陽炎だった。
「夕飯、早くしてくれよ」
 木の枝で、焚き火の上の鍋をつつきながら言ってくる。
 傍らには、まな板や包丁などの簡易料理道具と食料、逃亡生活に必要な荷物の一式が置かれていた。逃げる途中に有り金の大半を出して買い込んだのである。
 キリシは焚き火の横に腰を下ろし、まな板と包丁を手に取った。
「何作るの?」
「美味しいもの作って下さい」
 一見無関心そうなルーと、期待に満ちたティルカフィが手元を覗き込んでくる。
「クレンキャベツとメクトロースの塩茹でバターソテーミニハイン風味」
「却下」
 ガルガスが言った得体の知れない料理は聞き流して、キリシは適当な人参を二つ掴んだ。手馴れた手つきで包丁を動かし、皮を剥いていく。
 皮を剥いた人参をまな板に置き、次の玉葱を掴んで……
「待って」
 唐突にルーが言った。
「何か来る」
「―――?」
 手を止めて、キリシはルーを見やる。
 その様子はいつもと変わらないように見えた。抑揚がなく感情が読めない声。何を考えているか分からない平坦な表情。だが、赤い瞳には明確な緊張が含まれている。
「どうした?」
 大刀の柄に手を伸ばし、陽炎が囁く。
 包丁と玉葱を置いて、キリシはその場に立ち上がった。寒気にも似た危険信号が脳裏に弾ける。これからまた面倒なことが起こるらしい。
「……敵よ」
 小声で答えて、ルーは指で眼鏡を持ち上げた。
 その視線の先――星が散らばる夜空を、大きな影が向かってくる。
「何だか面白くなってきたなー」
 肩をほぐすように腕を回しながら、ガルガスが笑った。
 キリシは剣の柄に手を添える。やって来る相手にただの剣が通じるとは思えないが、ないよりはましだ。場合によっては、自分の喉をかき斬ることもできる……。
「ライト・シフト」
 ティルカフィの魔術によって、辺りがうっすらと明るくなった。
 陽炎は背中の大刀を抜き、仰々しい構えを取る。
 全ての戦闘準備が整うのと同じくして。
 それは地面に降り立った。

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