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序章 きっかけは何か?


 背筋を、微かな寒気が撫でる。
「ふぁ……ぁ……」
 ゆっくりと目を開け、リクトは顔を上げた。
 鼻をくすぐるインクの匂い。視線の先にはずらりと並んだ本棚が見える。反対側を見ると寝ぼけた顔がぼんやりと窓に映っていた。大学の図書館である。もう誰もいないのか、蛍光灯は消え常夜灯が点いていた。
 リクトが座っていたのは、一番奥にある窓際の席である。
「あれ、もう夜か」
 窓を眺め、頭を掻いた。
 ガラスの向こう側は、すっかり夜の黒に染まっている。夜とはいってもあちこちに灯りが点っているため、闇にはほど遠い。机に広げられたレポート用紙と参考書。課題を片付けているうちに寝てしまったらしい。
「あ――痛てて……すっかり寝過ごしちゃったな」
 肩を動かし、首を捻る。
 見えるところに時計は無いため、時間は分からない。どれくらい寝ていたかのかも不明だ。それでも感覚的に三時間は寝ていただろう。二時間以上は確実だ。
「帰るか」
 参考書やレポート用紙を片付け、リクトは立ち上がった。


「……誰もいないな?」
 廊下から見える東棟を眺め、リクトは首を傾げる。
 四角い五階建ての建物。数十はある窓は、全て黒く染まっていた。
 図書館の時計は、午後八時十分を示している。大体の学生は帰っているが、遅くまで残っている学生や教授は普通にいる。普通、棟から明かりが消えることはない。
 足を止める。
 壁に掛けられた掲示板。講義の情報からサークルの部員募集まで、内容は様々だ。そこに張られたA3の紙。目立つように赤い縁取りがしてある。赤枠は重要な情報以外では使ってはいけない。つまり、これは重要な情報である。
『生命科学研究所の野外実験が午後7時半より行われます。
 教職員、および学生は実験開始前に帰宅して下さい』
「こんなの、あったっけ?」
 顎に手を添え、リクトは首を傾げた。あったような気もするし、無かったような気もする。普段はあまり情報掲示板を気にしていない。野外実験の連絡と帰宅命令。
 知らなかったので、こうして帰らず寝ていたのだが。
 しばし掲示板を眺め、リクトは頷いた。
「野外実験か。ちょっとだけならイイかな?」


「ふむぅ」
 西棟の影から様子を伺っていた。
 帰宅命令が出ているため、こっそりと覗き見る。
 西グラウンドの中央に置かれた大型トラック。その荷台に積まれた大型の四角い機械。荷台に積まれた大きな機械。大型冷蔵庫に見えなくもない。上部から二十メートルほどのアンテナが三本伸びている。おそらくそれが実験の中心機材だろう。
 隣には発電マークの記された大型トラックが停まっている。発電車だ。
 離れていることと、発電車のエンジン音で声はよく聞こえない。
「これが実験なのか? 全然分からん」
 白衣を着た男女が十人ほど、計器やパソコンを弄っている。
 その中心に立っている白衣を纏った長い黒髪の男――男だろう。背中しか見えないため正確には分からないが、体格は男のそれである。声はよく聞こえない。
 指示を出しているらしく、機敏に手を動かし、それに応じて周囲の男女が動いている。
 ヴン……。
 四本のアンテナが、淡く発光した。
「何が起こるんだ?」
 空気が帯電しているのが、周囲がざわついている。
 不意に。
 長い黒髪の男が動きを止めた。
「おい、そこにいるのは誰だ――!」
 鋭い叫びとともに、振り向いてくる。銀縁の眼鏡をかけたその瞳は、まっすぐにリクトを見据えていた。深い闇のように黒く、しかし水晶のように透き通った瞳。
「やべ――」
 リクトは建物の影に身を引き。
 そこで前触れなく意識が途切れた。

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14/6/3