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第3節 後悔


 どれくらい走ったのか。
 どれくらい経ったのか。
 明日香は立ち止まり、漠然とそんなことを考えた。しかし、答えは出てこない。答えを求めるような問いではない。
 そんなことはどうでもいい。
 疲労のこもった両足を引きずりながら、周りを見やる。何も考えず、闇雲に走り回ったため、今どこにいるか見当もつかない。
 だが、どうでもいい。
 頭にあるのは、たったひとつのことだった。
 腰に差した時雨の柄を撫でる。
「寒月……」
 明日香はその名前を独りごちた。
 命を懸けて自分を守ると言った男。
 父親である無明を殺した男。
 それを告げられた衝撃に、時雨で斬りつけ後先考えずに逃げてきてしまった。自分はこれからどうすればいいのだろうか。
「あいつに、復讐する……?」
 そんなことも思い浮かぶ。
 だが、挑んでも返り討ちにあうのは目に見えていた。体力、技術、精神力、経験、武器、どれを取っても寒月と自分では雲泥の差がある。勝てる見込みはない。
 半妖の力を覚醒させれば勝てるかもしれないが、それはやってはいけない。
「でも……」
 それ以前に――
 自分の気持ちが分からない。
 自分は寒月に対して何をするのか。復讐するのか、復讐しないのか。許すのか、許さないのか。怒るのか、怒らないのか。謝るのか、謝らないのか。
 明日香は力なく笑った。
 混乱しているらしい。
「……帰ろう」
 帰って、寒月の話を聞こう。寒月は何の躊躇いもなく、親友を殺せるような男ではない。それに、寒月が言っていたことも気になる。無明は自分が殺されることを覚悟していた。だから何の抵抗もせずに殺された。
 明日香は来た道を戻ろうと振り返り、足を止めた。止めざるをえなかった。
「こんな時に――!」
 後ろに飛び退き、時雨の柄に手をかける。
 そこには、白い服をまとった金髪の男が立っていた。ジャック・ファング。自分の命を狙う特級執行者。寒月によるものだろう。身体中から血を流している。しかし、どうという様子も見せていない。
「この時を待っていたよ。アスカ」
 芝居じみた動作で、両腕を広げてみせる。
(そういうこと!)
 明日香はようやく気づいた。ジャックが自分に、寒月が無明を殺したことを話したのは、自分と寒月を引き離すためだったのだ。自分はその罠に引っかかり、寒月から逃げてしまった。今、自分を守る者はいない。
「寒月は、どうしたの……A」
 恐怖を抑えつつ、明日香は叫んだ。
 ジャックは気楽に肩をすくめると、
「死んではいない。でも、今頃は鉄骨の下敷きになって動けないはずだ」
 言いながら、近づいて来る。
 それと同じ分だけ、明日香は後退した。
「ここで、あたしを殺す気?」
 訊きながら、この窮地を脱出する方法を思索する。戦うのは論外だ。寒月にすら歯が立たない今の実力では、ジャックに傷ひとつつけることもできないだろう。逃げるのも論外だ。身体能力の差で、苦もなく追いつかれる。
(半妖の力を覚醒させれば……?)
 勝算はあるが、後は暴走するしかない。第一に、どうすれば半妖の力を覚醒させることができるのか分からない。寒月に渡された腕輪が力の覚醒を抑えているが、外しただけで覚醒するとは思えない。
 明日香の心中をよそに、ジャックは言ってくる。
「ここでは殺さない。ただ捕らえるだけだ」
 言った直後、その身体が膨れ上がる。
 瞬時に間合いを詰めたのだと悟った時には――
 明日香はジャックの拳を受けて気を失っていた。

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