Index Top 第1話 終わり、そして始まる |
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第1章 見知らぬ部屋と |
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身体がばらばらに砕けるような不快感。 千切れたものを無理矢理つなぎ止めるような違和感。 焼けるような熱と凍えるような冷たさ。 視界に映る霞んだ白。 「う……ぁ……」 うめき声を上げながら、リクトは手を伸ばした。もがくように。何かを掴むように。助けを求めるように。しかし手は虚しく空を掴む。 ぱたりと身体の横に腕が落ちた。 白い天井が見える。見覚えのない天井だった。消毒液と薬品の匂い。自分がどこにいるのか、ぼやけた記憶では思い出せない。それでもここが病院であることは想像が付く。 眉を寄せ、霞のかかった記憶を辿りながら、額に手を当てた。 「何だっけ? 俺……え?」 固まる。 水色の手。 額から手を放し、その手の平を凝視する。 自分の手ではない。 「これは――?」 青みがかった水色。絵の具やインクを塗ったわけではない。病気などでもない。皮膚自体が青い。肌色ではく、水色の皮膚。人工的な色だが、ごく自然な色合いだった。 「………」 妙に冷めた気分のまま手を見る。 一度握って、ゆっくりと開く。そしてもう一度閉じて開く。 「うん、うん」 自分の意志で動く。動くが自分の手ではない。自分の知っている自分の腕ではない。全体が細く、輪郭も丸みを帯びている。男の腕ではなく、若い女の腕だった。 息を吸い込み、吐き出す。 「何だ? どういうことだ?」 両手を突き、リクトは身体を起こした。身体を動かすことに不自由はない。微かな音を立て、流れ落ちる長い紺色の髪の毛。今さらだが、自分はこれほど長い髪ではない。 「むぅ」 そして肩に掛かる重さ。 見下ろすと、入院患者が着るような白い寝間着を着込んだ身体。見覚えのない膨らみがふたつ、服を押し上げている。襟元に見える谷間。 両手を胸に添え、少し持ち上げる。腕に掛かる重さ。 「おお、でかい……!」 男にはない乳房だった。かなり大きい部類に入るだろう。下着は着けていないらしく、上着に小さな突起が浮き出ていた。 混乱する思考と、一方で妙に冷静な部分が状況を分析する。 「どうなってるんだ? 俺。女になってる? いやいや、女になってるだけじゃないぞ。人間でもないぞ、コレ……尻尾もあるし」 振り向くと、腰の後ろから黒いムチのような尻尾が伸びていた。長さは一メートルほどで太さは二センチほど。先端は銛のような三角形になっている。 力を入れて見ると、先端がうねうねと動く。 「何なんだよ、これ――!」 理解できる要素が無く、リクトは両手で頭をかかえた。 「こんにちは」 「!」 慌てて両手で口を塞ぐ。自分の意志で発した言葉ではない。口と喉が勝手に動き、言葉を発した。理解不能な要素がまたひとつ増えた。 両腕が下りる。 「えっ?」 口から手を放し、緩く手を重ねて伸ばしている膝に乗せた。自分の意志ではない。機械的な動きではなく自然なものだった。そして、手を動かしたという感覚もある。 腕を動かそうとするが、しかしリクトの意志に反し腕は動かない。 「まず理解できないと思いますが聞いて下さい」 口がそう喋る。落ち着いた声だった。発せられた言葉はリクトに向けられている。口を動かしているという感覚もある。自分で自分に話しかけるという不条理。 「慌てたり焦ったりするというなら、気が済むまでどうぞ。落ち着くまで待ちます」 「分かった」 短く答える。 とりあえず理解した。焦っても慌てても無駄。そのような域はとうに過ぎ去っている。自分が今いる所は、煮るなり焼くなり好きにされるまな板。 「わたしはミナヅキといいます。この身体の本来の制御主です。改めてはじめまして」 軽く頭を下げるミナヅキ。 「は、はじめ……まして?」 同じように頭を下げるリクト。自分で会釈をして、自分で会釈を返す。ひどく奇妙な事をしている感覚だった。 「簡単に説明しますと――」 ミナヅキは自分の胸に手を当てる。自分自身と、同じくリクトに向けての仕草だ。 「リクトさん。複雑な諸事情により、あなたの精神を元の身体から切り離し、わたしの身体に収めています。しばらくは、わたしと一緒にこの身体で過ごして下さい。あなたに拒否権はありませんので、了解してもらえると嬉しいです」 「大体分かった……」 大筋は理解した。リクトの精神だか魂だかは、ミナヅキの身体に収められている。信じられない話だが、実際にリクトはミナヅキになっているのだ。現実は現実として受け入れるべきである。受け入れるしかない。 さて、その場合気になるのは、本来の自分。 「俺の身体は――?」 こわごわと訊く。 一拍の間。 ミナヅキは答えるのを躊躇った。呼吸の乱れ、視線の動き、身体の硬直。それら全てをリクトは生々しく体感できてしまう。文字通り自分の身体のように。 言いたくないらしい。 その不安をこちらも直接感じ取ったのだろう。観念したように、ミナヅキが口を開く。 「事故により自力での生命活動が停止しました。つまり、死亡状態です」 「うぉい!」 思わず腕を伸ばす。 が。掴む相手が自分であるため、腕は意味もなく空を切った。 「事故って大学のアレか!」 拳を握りしめ、リクトは叫ぶ。ようやく思い出した。大学西グラウンドで行われた実験。様子を盗み見てリーダーらしき男に見つかり、逃げようとしたところで意識を失っている。次に目覚めたのはついさっきだ。 握っていた手を開き、膝に置いてから、ミナヅキが説明する。 「あれです。あなたが不安定因子として現れた事が事故の原因になったと、マスターは言っていました。もっともそれ以外にも不明な部分はありますけど。ともかく事故に巻き込まれ、生命活動は停止しています」 「俺が、死んだ……? じゃ、こうして話してる俺は何? 幽霊?」 右手を見つめ、呻く。 思考や記憶は肉体、脳に基づくものだ。身体が死ねば、脳も死に、記憶や思考は消える。それが生物の死というものだろう。 身体は死んでいるのに、リクトは何故か他人の身体で生きている。 「正確には肉体は機能停止しています。精神および人格記憶情報は、わたしの身体に移しました。精神移植という非常に高度な理術であると、マスターは説明しています。幽霊という表現は、そう間違っていないと思います」 簡潔に説明してくるミナヅキ。何を言っているのかはほとんど理解できないが、何をされたかは半分くらい理解できた。 「何か質問はありますか?」 瞬きをして、続けて質問してくる。 一度目を閉じ、目蓋を上げた。何を言うべきか考えつつ、部屋を眺める。 中央にベッドの置かれた部屋。周りには用途不明の機械が三台置かれている。左側には窓があり、ガラス越しに青い空と葉の生い茂った木が見えた。右側には外に続くらしい両開きのドアがある。 病室のようだが――病室ではない。 一番近い言葉は実験室だ。 思考を引き戻し、口から出た質問は間の抜けたものだった。 「居候――みたいなことしてるけど、君は平気なのか?」 「特に問題ありません。わたしはあまり積極的に活動しない性格なので、代わりにあなたが動いて貰えれば、身体が鈍ってしまわないので安心です」 頷いて小さく笑う。 身体と動きと感覚とを共有しているため、容易に分かってしまう。ミナヅキは本気で今の台詞を口にしている。身体の操縦者が増えたことを楽しんでいる。 「俺はこれからどうなるんだ?」 眉を寄せ、リクトは手で口元を抑える。 身体は死んで精神は他人の身体に居候中。それを親や友達にどう説明するべきか、説明した後はどう行動すればいいのか。そもそも日常生活に戻れるのか。簡単に戻れるとは思えない。考えるだけで頭が痛くなる。 「そこまではわたしも聞いていません」 すまなそうに、ミナヅキが呟く。 「命と生活の保障はしよう」 声は唐突だった。 「我々も君を無為に扱うつもりはない」 「あなた……は?」 リクトは現れた男を凝視する。 ドアは開けていない。どこかに隠れられる場所はない。 だが、男はそこにいた。 美しい男だった。誰もがそう思うだろう。身長百八十センチを越える、均整の取れた体躯に、彫像のように整った顔立ち。絹のような黒髪を腰の上辺りまで伸ばしている。丸い銀縁眼鏡の奥に見える瞳。闇のように黒く、水晶のように透き通った妖しい眼差し。 不気味さすら覚える美しさだ。 実験の時に指揮を執っていた男だと、リクトは確信する。 そして男は金の縁取りがなされた豪華な白衣を身に纏い、頭には極彩色の髪飾りを乗せている。一言で表すならばド派手だった。だというのに、その装飾を自身の一部として完全に調和させている。 (つまり、変人だ――! この人) 顔にも声にも出さず、断言する。 男はベッドの横まで歩いてきた。カツカツと靴が床を叩いている。長い黒髪と白衣が揺れた。音もなく硬度を増していく空気。妙な迫力がある。 「私は生命科学研究所所長オルワージュ=ヌサカンコロナ・ボレアリスである」 ふぁさぁっ。 と、手で髪をかき上げる。得意げな顔で。 艶やかで滑らかでまっすぐな黒髪。表面には白い光輪が浮かんでいた。これほど美しい髪を、リクトは今まで見たことがない。思わず魅入ってしまうほどの美しさ。 「…………」 もっとも何がしたいのかは不明だが。 緩く腕を組み、オルワージュが見下ろしてくる。 「さて、私からひとつ質問がある」 リクトは息を呑んだ。我知らず手を握り締めている。 殺気や敵意ではない。オルワージュの目に映る感情は、好奇心だった。目の前にある謎、それを解き明かそうとする意志。黒い瞳は、ミナヅキの中にいるリクト、そしてリクトの奥まで見通すような輝きを宿している。 オルワージュは静かに口を開いた。 「君は、何者なんだ?」 |
14/6/3 |