Index Top 不条理な三日間

第1節 ドラゴン


 魔術の明かりに照らし出された相手を目にして、キリシは全身が粟立つのを感じた。
 ルー、ティルカフィは険しい面持ちで息を呑んでいる。
 陽炎は大刀を握り直して、全身の毛を逆立てた。
 ガルガスはビシと相手を指差し、
「羽の生えたでっかいトカゲ!」
「………」
 場が白けかける――
 だが、ガルガスの言葉はあながち間違いではなかった。
「ドラゴンか……」
 相手を見据え、キリシは呻いた。
 全長十メートルもの鈍色の頑強そうな身体、折りたたまれた巨大な翼、牙と爪は刃物のように鋭い。頭には二対の角があり、銀色のたてがみが薄く光っている。不気味な色を宿した金色の瞳。圧倒的な威圧感を放つその姿は、まさしくドラゴンだった。
 牙を剥き、陽炎が毒づく。
「こんな怪物、どこに隠してたんだ……? あのくそ科学者」
「くそ科学者とは失礼だね、陽炎君」
 ドラゴンがいきなり言い返してきた。
「………!」
 ガルガスを除いた全員が身体を強張らせる。
「お前……まさかチェイサーか!」
 信じられないとばかりに、陽炎は喉を動かした。目の前のドラゴンと朝に見たチェイサーの姿は全く違うが、言われてみれば雰囲気や口調は同じものがある。
 実際に肯定してくる。
「その通り」
 満足そうに笑ってみせた。角張った指で自分を示し、
「君たちに使った《要素》を二人分この身体に移殖したのだよ。危険な賭けだったけどね。結果は見て通り、見事賭けに勝ったよ」
「ひとつ訊いていいか……」
 音を立てずに鞘から剣を引き抜きながら、キリシは口を開く。引っかかることがあった。相手が何か言い返してくる前に、質問をぶつける。
「お前、何で僕たちがここにいることが分かったんだ?」
 チェイサーがここに現れた理由が分からない。逃げる時は、見つからないように極力気をつけたのだ。ルーの能力も使った。チェイサーたちに自分たちの居場所を知る方法はないはずである。だが、現実にドラゴンに姿を変えたチェイサーが目の前にいた。
「君たち、科学技術というものを甘く見てはいけない」
 無知な子供に教えるような口調でそう言うと、チェイサーは真上を指差した。さっきと変わらぬ黒い夜空。何かがあるようには見えない。
 しかし、チェイサーは皮肉げに笑って、
「最近では、宇宙から新聞を読むことさえできる」
「そうか……」
 チェイサーの言いたいことを悟り、キリシは奥歯を噛み締めた。
「偵察衛星……そういえば、そんな便利なものもあったわね」
 ぽんと手を打って、ルーが呟く。現実感は薄いが、宇宙空間から地上にあるものをミリ単位で監視できることは紛れもない事実だった。それは実質的に、自分たちがどこにも隠れられないということでもある。
「ンーなことより――」
 周りの会話を無視して、ガルガスが気楽に言った。なぜか嬉しそうに口元を緩め、目をきらきらさせている。またとんでもないことを考えているのだろう。
「お前、強いか?」
 案の定の問いに、キリシは頭を抱えた。泣きたくなる。
 それには構わず、チェイサーは深く頷いた。
「ああ、強いよ。まだこの身体に慣れていないせいで力の制御は不完全だけど、本気を出せば重武装の一部隊くらいなら軽く潰せる。無論、君たちにも勝てるだろうね」
 言い終わるなり、深く息を吸い込み、口を開ける。
「みんな、逃げて!」
「って、やっぱり吹くのか――!」
 キリシとルーは急いで右へ走った。ドラゴンのお約束とはいえ、食らって平気なものではない。陽炎もティルカフィを抱えて左へ跳ぶ。
 チェイサーが吐き出した深紅の炎は、四人がいた場所を直撃した。その場に残っていた荷物や食料と、ついでに一人突っ立ったままのガルガスを呑み込み、爆ぜる。夜気を焦がすような熱風が渦巻いた。
 炎が消えると――
 残ったのは、黒く焦げた地面と荷物の残骸だけだった。
「あれ、ガルガスさんは……?」
 何もない焼け跡を見て、ティルカフィは焦ったように周りを見回す。跡形もなくガルガスが消えていたのだ。焼け跡にも周囲にも、その姿はない。
「まさか、燃えちゃったんですか!」
「あいつが、そう易々と死ぬか。そのうち勝手に生えてくる!」
 言い捨てて、陽炎はチェイサーに向き直る。無茶苦茶な言い分だが、いつも通りどこからかひょっこり現れるだろう。どのみち今は、気にしている余裕もない。
 チェイサーはゆったりとした動作で両腕を広げると、
「さて、君たちに頼みがある。おとなしくキリシ君を渡してほしい。僕の目的は彼一人だけだ。彼以外、つまり君たちにはもう興味はない」
「そう言われて『はい。分かりました』って頷くと思うか……?」
 険悪に唸りながら、陽炎は青い神気を解き放った。ティルカフィ、ルーもそれぞれ呪文の詠唱を始める。どのような魔術を使う気なのかは分からない。
 両翼を広げて、チェイサーは口元を歪めた。
「いや。言ってみただけだよ」
「だろうな」
 陽炎が駆け出す。一息に間合いを詰め、チェイサーの足を狙って大刀を振った。
 だが、チェイサーは翼を動かし、宙へと飛び上がる。その巨体からは考えられないほどに速い。空振りした大刀が、風斬り音だけを残した。
 それは始めから陽炎も予想していたのだろう。チェイサーの動きを目で追いながら、大刀を振った勢いを利用して、その場を飛び退く。
「レイ!」
 ルーの手から放たれた光が、一直線にチェイサーに突き刺さった。白光が瞬き、爆音 に空気を痺れる。頑強な皮膚に傷をつけることはできなかったものの、その巨大な身体は傾いだ。
 そこへ陽炎が飛びかかる。青く輝く大刀を振り上げ、跳躍し――
「烈風狼牙!」
「甘い!」
 チェイサーの腕に弾き飛ばされた。空中で体勢を崩していたとはいえ、その力は生半可なものではない。陽炎は声もなく地面に叩きつけられる。
 素早く体勢を立て直し、チェイサーは右腕を振り上げた。陽炎めがけて、尖った短剣のような爪を振り下ろす。地面にめりこんだ陽炎は動けない。
「陽炎さん!」
 悲鳴じみたティルカフィの声。それに答えるように……
 銃声が響いた。
 どこからともなく飛んできた銃弾に腕を弾かれ、チェイサーが咄嗟に翼を動かし後退する。さすがに効いたのか、左手で右腕を押さえて地面に降りた。
「ハーデス……」
 キリシは我知らず呟く。

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